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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十九話
210/224

【適者】③

   ◆




 金が欲しいと思った。

 金は全てを買える。全てを叶える。

 金の為なら頼典は命など何度でも投げ出せた。

 物を売り、知識を売り、技を売り、家族を売り、命を売る。

 そうして得た金でその日暮らし、気の向くまま、欲望が赴くままに生きていければそれでいい。

 己の前に己は無く、己の後に己は無し。

 流派の未来など知ったことではなく、自我が存続する限り全力の贅を尽くす。


 朽ち果てた忍術流派の家系に生まれ落ちた楠木頼典は、就学よりも先に人生の真理を掴んでいた。

 最も金になるものは人の命だ。

 そして命の価値は平等ではない。

 臓器移植の順番待ちに大金で割り込んでくる権力者がいる傍ら、戦争や圧政で無意味に刈り取られる凡百の命がある。

 これほど分かりやすい変動相場は他にない。

 このマネーゲームの面白いところは不平等の奪い合いが、至って平等な掛け金によって成立することである。

 相手を殺せる暴力を持っていれば、貧乏人でも盤上に賽を投げる資格があるのだ。

 汚泥を啜って生き長らえる貧者でも、一対一で相手を殺せる力があるのなら国家の代表にすら届く。

 暴力の平等というものは、銃弾を完全に無効化できる未来の発明が登場するまでは覆らないだろう。


 結局のところ、頼典が八雲會に辿り着いたのは運命でも天命でもなく当然の帰結であった。


 八雲會は単なる殺し合いの場ではなく、開催毎に裏の意味が存在する。

 不都合な人材の処刑であったり、富裕層同士の喧嘩の仲裁であったり、国家間に渡る利権の取り合いであったり。

 頼典にすれば、開催される理由から参加する人間まで余すとこなく金になる財宝の山である。

 依頼人から金を貰い、敵からも金を貰い、勝敗に関わらず賭博で勝ち、最後は依頼人を脅すか殺すかして利権を奪って転売する。

 八雲會が定めたルールを幾つか踏み躙る知恵さえあれば無限に稼ぐことが可能だ。


 しかし限界が見えていた。

 無限に広がっていくかに思えた八雲會の流れは、今まさに自重に耐え切れず瓦解し始めている。

 新設された国家安全保障組織は明らかに八雲會をターゲットにしている。

 司法取引目当てで情報提供した者が存在するのは明らかであり、この興行にもスパイが潜り込んでいるだろう。

 闇賭博の更に裏で行われているベネデンシア採掘権を巡る利権闘争は日本のみならず、米国、中国、中東を巻き込む代理戦争となる。

 敗者が八雲會の違法性を黙っているとは思えない。

 もう詰んでいる。

 主催者が上手く追求を逃れ、時を置いて再開するにしても数十年はかかる。

 齢五十になる頼典からすれば今生最後の興行となろう。

 ならば、用済み。

 八雲會崩壊を前提として次の目標の為に行動していた頼典は――足元に転がる出来損ないへの追撃を躊躇していた。

 それは血を分けた親族へ向ける情ではない。


「一巴、お前は何故ここにおるのだ?」


 最初の問答で『義父を殺す為』と言っていた一巴だが、頼典には理解できなかった。

 理由はどうあれ彼女が生きているのは養子縁組を許可した頼典のお陰である。

 母親の顛末で恨まれる可能性はあったが、そんな一円にもならない一時の感情に人生まで投げ出す意味が全く分からない。

 頼典は脳裏に浮かんだ別の可能性を問い質した。


「もしやお前、間者か?」


 闘技者でもないのに興行に乱入する意味を考えた時、一巴が主催者側かレジストという組織のスパイである可能性を捨てきれなかった。

 そう立ち回れるだけの教育はしてきた。

 事実なら次のスポンサー兼、獲物を手に入れたようなものだ。

 まだ生かしておく価値があるかどうか、返答を待つ頼典に一巴は溜め息混じりの笑みを浮かべて答える。


「憐れな性分ですね、お義父様。純金の墓でも立てますか?」


 頼典の揺らぎを察した一巴は言葉の最後に土を掬い、礫として投擲してきた。


「稚拙!」


 当然来るものだと予測していた頼典は左手で目を守り、同時に右手で棒手裏剣を二刀投射する。

 呆れていた。

 例え嘘であろうと、返答次第で僅かでも生き残れる猶予を作れたのに、それすら捨て去る娘に心底呆れた。

 親として、師として、教訓を与える期間はとうに過ぎている。

 一刀目は一巴が倒れていた地面に埋まり、二刀目は後転で起き上がった彼女の大腿部に突き刺さっていた。

 螺旋状に刻まれた溝には圧縮した大麻、ハシシが塗布されている。

 携行性に優れ、ペースト状に戻せば毒としても薬としても使える。

 致死量には及ばないが平衡感覚を狂わせるには充分。

 長期戦を潰された獲物の行動選択肢はあまりにも読みやすい。

 一巴が見つけたように、頼典もまた、煙幕漂う森林に不気味に浮かぶ『雲』を発見している。


 もはや前進しか活路のない一巴はたすき掛けで担いでいた背嚢を脱着し、投げつけてくる。

 頼典は防御していた左手でそれを払う。

 中に入っている金属の塊が重い衝撃を残したが、背嚢は狙い通り『雲』のある方へと飛んでいった。

 体勢を崩す演技で運足も同じ方向へ向けていく。


 案の定、追撃で飛び込んでくる一巴が見えた。

 煙幕による牛眼の無効化は悪くなかった。

 しかし近接戦闘になれば暗中でも一挙手一動足を鮮明に捉えることが可能だ。

 一巴の右手には先の攻防で使用した分銅鎖、左手にはサバイバルナイフ。

 そして初手は口元から吹き出される含み針であった。

 ほぼ同時に放たれた鎖分銅が大振りのフックで遠心力を高め、頼典の背後にある木立に引っ掛けられる。

 正面からは含み針とナイフの刺突、背後からは軌道を変えて戻る分銅。

 複数の暗器で逃げ場を塞ぐ【(いおり)】という近接術。

 一般的な剣術家なら居着く連携だが、同流派の師には通用しない。

 頼典が取った行動は、後退しながら首を傾けるだけである。

 それだけで含み針は空を切り、背後から迫る分銅は針を弾きながら一巴へ向けて戻っていく。

 一瞬で自爆技となった分銅を受け止めるべく、一巴はナイフの追撃を諦めて目の前に手を掲げる。


 ――阿呆が。


 頼典は既に踵を返している。

 相手の意図に乗って死地へと誘導されてやるのが馬鹿らしくなった。

 背嚢を投げ捨てた時点で手持ちの暗器は限られているのだろう。

 分銅鎖を手放すことを惜しみ、回避を選択しなかった愚さ。

 その隙を見逃す頼典ではない。


 戻り来る分銅。

 受け止める手に小さな袋が下がっていた事に頼典が気付いたのは、闇夜を見通す眼ですら全く効かない、僅かな光をも吸収する黒煙に包まれた後であった。




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