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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十九話
213/224

【適者】⑥

   ■■■




「ほぉ、お前も生き延びたか。あー、えっと、……何て名前だっけか?」

「南場だよ。忘れんなよオッサン」


 薄暗い室内が紫煙で更に霞んでいる。

 連れてこられたのは喫茶店らしき店舗。

 世界的な健康促進の流れに逆らえず『喫』の意味を失くしてしまった軟派な店ではない。

 とはいえ他者の発する匂いを一方的に嗅がされるのは不快である。

 南場は手首の拘束を解いたおかっぱの中国人へ向き直り、努めて人懐っこい笑顔を作った。


「請給我香煙」


 呆れ顔で差し出された一本を口に咥え、続けて灯されたライターの火を先端で吸い込む。

 悪くない。

 中国煙草のグレードはピンキリであり、安い物は一箱百円程度、高い物は数千円に届く。

 吸い込んだ煙は中程度。良質なバージニアブレンドの合間に僅かな漢方薬の香り。日本でも出回る有名な品種であることが分かった。


「中国語を話せるのか?」

「いんや。煙草の要求だけは十ヶ国語で出来る」


 南場は煙を吹きながら椅子を引いて、由々桐の斜め前に座した。

 もう一方の斜め前には篠咲鍵理。

 道中で着替えた白のワンピースに紺のボトムスという現地の普段着姿。

 顔貌からはどのような感情も読み取れないが無警戒ではないだろう。

 ようやく実現した由々桐と篠咲の対談。まさか同じ卓に着くとは思ってもいなかった南場であった。


 無骨で重い木製の椅子。

 卓上には複数の茶器。煙草とライター。

 奥のカウンターには茶葉が収まるガラス瓶。

 背後の出入り口には案内役の男が三人。奥の卓に一人。間違いなく全員が銃を持っている。

 篠咲は武器を取り上げられ、南場は端から徒手空拳しか許可されていない。

 分が悪い。

 咄嗟の乱闘になったらテーブルを蹴り上げ、よく見えない店の奥へ退路を求めるしかない。


「お前らは私への配慮が皆無だな」


 ようやく口を開いた篠咲は場の煙たさで毒づいた。


「そういやそうだな。じゃあ至って民主主義的な多数決で決めるか?」

「篠咲さん、言っとくが俺はこの一服の為ならWHOとやりあってもいい」

「それは頼もしい」


 南場はようやく得た一服を脳へ行き渡らせていく。

 雑念ともいえる弱いシナプス結合が破壊されていくのを感じる。

 立ち位置は変わらない。

 レジスト内部に裏切り者が居ただけの話であって、由々桐との雇用関係を破棄する事態にはなっていない。

 つまりこの場で篠咲を守る理由は、無い。


「まずは半ば拉致のような連行になったことを謝罪しておこう。状況が状況でね」


 南場と篠咲は件のモーテルを飛び出してから一時間もせずに近郊の雑貨店で捕捉されていた。

 レジスト以外の動かせる組織を用意していた抜け目のなさには感心すら覚える。


「背中の監視を怠っていたのは地位を得た余裕か? 偉くなったもんだな」

「そんなところだ。ただどうもウチの内紛というよりは、俺とお前への個人攻撃が目的だ」

「暇人がいたものだ」

「恐らくは能登原貴梨子だろう。姉の後を引き継いで八雲會にも出資しているようだ」

「……」


 一瞬、南場には篠咲が驚きで言葉を失ったように見えた。

 言葉一つで彼女の鉄面皮が崩れるのは意外に思える。

 能登原といえば撃剣大会の主催者の一人だ。

 剣道界ではそれなりに名の知れた存在で、木崎の遅延行為に殺意を漲らせていた強面の女、能登原英梨子。

 その親族だろうか。


「英梨子の仇討ちか。まぁ妥当だな。妹なら資格はある」

「能登原英梨子は心底アンタを愛していたように思えた。心酔していたと言っていい。でも、アンタはそうじゃない。利用して散財させて使い捨てた」

「良心の呵責はあるよ。ただ、お前に指摘されるのは腹が立つ。英梨子を殺したのはお前だろ、由々桐」

「待て。そりゃ誤解だ。状況的に彼女を殺したのは八雲會かシロ教だよ。誰に殺されてもおかしくない状況まで追い込んたという点で、俺とお前を狙うのは正しいがね」


 南場は苛立っていた。

 完全に置き去りにされた話題から、自身がただ巻き込まれた哀れな一般人であることが分かるからだ。

 木崎の手伝いでコンサルタントを引き受けたが、他人が勝手に買ってきた過去の怨讐まで浴びせられる謂れはない。

 それでも南場は沸き立つ感情を一旦心底に押し返す。

 立ち並ぶ店舗の漢字看板と五香粉独特匂いで、ここが華僑コミュニティーの町であることは分かっている。

 集団入植と独自コミュニティを仕切るには現地警察に頼らない暴力が不可欠であり、それはマフィアの領分である。

 由々桐の出自は知らないが、中華系マフィアとの繋がりが今回のレジスト内紛から生還できた理由なのだろう。

 少なくとも逃亡中の南場と篠咲を追跡できるだけの情報網を有しているマフィア。

 まだ身を引くタイミングではない。


「南場、ご苦労だったな。お前の機転は存外頼りになるが、お前が望むならここで降りてくれていい」

「へ?」

「腹立たしいだろ? 俺がお前の立場だったら巻き込んだ奴ら全員殺す算段を立ててるよ。今回の件で労に見合う報酬は渡す。それで手打ちにしてくれないか?」


 突然向けられた提案に、南場は毒気を抜かれた。

 或いは、話術で機先を制されたか。

 食えない男だ。

 しかし提案自体はこれ以上無い落とし所であった。


「俺は」


 南場は言いかけた言葉を飲み込んだ。

 篠咲と視線が合う。

 吸いかけの煙草がフィルターを焦がし、灰皿に長い灰を落とした。

 くだらない雑念が脳内で火花を上げる。


「まだ降りねえよ」

「……そうか。なら引き続き付き合ってもらうぞ」


 篠咲に対して想うのは、恋や愛という浮いた感情ではない。

 ただ、放って置けなかった。

 実際のところ、モーテルの襲撃は彼女一人で抜け出せる程度のイレギュラーだったかもしれない。

 その事実が、少し悲しく思える。

 南場にすれば少女といえる若い身で、修羅場と冷静に向き合える人生経験を積んでいる。

 周りの大人は何をしていたのだろうか。

 今彼女を放置して舞台から降りれば、一生後悔しながら生きていくことになる。

 それは最悪の気分だ。

 だから、降りない。

 いや、やっぱり逃げたい。

 死にたくない。怖い。助けて。


 意識の背反を巡らせながら、南場は賽を投げた覚悟だけは受け止めることにした。

 結果的に後悔することになっても、今はこれが正解だ。


「話を戻そう。佐久間の潜伏先だが洋上投棄された船舶『エカテリーナ号』であることは分かっている。問題はその大きさだ」


 投げ出すように広げられた資料の一番上に写真が乗っていた。

 一見すればガラクタの山だが、よく見れば船舶の集合体であることが分かる。

 その中央には一際大きい豪華客船らしきものがそびえ立っている。


「クルーズ船エカテリーナ号。排水量九万トン、幅四十メートル、高さ三百メートル。二四階建てのビルに匹敵する空間を有している。十年前の座礁をきっかけに投棄され、所有する船会社は倒産。追随して不法投棄された船舶に囲まれ、環境保護団体の活動も激化し解体作業は事実上頓挫している」

「まるで一個の島だな。私が必要になるわけだ」

「そうだな、篠咲。招待状を持ってるアンタならすんなり会いに行けるのだろう?」

「どうだかな」

「そういえば、アンタの目的が不明なままだったな。佐久間に何の用だ?」


 緊張が走る。

 由々桐にとっては篠咲の目的などどうでもよく、彼女が佐久間の味方であっても従わせるだけだ。

 ただの興味本位。

 されど暴力を内包した質疑に場が凍りつく。


「八雲會に巻き込まれている知り合いがいてな。解放しないなら殺すだけだ。八雲會は佐久間が消えれば勝手に瓦解する」

「それは良かった。仲良くできそうだ」


 佐久間が篠咲の八雲會復帰を条件に出したらどうするのか。

 もしかして既に復帰を承諾しての会合なのか。

 その質問まで踏み込むことはなかった。

 言葉だけならいくらでも偽れる。

 由々桐とて目的を果たした後、篠咲を生かしておくのか分かったものではない。

 やっぱり降りておけばよかったと南場は後悔し始めていた。

 とりあえず篠咲の杞憂を払拭する材料だけでも提示しておかないと、また内紛に巻き込まれる。


「あー、今やってる八雲會興行だけど、すぐに終わると思うぜ」

「……何故そう言い切れる?」

「数時間前に木崎くんからメールが来てさ、何かそんなこと言ってた」


 南場は後ろを振り返り、出入り口を塞ぐマフィアに携帯電話のジェスチャーを送る。

 由々桐の承諾が出るとマフィアの一人が渋々胸元からスマートフォンを差し出した。

 先のボディチェックで取り上げられたものだ。


「おい。その携帯は支給されたものじゃないだろうな? GPSで足が付くぞ」

「俺個人の携帯だよ。こんな事もあろうかと別便で発送してたんだよ。あ、ローミング通信でアホみたいな請求来るけど、これオッサンにツケだかんな」


 卓上に差し出されたスマートフォンを怪訝な顔で覗き込む篠咲と由々桐。

 その構図に南場は吹き出しそうになる。

 抑え込んだ笑みで唇が震える。

 今まさに、二人の鬼が未知の現代文明と邂逅する瞬間が始まろうとしていた。


「多分、お硬いお二方には縁遠い話なんだろうけどさ、ユーチューバーって知ってる?」




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