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どろとてつ  作者: ニノフミ
第四十一話
221/224

【衡量】③

   ◆




 流転していく思考が痛覚を遮断し、その裏側で固定された意識が戦いの方針を決めていく。

 篠咲がかつて手にした思考の二分化。

 しかしそれは本来心身共に万全の状態でなければ機能しない。


(私は何をしているんだ。あぁ、そうか、敵を倒さなければ。何の為に? 救う為に。誰を。託された者たち、誰に託された―――)


 思考の奔流が意思を超えて分化していく。

 篠咲は衰枯の毒による呼吸障害をメタンフェタミンの投与で緩和している。

 一般的に覚醒剤の分類であるが、短期間での症状克服は不可能であり、彼女に選択の余地はない。

 今は喉奥から僅かな喘鳴が響くが、呼吸筋は普段通りに動いている。

 だが、メタンフェタミンの副作用まではコントロールしきれない。


(ロコサビオ。ガローテ・トクヤーノ。片手剣術。勝機はある。いや、違う。勝機はあっても勝利ではない。ジョージや由々桐がどう動くかわからない。華僑も南場も能登原もそれぞれの勝利条件がある)


 制限時間は約五十三秒間。それを超えればいくら痛みを遮断していようと身体機能が停止する。

 時間と共に吸気が短くなり、やがて酸素の供給が間に合わなくなるからだ。

 そこから先は無呼吸運動の領域になる。

 ただの息止めであれば二十分を超える事ができる人類だが、運動を伴うと骨格筋や血中のグリコーゲンが急速に消費され、全力の運動ともなれば一分と続かない。

 リバウンドを利用してグリコーゲンの過剰貯蔵を可能とする食事法、カーボローディングで数秒伸ばしようやく五十秒台。

 攻防の初期段階で篠咲が観察に徹している理由である。


「ヘイ、ダブ(Dub)ってくぞ。止めてみろよブーティ(booty)


 ロコサビオのステップが変わる。起点となるのはまたも腰の捻り。

 飛び出したかと思えば、左右転化で横に跳ね、また飛び出す。

 落雷のような軌跡で間合いを詰める最中、ブーツで床を蹴って散らばるガラス片を飛ばしている。

 蜻蛉構えの左腕部で礫を防ぎ、雲耀の袈裟で以て後の先を取るのが正しく思えるが、ロコサビオには高速の左右転化がある。

 最速の斬撃とはいえ、予め読まれた対応行動には速さで負ける。

 篠咲はまたも後退を選択していた。

 ロコサビオは篠咲の予想通り、寸前でスタンスを変えて礫を防ぐであろう袖口を掴みに来る最中であった。

 しかし、ロコサビオとて歴戦の闘技者。

 読まれた先の対応は複数用意している。


「プレイバックはタブーだぜ!」


 篠咲の回避を見るや否や、またも左右転化し、ファルカタの刺突距離を伸ばす。

 その速度は、バックステップで下がり始めた篠咲の両足が地から離れる瞬間を捉えていた。

 未だ上限が見えない強烈な緩急。

 躱しようがない刺突。

 本来なら、勝敗が決する瞬間であった。


 次の瞬間、宙に浮いているはずの篠咲が急加速の後方回転して右足でファルカタを蹴り上げていた。


 慣性を無視した動き。

 続いて下から跳ね上がる左足をロコサビオは上体を反らして躱す。

 刃筋が通ったファルカタを躊躇なく蹴るあたり、篠咲の靴は鉄板入りであることが分かったからだ。

 それよりも問題なのは空中での不自然な加速。

 攻撃の手を止めたロコサビオは、目の前に古びたソファがあることに気付いた。

 元は船のラウンジとして使用されていた空間である。

 幾つかの家具は床に固定されていて、今もそのまま障害物として残っている。

 篠咲は背後にソファがあることを知りながら後退し、残した足が引っ掛かって後方回転に繋がることを分かっていたのだ。

 つまり、今の攻防を全て読み切っていたことを意味する。


 ――恐怖。


 圧倒的な身体能力で勝負を制してきたロコサビオは、今初めて自分より速い相手と相対している。

 それも的確な読みという一点で先回りされている。

 思考の早さが身体の速さを上回る。

 肉体信仰が軸にある西洋武術には存在しない領域。オカルト。

 かつて八雲會に参戦し、何でもありの武器術の世界で一度の負傷も無く頂点へ登り詰めた化物。

 それは現実に存在するのだ。

 ロコサビオは脳内ではっきりと文字にできる程に恐怖を感じていた。


 ――どうということはないな。


 今更死が怖いわけではない。

 これまで信じていた常識を覆す得体の知れなさが怖いだけだ。

 しかし動きを読むということは確実な未来予知とは違う。

 確率の博打を続けているに過ぎない。


 一瞬で恐怖に適応したロコサビオは対岸の女へ向けてソファを蹴り上げた。

 床から錆びた固定具を引き抜き、高速で迫る面範囲の攻撃を押し付ける。

 浮き上がったソファが空中で受け止められる感触を確かめたロコサビオは、蹴り上げた足を更に押し込んだ。

 物量、密度、質量。

 フィジカルの差というリアリズムが揺らぐことはあっても、覆すことはない。あってはならない。


 蹴り足を伸ばす眼下で、スポットライトに照らされた、ソファの、影が、蠢いた。


 ロコサビオが飛び退くと同時に、軸足の脛から鮮血が撥ねる。

 切れた衣服の隙間から真白な脛骨が見えている。

 飛んでいくソファの影がその場に残り続け、影からは鈍色の刀身が伸びていた。

 篠咲だ。

 一旦ソファを受け止めてから蹴り込まれるまでの僅かな瞬間に、地に伏すほどの低姿勢に移行し、足を狙う横薙ぎの一閃。

 行動を先読みしているからこそ可能な、常軌を逸した速さ。

 影が立ち上がり、刀を掲げる。

 今度は蜻蛉構えではなく両腕を真上に伸ばす剣道の上段。

 是も非もなく、ロコサビオの取れる行動は一つであった。

 ガラ空きの胴体へ向けた刺突。特攻。

 足を斬られた以上、運足での駆け引きには戻らず攻め続けるのが最善だ。

 篠咲の上段が落ちてくる。

 ロコサビオは刺突を戻さず、柄を握る手の内を緩めた。

 片手保持は刀勢で劣る。

 両手保持の剣術を受け止めることはできない。

 だが、フェンシングの技術ならば受け止めなくてもいいのだ。

 日本の剣術は刀勢を維持することを重視する分、小指を中心として柄を握る。

 フェンシングは手首の柔軟性を重視する為に、親指と人差し指を中心に柄を握る。

 柔と剛。

 受けた力を利用して刀身を回転させる為の片手保持。

 その速度は剣道の『返し技』を凌駕する。

 日本剣術にはない、未知の速度で返る『後の先』。

 刺突と斬り落としがぶつかる瞬間、強かに勢いを殺されたのは篠咲の方であった。

 ロコサビオの手首が柔軟に翻る。

 相手の力を吸収したファルカタの刀身が円を描き、カウンターの斬撃へと繋がる。

 ロコサビオは観ていた。

 カウンターを返しただけで終わる攻防ではない。

 一度の切創で生を放棄する戦いではない。

 この先の篠咲の対応を見逃してはならない。


 ロコサビオは見ていた。

 ファルカタで受け止めた篠咲の斬り落としは、木製の角材であった。

 床中に散らばる瓦礫から拾い上げた物。しかも左手の片手保持。ならば右手は――。

 考える暇もなく視界に稲妻が走る。


 ロコサビオは知る由もない。

 二刀術が解禁された現代剣道に於いて必勝の技、剣道のハメ手とされた術理の存在を。

 小太刀にて刀身を押さえ、刹那、くの字に振り下ろす大太刀にて小手を打つという時間差攻撃。

 その起源は宮本武蔵の二天一流を起源とする流派の二刀術である。

 新免二刀流、【くの字打ち】。


 カウンターを返すはずのファルカタは、柄を握る右手ごと宙に浮いていた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] さすが最強格。ハンデ負ってなおこれか。 初見なら日本の剣術家が二刀流使ってくるなんて読めないだろうなあ……。
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