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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十八話
204/224

【紛争】③

   ◆




 屋台通りの雑踏を進みながら、ガラス瓶の反射で背後の敵を捉える。

 五人。

 服装はくたびれたTシャツだったりストライプのポロシャツだったり様々。

 顔は日に焼けていて現地に溶け込める堀の深いアジア系、というより雇われた現地人そのものだろう。

 銃は見えないが片手を後ろポケットや脱いだ上着で隠している。

 彼らの更に後方では薄汚れた白色のワゴン車がゆっくりと走っている。逃走用だろう。

 雑な仕事だと思った。

 この手の襲撃を生業にしている独特さは垣間見えるが、プロフェッショナルではない。

 近代化が進む東南アジアとはいえ貨幣価値は日本と大きく違う。

 生活のためにたった十万円程で人を殺す輩は存在する。


「襲撃だ。迎えを寄越せ」


 まずは逃走手段の確保として短い通話で仲間に連絡した。

 由々桐はバングラディシュに単独潜入しているのではない。

 組織として五名の精鋭を連れて乗り込んでいるが、その全てを佐久間と篠咲の捜索に割いていた間隙を突かれた。

 ついでに懐中のハンドガンは慣れ親しんだマカロフではなく、子ども用水鉄砲のような手のひらサイズで、装弾数は六発。

 典型的なサタデーナイトスペシャル、の更に模造品である。

 まだ入国したてで闇マーケットとの繋がりも薄い。

 このタイミングが偶然なのか、狙ったものなのか熟慮しなければならない。


 海洋汚染が進むとはいえ、海沿いは漁業とは切っても離せない。

 昼頃には寄港した漁師の賑わいが港町に押し寄せる。

 屋台の出店は観光客目当てではないのだ。

 人混みの密度が上がり、水揚げされた魚の売買で喧騒が飛び交う。

 これは襲撃者側の利になる。

 このまま人混みに紛れて逃げるつもりならば由々桐にとっての有利だが、そうではない。迎え撃つつもりだ。

 何事も初めが肝心。

 きっちり返り討ちしておけば小銭目当ての有象無象は二の足を踏む。

 そして返り討ちを考えるならば、人混みはよくない。

 隻眼で聴覚に頼る由々桐にとっての死地であるからだ。


 混雑する屋台通りから路地へ抜ける曲がり角に、半ば露店化している釣具店が見えた。

 由々桐はその店頭から釣り糸と飲料水とランプ用の燃料缶を掴んで、代わりに千タカ紙幣を置いて足早に駆ける。

 万引きすれば襲撃者を簡単に誘導できたが、まず確認したいことがあった。

 路地を抜けた先には錆びたトタンに囲まれた工場が見える。

 昼時の休憩中なのか、見た目通りの廃工場なのか人の気配が感じられない。

 丁度いいとばかりに由々桐はフェンスを蹴飛ばして中へと進んでいった。




   ◆




 闇に包まれる場内に、屋根の穴から陽光が溢れている。

 埃の舞い方からして人が活動していた形跡はない。

 乱雑に積まれた廃材とコードを残したまま剥ぎ取られた計器類が仕分けされて床の上に置かれている。

 船舶解体のスクラップ置き場、或いはリサイクル工場のようだ。

 休業中なのか。それも都合がいい。

 由々桐はスクラップの山から解体で使うハンマーと、計器から伸びるコードを引き千切って拝借した。

 そして鉄骨を並べただけのような階段を登って吹き抜けの二階へ移動する。

 階段の終わりには簡素なアルミ製ドアが立ちはだかる。

 ドアノブ中央に鍵穴が存在する円筒錠であることを確認した由々桐は、何の躊躇いもなくドアノブにハンマーを振り下ろした。

 場内に響く殴打音に混じって、反対側のドアノブにある施錠ボタンが飛び出す音が聞こえた。

 経年劣化で内部クラッチが緩くなる円筒状の典型的欠陥である。

 苦もなく二階事務所へ立て籠もった由々桐は内部を見渡す。

 一階の混沌とは打って変わり、ラグジュアリーな机とソファが存在する六畳程の空間。

 ここが工場全体を見渡せる『奴隷監視所』なのだろう。

 船舶解体の労働者は日雇いが多くを占め、廃材による怪我や毒物やアスベストによる健康被害も絶えない。

 世界経済の縮図のような工場。

 死んだ老婆の顔が一瞬脳裏を過る。

 由々桐は釣具店で購入した缶を開け、中の小石を床にばら撒く。

 その小石をハンマーで更に小さく砕きながら状況の整理に入った。


 敵が誰なのか、それは思い当たりが多すぎる。

 故に、何が『原因』なのかから考える。

 原因を探れば敵の実体も浮かんでくる。

 そういうものだ。


 トラブルの八割は金の問題だと由々桐は経験的に知っている。

 大抵の問題は金で片付くからだ。

 幸福は金で買える。金があれば些末な憤りを心に溜め込むこともない。

 現代人が抱える大抵の精神疾患は金で解決するとすら思っている。


 しかし金で由々桐を襲う輩はそれほど多くない。

 まず佐久間は有り得ない。

 山程金を持っている上、時間切れを狙って隠れている現状、積極的に由々桐を狙う意味がない。

 ゲームのイニシアチブを握っているのは依然として佐久間側である。


 次に内閣情報調査室と国家安全保障局。

 それぞれに野心を抱えた人物がいる。

 彼らには能登原の資産を押さえようと撃剣大会で暗躍していた過去がある。

 レジスト設立資金の出処をパーレビの遺産金として風評を広めようとしているが、それは同時に彼ら自身に暴力を行使できる大義名分がないことを露わにしている。

 赤軍の遺産金と断定できていれば接収できるが、関係者が死んだ今、恐らく彼らでは永遠に辿り着けない解答だろう。


 パーレビの遺産金を信じたアメリカとイラクが秘密裏に動く可能性もない。今はまだ(・・・・)

 状況証拠しか揃えられないのは明らかであり、彼らは今ベネデンシアのコンフリクトミネラル問題で首が回らない。

 採掘特許の多くを掌握する中国も巻き込み、紛争にならない瀬戸際で静かな戦争をしている最中である。


 現時点、金の問題で襲われる理由はない。

 つまり残りの二割、愛欲の問題だ。


 由々桐は右眼の眼帯に軽く触れた。

 遠い過去、愛した女がいた。

 だがそれは愛だと思い込みたいだけの幼稚な恋であり、結局の所、金で裏切られ代償に右眼と女を失った。

 これも金の問題に分類される。

 恋、つまり一時的な性欲は金で片付く問題であり、愛欲は金では解決しない。

 理論理性ではなく、個人の感情的な問題であるが故に予測できない結末へ向かう。

 厄介だな、と由々桐は思った。

 その手の憎悪をぶつけてくる敵で、殺し屋を雇える財力と人脈を持ち、更に由々桐群造という個人まで特定している。

 話し合いで落とし所を探るのは難しいだろう。


 そして、放り投げた賽も悪い出目で止まることになる。

 工場周辺に襲撃者の足音が聞こえた。

 潜伏場所の特定が早すぎる。


 コンセントに差した二本の導線の一方を釣り糸でドアノブと結んでから、砕いた小石にペットボトルの飲料水をかける。

 石には僅かな硫黄臭があったが、充満していく気体は無味無臭である。

 釣り人がランプの燃料として使用するカーバイド。

 水と反応させるとアセチレンという可燃性ガスが発生する。


 準備を済ませた由々桐は静かに事務所の窓から屋根へと脱出して、襲撃者の後方へと回り込む。

 足音は一人増えて六人分。

 待ち伏せを警戒して逃走車の運転手も襲撃に参加したのだろう。

 慎重なのは好ましい。

 それだけガスが充満するからだ。


 襲撃者が場内に侵入して十分後、ようやく階段を登る音が聞こえた。

 二階へ向かうのは三人。

 二人は一階、一人は入り口の見張り。


 満を持して解き放たれたドアの音。

 即座に短絡させられたコンセントが火花を上げ、室内に充満するアセチレンに火を付ける。

 爆発で窓ガラスが弾け飛んだと同時に、由々桐は角から飛び出して見張りの頭部へ二発発砲。

 そのまま場内に侵入し、音源を探る。

 階段下には爆発の衝撃で倒れる男が三人、廃材周りに二人。

 無傷の男らにそれぞれ二発ずつ発砲して、銃のスライドがロックされたことを確認した。

 思いの外精巧な働きをした安物の銃に感謝して投げ捨てた由々桐は、射殺した襲撃者の手から新たなハンドガンを毟り取る。

 ベレッタM92の安心できる手触りが幾らか心に余裕を作った。


「英語か中国語が通じるなら、生かしてやるよ」


 出来ればこの場で首謀者を暴きたいが、ベンガル語は分からない。

 英語と中国語で二回投げかけた質問への返答はなく、一拍の溜め息の後、由々桐は引き金を三回引いた。




   ◆




 屋台街の喧騒と隣合わせとはいえ、爆発の衝撃は近隣家屋を震わせている。

 由々桐は人集りができる前に奪い取った白いワゴン車を発進させ、海沿いの海岸線をゆっくりと流していた。

 視界の端ではカーナビの地図表示が忙しく目的地の旗表示を切り替えている。

 ナビが示し続ける目的地はこの車に他ならない。

 最悪は重なる。


「ツイてないぜ」


 愚痴のような独り言を吐いた後、由々桐は携帯電話からSIMカードを抜き取って窓から投げ捨てた。

 するとナビの目的地表示が消え、同時にGPSをONにしろと促し始める。

 連れてきた仲間か舞園梨穂の裏切りを念頭に置かねばならない事態。

 煙草を探して体中のポケットを探る手が空振りし続ける。

 どこかで落としたのだろう。

 車の灰皿から拾い上げたシケモクを伸ばして火を付けると、クローブタバコの甘ったるい匂いが口内を埋め尽くして蒸せた。

 本当にツイてない。

 運否天賦というものはカルマの積み重ねと直結する時がある。

 妬み嫉み恨み憎しみを抱えすぎると思わぬ横槍が入ることがある。

 由々桐はここらが潮時かもしれないと思った。

 レジストという組織はいつ投げ捨てても構わない程度のものだ。

 赤軍遺産金にアクセスできるのは由々桐のみであり、世界のどこにいても同じ道のやり直しは可能である――


 ――本当にそうだろうか?


 思考を中断する疑問が生まれた。

 赤軍遺産金を知る者は存在する。

 由々桐と山雀、篠咲、そして元赤軍関係者。

 中国共産党は百瀬を取り込めなかった以上、実態を把握できていない。

 暗仁幇も同じだ。

 一番近付いた能登原はもうこの世に居ない。

 能登原の妹はどうだろうか?

 舞園の報告では姉の意志を継いで八雲會に出資し始めたとのこと。

 姉が撃剣大会で求めていたものに辿り着いたとは考えられないだろうか。

 由々桐の疑問は解答に結び付く。

 能登原の妹は八雲會に闘技者を派遣している。

 その一人が春旗鉄華だ。

 百瀬が接触し割符を授けようとした娘。

 彼女の参加動機は不明だが、何の伝手もない彼女が能登原を利用する手土産を用意するのは当然。

 つまり、今横槍を入れてきているのは能登原貴梨子の姉への愛情だ。

 GPS情報を横流しする理由があるのは能登原と親しい秘書の舞園だけ。

 敵は見えた。

 問題はもうレジストの仲間を信用できないこと。

 佐久間と能登原を相手にたった一人で戦わなくてはならないこと。


 ――なんだ、いつものことじゃないか。


 一人で生きて一人で死ぬ。そんな仕事を三十年続けてきた。

 レジストの資金源は赤軍遺産であり、出金を制限するのは簡単なこと。

 バングラデシュには中華系移民が多く、恩を売っていた青幇の伝手もある。

 臆することなど何もない。

 カーステレオからは陽気なバングラ・ビートが流れている。

 由々桐は目下の問題である篠咲の扱い方を考えながら、ラジオのボリュームを上げて、煙草の代わりに窓から流れ込む潮風を堪能した。




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