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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十八話
203/224

【紛争】②

   ■■■




「くはは、パーレビの遺産と来たか。夢のある話じゃないか」


 電話口に向かって笑みとタバコの煙が溢れた。

 南国の陽気に当てられた由々桐群造には全ての政争が喜劇にすら思えている。

 レジスト設立に伴って敵側にも一応の地位を用意していたが、それでも満足できない愚者が欲をかく。

 幾千もの歴史と創作が描いてきた破滅の始まりだ。

 通話の向こう側では能登原家の秘書、舞園璃穂が声を荒げている。


『笑い事ではないです。相手方は証拠を揃えつつありますよ』

「捏造だろ。反証と秘匿特権で時間稼ぎできれば充分。アメリカもイランもそれどころではなくなるからな」

『……今、どこにいるんですか所長』

「バカンス中につき秘匿特権を行使する」

『佐久間は見つかりそうですか?』

「どうだかね。こっちは気の遠くなる虱潰しだよ」


 屋台の粘着く油煙から目を背けた先は海が広がっている。

 澄み渡る快晴の下にあるのは、廃油で淀む黒波。

 海洋汚染の流出先は言わずもがな、海岸線に数百と並ぶ解体待ちの船舶からであった。


 ここはバングラデシュ南東部、チッタゴン。

 収益の大半を貿易と海外投資によって支えられているバングラディシュの玄関である。


「ヘーイ、バロタケン」

「センキュー」


 まだベンガル語が身に付いていない由々桐は屋台店主に英語で返した。

 或いは、こういった感謝の言葉を軽々しく口に出す習慣がない国だったようにも思える。

 受け取ったのはフスカと呼ばれる伝統的な屋台料理。

 球状の揚げパン(プーリー)にマッシュポテトを詰め、その上にゆで卵、トマト、きゅうりのスライスを乗せ、タマリンドソースをかけたもの。

 タマリンドの癖になる甘酸っぱさが口内に広がる。

 炭水化物多めで腹に溜まる。エスニックなコロッケと称するべきか。

 海を眺めながら七十円ほどの屋台料理で腹一杯になれるというのは悪くはない。

 喫煙にも寛容なお国柄であり、東南アジアお得意のクローブタバコのみならずイギリス植民地時代に流入した銘柄も入手できる。

 これだけ揃えば充分幸せだ。

 これが本当にバカンスだったのならひと月くらいは滞在したいと思える由々桐であった。


 船舶解体は大きなビジネスになる。

 解体費用のみならず、廃材、中古機器の徹底したリサイクルが可能であり、格別に人件費が押さえられる途上国のビジネスとして人気がある。

 しかし一方で、マンパワーに頼りがちな途上国の作業には多くの問題が存在しているのも事実。

 多くの場合、潮の干満差で五メートル近く海岸線が変化する地点で船を故意に座礁させて、その場で解撤する『ビーチング』という手法が取られる。

 廃油の流出、人力による解体と運搬。

 船をウインチでドライドックに引き揚げる船舶解体ヤードなど、少し郊外へ行けばどこにも見当たらない。

 深刻な環境汚染と人災を問題視されながらも、世界的な不況の煽りを受けて船舶解体の需要は増え続ける一方。

 シップリサイクル条約が制定された今も、汚れ仕事を引き受ける途上国の実情は大きく変わらない。


 この解体待ちの船の墓場のどこかに佐久間現果が潜んでいるというのだ。

 由々桐は溜め息で紫煙を吐き出した。


 日本とバングラディシュの関係は決して悪くはない。

 国旗の相似性からも親日的国家と言ってもいい。

 しかし日本が犯罪者引き渡し条約を結んでいるのはアメリカと韓国だけであり、これは死刑制度の存在が障害となっている。

 同じく死刑制度が存在するバングラディシュならば交渉次第で国籍の曖昧な佐久間を逮捕可能かもしれないが、それでも時間が足りない。

 八雲會興行が開催されている一週間以内に解決する外交問題ではない。

 佐久間汽船の代表として現地に利益を齎している人物であるのは事実で、汚職が進んでいれば交渉にも様々な横槍が投げられるだろう。

 火急の手段として取れるのは、日本の諜報機関が現地入りしていることを悟られず、痕跡すら残さず、始末して出国するのみ。

 その難易度を引き上げているのが立ち並ぶ廃船群である。

 虱潰しと言ってはみたが、複数の解体業者を調査してインベントリの齟齬を探したり、解体待ちの船舶に乗り込んで臨検する権限はない。

 確実だと目星を付けた一隻に隠密行動で侵入するのが精一杯である。


 吉報を待つしかない由々桐は半ば開き直るように観光を楽しみ始めている。

 その時――懐中の携帯電話が着信で振動した。

 休暇なく奔走し続けた日々の報酬。ようやく仕事気分を払拭できた矢先。タイミングが悪い。

 由々桐は舌打ちしながら吉報たる通話に応じた。


「アッサラム、こちら由々桐」

『……久し振りだな』

「そうでもないだろ? 最後に会ってからまだ半年ほどじゃないか」

『む。そう言われてみればそうか。随分老けた声に聞こえるぞ』

「タバコ吸う以外やることなくてね」


 電話口の女は、由々桐が煙を吸って吐くまでの一呼吸を待ってから本題に入った。


『で、私に何か用事か?』

「同じ国内通話で惚けるなよ。アンタに会って話がしたいだけだ、篠咲鍵理」

『悪いがお前はタイプじゃない』

「つれないなぁ。もしかして、佐久間みたいに幼稚な夢想家の方が好みだったりするのか?」

『バカ言え。あいつは最悪で、お前はその次くらいだよ』

「はっはっは! 俺も同意見だよ。仲良くできそうだな。ところで口調変えたのか、アンタ」

『はぁ、どうでもいい。会いたいならお前が足を運ぶんだな』

「もちろんさ。指輪と花束持って会いに行くから覚悟しろよ」

『斬り殺すぞ』


 通話の切れた携帯電話を懐中に戻して、由々桐は暫し海を眺めた。

 撃剣大会から半年、潰えた夢の果て、何を思いまた八雲會に接触するのか。

 毒に侵された身体とはいえ、近接戦闘では油断できない相手。

 もし、今だに革命家の因習に囚われているのなら、この手で終わらせなければならない。

 その責任が由々桐群造にはある。

 覚悟を確かめるように懐中のハンドガンの位置を確かめた由々桐は、――背後から迫る複数の足音を聞き逃さなかった。




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