【六節】②
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――詐欺師。インチキ爺さん。
今日日のネット社会では秘奥を詰め込んだ演武ですら、いともたやすく動画として公開され世界中で共有されてしまう。
そしてそれを観た人々は溜息を吐くように嘲笑い、見るに堪えない感想を書き綴り、それすら共有されてやがて多数派を形成する。
多数派が形成されると厄介で、多数派であることが一種の信念や正義として個人に根付き、もはや術理の解説すら彼らには受け入れがたい批判となってしまう。
彼らは口々に言う。
――ならば実際に実戦で使ってみろ、と。
合気道赤羽派、成和館の赤羽清雪が事態を把握できたのは、その価値観が親族にまで浸透した後であった。
孫に罵られた清雪は暫し言葉を失い、こう返した。
「そうさ、あれはインチキなんだよ。昔はああやって見せることでみんなびっくりしてたもんだよ、はっはっは!」
半分は正解でもう半分は誤りであるが、道の上にいない者に解説する意味はないと割り切っていた。
合気には「虚」と「実」がある。
都合よく手首を掴まれて回転投げを掛ける。
都合よく差し出された手を掴み四方投げを掛ける。
そういった「虚」の状況は型の為の約束事でしかない。術理を知る為には受ける側も受け方を理解する必要があるからだ。
対して「実」、実戦の状況変化というものは非常に複雑である。
大抵の場合、暴れる相手を自ら掴みに行く必要があり、これを制するのは型通りには行かない。
しかし型と実戦が乖離しているというわけでもなく、全ては地続きで、型の応用を積み重ねて対応できる。
道とは何事も守破離である。
型を守り、型を破り、型から離れ自在になる。求道の先に自分だけの型を編み出す。
「虚」はその入り口になる演武である。
それが気、気功、勁などを謳うオカルト流派と同じ区分にされつつあった。
暴力を制し和解を旨とする信条から他流派との試合を禁じていたことも今ではマイナスに働いている。
噂の真偽を測ろうとする道場破りを追い返す日々が続くと、それを根拠に実戦性の欠如を問われてしまう。
技を隠すことで恐れさせ神聖視させるやり方は、もはや時代が進みすぎて通用しなくなっていた。
清雪は合気を公の場に引きずり出そうとする何かの意思を感じていたが、ある日それが形となって目の前に現れることになる。
一通の書簡。
差出人は篠咲鍵理。
「よりにもよって、棒振りの方かよ。小娘が」
嗚咽のように肩を震わせて清雪は笑う。
老齢で衰えていく筋力に歯噛みしていたが、武器術になればその差は埋まる。
喧嘩を売ってきた相手が合気剣術を所望とあれば、それこそ清雪が望むところであった。
武の本質はそれ自体が持つ威嚇にあり、看板が通じなければ戦闘を避けられずそれは護身とは言えない。
合気に喧嘩を売る相手を実戦の場で黙らせ、赤羽清雪の名を出せば誰もが恐れるような暴力の傷跡を世に残すことが必要だ。
後に続く者たちの為に清雪自身が伝説となり合気を完成させる――その覚悟は既に出来ていた。
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