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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十九話
211/224

【適者】④

   ◆




 特質たる眼を持ってしても不可視の闇。

 頼典は咄嗟に瞼を閉じて視覚への依存を切り離していた。

 灰をばら撒く神道流の忍術と同じ理論だが粒子の細かさが尋常ではなく、宙に浮かぶインクのような密度で広がっていく。

 眼球の粘膜に付着させることが目的に思える。

 忍術を知り尽くした雷電だが、一巴はまだ未知の引き出しを持っている。

 不出来ながらに研鑽を積んでいる娘をこの場で殺すのが少し惜しくなった。


 後退は読まれていると推測した頼典は、右方へと身体を倒しながら運足を刻む。

 その頬を掠めて風切り音が通り過ぎる。

 棒手裏剣にしては重い音。

 目眩ましは双方に効果があり、手放したナイフを拾い直す暇があるとは思えない。

 頼典は違和感に抗わず地に手を付けて進行方向を歪めた、――直後、小さな爆発音が迸る。

 前方から射出された小さな礫が地面に残した右腕を穿つ。

 皮膚の感触から件の黒煙を脱出できたことを確信した頼典は瞼を開き視界を通す。

 視線の先で投擲された鉄パイプの円筒が煙を上げていた。

 右腕の傷は散弾による裂傷。

 円筒の先端に散弾を差し込み、雷管に撃鉄の代わりの小石をテープで固定。

 それを直打法で投擲すれば着弾した地点から逆方向へ発砲できる。

 後方から飛来する注射器を回避した頼典は、古流の枠を越えた一巴の攻防に驚きを隠せず笑みを零す。

 注射器。毒物を皮膚から直接大量に注入するという発想は古流には存在しない。

 即席で手に入れた灯油やニコチン溶液など、刃物に塗布させるだけでは致死量に満たないものでも毒として扱うことができる。


 ――近代忍術と称するべきか。


 全ては今この瞬間の為に。

 齢十七の小娘でも人生の全てを復讐に捧げればここまで成る。

 意図していなかった娘の成長を目の当たりにし、頼典は感謝していた。

 存在意義のない使い捨てのガキでも、追い詰めようによっては新たな知見を齎してくれるのだ。

 この先も牛眼を受け継ぐことの出来ない失敗作は沢山産まれてくるだろう。

 彼らにも一巴と同じ人生を歩ませてやれば死ぬ気で術理を開拓していくかもしれない。


 足元から伝わる感触の変化で、頼典は初手でばら撒いた釘に誘導されていることに気付いた。

 釘に塗布された毒はギ酸と、皮膚への浸透力が高いカプリル酸の組み合わせ。

 殺傷能力は低いが与える痛みは刃物の刺突に匹敵する。

 しかし頼典が履いている足袋には踏み抜き防止の樹脂層が仕込まれている。

 地に落ちた釘を武器として使うにはもう一段階必要だ。

 分析と同時に鎖が頼典の口元に巻き付く。

 獲物を巧みに誘導していた一巴が背中合わせに立っていた。

 口、若しくは首に巻き付けた鎖を起点にした分銅鎖術の搦め技【(くつわ)】。

 首を狙えなかったので絞め落とすことはできないが、投げ落とせば自ら巻いた釘へ、宙返りで投げを脱すれば『雲』へと着地する。

 見事と言える攻防の終着点であった。


 惜しむべきは彼女の実戦経験の少なさにある。


 背負投げに入る一巴だが下肢の震えが技を阻害している。

 血流を巡るハシシが効いてきた頃合いだ。

 このまま投げるのを待っていれば演技がバレてしまう。

 一巴の描いた決着を覆す楽しみは失くなるが、最後の最後で実力が及ばなかった無能には残酷な現実を与えてやるべきだ。

 頼典は足袋で挟み上げていた釘を、背後の一巴の大腿部裏側へと振り下ろした。


 押し殺した叫び声が山間に木霊する。

 それでも一巴は鎖を握る手を緩めない。


 ――なんと憐れな。


 文字通り、この投げが万策尽きた最後の手綱なのだ。

 もう他に用意できる突飛な暗器は無いことを示している。

 手の力が緩めば終わり。

 本来ならそんな攻防しか残っていない時点で逃走してまた別の機会を窺うべきなのに、復讐に駆られた一巴は博打をしてしまった。

 命を賭けてしまった。

 再度釘を刺し込むと背中合わせの細腰が駄馬の如く跳ねた。


 ――もうよい。抗うな。


 無様な攻防の帰結を示すべく頼典は三度目の刺突の為に足を持ち上げる。

 そして、気付く。

 釘を掴んでいた足が、無い(・・)

 無くなった膝下から血飛沫が舞っている。

 同時に、正面に立っている少女を牛眼で捉えていた。


「あら、良い刀ね。ありがたく貰っておくわ」


 小柄な少女の手には先の攻防で手放した日本刀が光っている。

 刹那、膂力を絞り出す一呼吸を得た一巴は【轡】を敢行。

 二対一。

 卑怯ではない。ただ、与する仲間が存在する事に驚いていた。

 何の利益も齎さない失敗作でも死闘を共にする程の関係性を築けるのか?

 疑問の答えを得られないまま、頼典は残っている方の足で地を蹴り、投げに逆らうことなく加速した。


 投げ飛ばされる先は『雲』の真下。

 先手で撒き散らされた煙幕がその部分だけを避けて通ることで雲が形成されている。

 そこには充満するのは即死の毒ガス。

 アフリカでは迷い込んだ子供や小動物が怪死するという事故が後を絶たない。

 スワヒリ語でマズク(悪しき風)と呼ばれる二酸化炭素溜まり。

 活火山と繋がる地域の窪地に発生する天然のトラップである。


 だが、分かっていれば脅威とならない。

 呼吸を止めるだけで回避できる幼稚な罠と化す。

 環境を利用するだけでは適者とはいえない。

 真の適者たるは、環境も敵対する相手も利用できる者だ。

 紆余曲折はあったが敢えて窪地に投げ飛ばされた頼典は、充分に吸い込んだ呼吸を止めて懐から取り出した暗器を構えていた。

 手の平に収まる円形と前方に伸びる円筒。

 今だ銃器を入手できていないが作る知識は有る。

 雷酸水銀を起爆薬とし、握り込むことで発火させてベアリング球を射出する暗器【握り鉄砲】。

 勝利を確信した獲物が死体の確認に現れた瞬間を、覆す。

 何と心地良いことか。

 全てが意のままだと過信する阿呆をどん底に突き落とす感情の落差。

 金ばかりを求めてきた頼典だが、こればかりは止められない。

 仕事の中に生まれた些細な娯楽。

 高まるアドレナリンで破顔を抑えられない。

 頼典は忍術の進化に貢献してくれた娘の最後の瞬間を逃さないよう、牛眼を見開き――そして意識を失った。




   ◆




「説明して欲しいわ」


 敵と思しき男を投げ飛ばした一巴は、一目散に逃走を促していた。

 亜麗は一巴を支えたまま山間を一キロ近く駆け抜け、ようやく落ち着いた頃合いを見計らって質問した。


「えーっと、毒ガスっす」

「……そんな物持ってたの?」

「忍者っすから」


 大腿部の傷を消毒し、止血を終えた一巴は脂汗を滲ませながら気丈に笑顔を作る。


「旧日本軍は大戦終了期にナチスの毒ガスを購入してて、それが使用されないまま海や湖沼に投棄されてる事例があるんすよ。それらは催涙剤なら『みどり剤』、発煙剤なら『しろ剤』と色分けされてて、私が使ったのは『くろ剤』。神経ガスの『ソマン』ってやつっすね。サリンを超える気体の経皮毒なので呼吸止めても即死っす」

「ほとんどテロリストね、貴方」

「えへへ」

「褒めてないわよ」


 恐らくずっと以前から用意していたものだと亜麗は推測した。

 どんな手段を講じてでも必ず殺さなければならない因縁の相手。

 亜麗は決闘に水を差した罪悪感を僅かに覚えていた。

 そんな心中を察した一巴は、もたれ掛かるように体重を預け、亜麗を胸中で包み込んだ。


「亜麗ちゃん、ありがとう。本当に、ありがとう」

「やめなさい。苦しいわ」

「嫌っす。この感謝を受け止める責任があるっす」

「ないわよ」


 擦り付けられる頬の温もりは、滴る汗とは真逆の冷たさが感じられる。

 手助けしなければ死んでいたと自惚れる気はないが、一巴の無事に安堵がこみ上げる亜麗であった。


「傷の具合はどうなの?」

「問題ないにょ。カプサイシンか何かでむっちゃ痛かったんだけど、幸い麻薬みたいなのも打ち込まれたんで今はハイな感じかにゃ」

「そう。ならまず寝て薬を抜きなさい。語尾がおかしいわ」


 時刻は未だ日も変わらない夜半。

 闘技者が行動を活発化する暗闇の中、鉄華は今どこで何をしているのだろうか。

 身近な知り合いの為に逸る気持ち抑え込むことができた亜麗は、自身の心境の変化に苦笑しながら、一巴の側で眠りについた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 毒最強! 毒最強! とりあえず引っ越した、近所でトリカブトとトウゴマを探すのは基本ですね。麻は二の次w
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