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どろとてつ  作者: ニノフミ
第七話
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【六節】③




「よく分かんないです」


 鉄華は言い放つ。


「おいおい、それでは何の為の山篭りだったのか分からぬではないか」


 不玉が返す。


 一ヶ月間の山篭りを終えて帰還した鉄華は初めて訪れた時のように庭の中央に立ち、縁側で競うようにスイカを食べている泥蓮、一巴、不玉の三人を眺めている。

 既に正午を過ぎ、日光の熱を蓄えた庭石は足元から焼け付くような暑さを立ち上げていた。


「言葉は苦手なんですよ。現国の点数だって低いんですから」

「これは面接ではないぞ。言葉遊びで納得させろなどとは言わんが、もっと……こう、なんか思う所とかあるじゃろ? お前は感情を失った殺戮マシーンかえ」


 鉄華は思い出す。

 全てを使い果たして倒れていた瞬間を。

 暗闇の底にあった意路不倒な感覚を。

 異常な環境と極限の状態がもたらした体験はその瞬間だけのもので、終わった後に無理に思い出そうとしても支離滅裂な夢の詳細を語るようなものであった。


「……誰かに勝ちたい、誰かに負けて悔しい、そういうのはきっと今この瞬間に偶々執着している感情でしかないのだと思いました。だから今胸中にある動機は何かの言い訳のようで、わざわざ語るべきではないと思っています」

「なんじゃ、何でもいいから言ってみるがよい」


 泥蓮と一巴は鉄華に興味がないと言わんがばかりにスイカを取り合いながら齧り付いていたが、相対する不玉は興味津々であった。

 言葉を濁して逃げ切ることはできそうもなく、不玉にとって動機というものは相当重要なものだという意思が感じ取れる。

 剣道を始めた時には何故強くなりたいのかなど考えたことすらなかったのに、剣術になっただけで心技体の「心」の重要度が大きく変わる。

 スポーツにはない覚悟を試される。

 鉄華にはそれが「人を殺す覚悟」のように思えて未だ戸惑いを消せずにいた。


「私は暴力に抗わず縮こまっているのが嫌なんです。暴力に屈するということは人生を削り取られるようなものですから。自分で自分の人生を掴む為には抑止力が必要で、その答えが古流の武器術にあると思っています」


 今の鉄華に出来る精一杯の回答であった。 

 真理も深層も分からないのなら過去の記憶から好悪の感情を掘り出していく他ない。


「何故そこで古流になる? 今は戦国の世ではない。法があり警察もある。奴らが持つ集団の暴力や銃器は最大の抑止力じゃぞ」

「法や警察を抑止力だと思わない連中もいます。銃は銃社会でも万人が所持できるものではないですから平等とは言えません。平等を突き詰めればより個人的かつ原始的な手段になると思います」


 暴力こそが最強の選択肢だと思い、他者の人生を蹂躙し屈服させようとする人間は少なからず存在する。

 法や警察は抑止力ではあるが即効性は無く、暴力が振るわれようとする瞬間には無力であり、そのまま命を落としてしまえば何の意味もないのだ。

 鉄華は無抵抗を通し、屈服させられ、誰かが解決してくれる瞬間を待つことなど許せなかった。

 痛みは平等で対等なものだと彼らにも分からせなければならない。


「銃は平等でなく、素手では老若男女の壁を超えられません。だから近接の武器術、とりわけ私に縁があるのは剣術です」


 ()と口にしてみて改めて気付かされる。

 剣道を始めて、諦めて、剣術に辿り着いたのは全ては縁であり、そこに矛盾はなく、無駄もなく、迷いもなく、辿るべきひと繋がりの道に思えた。

 先のことは分からないが今ここにいることは当然のことのように受け入れることが出来た。


「ふむ。例えばお前を殺そうとする奴が現れたらどうする? 降伏を選ばず、覚えた武器術で殺し返すか?」


 不玉は笑みを浮かべ、敢えて言及しなかった核心を問う。

 自衛とはいえ、立ち向かうのならば法や倫理を踏破しなければならない瞬間がある。

 それは加害者にもなり得るということだ。


 しかしその質問を予想していた鉄華に迷いはなかった。


「まずは戦えなくなる程追い詰めて心を折ります。それが無理なら殺そうと思います。殺されたくないですし、身の回りに被害が及ぶのも嫌ですから。降伏だけはあり得ないです」

「……」


 淀みなく言葉を発した鉄華であったが、それが虚勢でもあることも理解していた。

 降伏したくなる瞬間を何度も体験し、ある種の宣誓のように告げた強がりであった。


 その決意を感じ取ったのか、不玉の笑みはより一層大きくなり、終いには笑い声さえ漏れ出す。


「くくく、……のう、泥蓮よ」

「んだよ」

「大した奴じゃな。こんなイカレたJK、そうはおらんぞ」

「全くだな。進路調査で侍になるとか書いてそうなヤバい奴だよ。ドミネーターで数値測ってやりたいよ」


 意気投合する親子の様子に苛立った鉄華は(あなたたちにだけは言われたくないです)という思いを顔貌に現して返すが、不玉は仰いでいた扇子で口元の笑みを隠しながらもう片方の義手を広げて窘めた。


「『門前の瓦』と言うものがある」


 パチンと閉じた扇子を顔の前で水平に動かしながら不玉は話を続ける。


「江戸まで遡る古い例えでな、当時の武家屋敷にはウチのように入り口に大きく硬い門があった。チャイムなんて便利な物は当然無いので、訪ねた人間は門を手で叩いたり大声で呼びかけたりする。それでも気付かれなかった場合、塀の瓦を一枚失敬してそれで門を叩いて大きな音を出したという。さて、その瓦はいつ戻すべきなのか?」


 噺家のように手振りを加えながら話す内容は、一叢流と関わりの深い沢庵禅師の教えであることを鉄華は知る由もない。


「門を叩いてすぐ戻すと、もし音に気付かれなかった場合また取らねばならぬ。かと言って誰かが出てきた時に戻すのを見られればその無礼を咎められる。悩んでいる内に戻し時を見失って屋内まで瓦を持ち歩くハメになればもはやコントじゃ」


 古流の達人でありながらも古流に捕われず自由な不玉の気質はどこか祖父に似ていると鉄華は思った。

 教えるべき教訓を軽快な例え話に込める辺りが特に似ている。


「瓦が役目を果たした瞬間を見極め、未練や躊躇いなく手放すことが重要という教えよ。この例えのように一つの事柄に心が留まり捕らわれてしまうことを居着き(・・・)という。居着きは心を過去に残し、迷いを生む。千変万化にして刹那の勝負時には居着きを捨てなければならぬのじゃ。その点において、過去の勝敗に拘るのが一時の執着と理解できただけ、お前は見込みがあるぞ」


 どこか既視感のある内容だと感じた鉄華は記憶を振り返り、それが泥蓮と戦った時の事だと思い出した。


 先入観や恐怖が重なり何もかも出遅れる戦いの中で、心に捕われずあるがままを受け入れて動くことができた瞬間があった。

 あの瞬間を突き詰めることが目標であったことを忘れていた。

 曖昧なままであった目標がここに来て「居着きを捨てる」という明確な言葉となり固定化される。


「と、まぁ色々試してみたが、約束は約束じゃからな。動機はどうであれギブアップせず戻ってきた時点で合格じゃ。――では合宿の後半戦行ってみるかの!」


 早速とばかりに肩にたすきを掛けて袖を捲る不玉であったが、山篭りから帰還したばかりの鉄華の疲弊を察して一巴が口を挟んだ。


「あー、えーっと、まずは腹ごしらえというか、鉄華ちゃんもボロボロで臭いですしちょっと休憩時間欲しいっす。多分ダニやノミでいっぱいっすよ」

「む、……それもそうじゃな」


 やる気に水を差された不玉は動きを止めて、少しの間鉄華と一巴を交互に見ながら思案する。

 自身の絵図を抱えた一巴は音を立てて唾を飲み込み、達人の視線は汗の一粒さえ逃さず捉えていた。

 鉄華は場を埋め尽くす緊張感で気温が何度か下がったようにすら思えた。


「ならば風呂に入ってくるがよい。儂はその間デイリーミッションの消化に勤しむとしよう」


 不玉がそう言うと、まるで納刀したかのように張り詰めた空気が解ける。

 そしてフラフラとPCの前に吸い込まれ、ペタンと座り込んでゲームの起動を始めていた。


 ――これで第一関門を突破できた。

 その安堵で鉄華は腰の力が抜けそうになったが、まだ駄目だと思い直す。

 一叢流の秘技を知るということは教えるに足る程に技を修める必要があるということだ。

 しかし、残り一ヶ月で求められるであろう域に到達するのは余りにも非現実的である。

 つまり、どこかのタイミングで盗む必要がある。

 理想は毒術が書かれた伝書を発見し、写真に収めてから元に戻すこと。

 策戦はまだ始まったばかりであった。


「こっちっすよ、鉄華ちゃん」


 一巴に誘導され風呂場へと向かう最中、縁側に寝そべる泥蓮は猫のようにスンスンと鼻を鳴らした後、


「ほんとくっせえな鉄華。なぁ、トイレはどう処理してたんだ? ちょっと詳しく語ってくれよ」


 ニヤニヤしながらデリケートな問いかけをする。

 鉄華はそれだけは答えないと決めていたので敢えて無視して通り過ぎたのであった。




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