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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十七話
201/224

【梵我】⑧

   ◆




 有り得ない、起こり得ない、という思い込みは現実逃避でしかない。

 ケースの想定と準備。

 イレギュラーの分析と対策。

 互いに罠を仕掛けながら回避もする、そんな心理戦が実戦の核となる。


 引き金を引き、衝撃を肩とバイポッドで支え、マズルフラッシュが一瞬視界を覆う。

 次の瞬間、スコープから女が消えていたことで山雀は居着いた。

 しかし備えていた身体は反射で動く。

 即座に倍率を変更し、左側に身を沈めて回避していた滝ヶ谷に再度レティクルを合わせていた。

 スコープ越しに視線が交差する。

 滝ヶ谷はこちらを見ている。

 笑っている。

 射角と反響音から、三百メートル隔てた山林に潜む狙撃手を正確に把握している。


 山雀は迫られた選択に舌打ちした。

 一度意識を向けられてしまうと狙撃の命中精度は大きく下がる。

 滝ヶ谷は遮蔽物に隠れることなく射線上に自分と木崎を並べる位置に立ち、風に揺らめくようなステップを刻んでいた。

 回避できる自信があるのだ。

 どのようにして銃弾を察知しているかは問題ではない。

 一度目を回避された現実を受け入れて対策をしなければならない。

 再び姿を晦まして射角を変えるか、このまま距離に守られながら牽制の狙撃を続けるか。

 山雀は喉元に手を当て、確固たる意思で第三の選択を告げる。


「木崎、撃たれる覚悟を決めろよ」


 即席のコンビである相方に無慈悲な無線を飛ばしながら、グリップを握る右手親指でセレクターをフルオートに切り替えていた。




   ◆




 突如、鼓膜を揺らす山雀の声。

 敗北が見えていた勝負に差した光明。

 木崎は半ば折れかけていた闘志を立て直した。


 ――しかし、それでどうにかなるのか?


 眼前では薙刀を小脇構えで保持する滝ヶ谷香集が距離を詰めて来ている。

 もはや銃撃ですら通用しない人外。

 いきなり使い始めた緩急ある歩法にも木崎は全く対応できていない。

 恐るべき事に、彼女は戦いの渦中で劇的な成長を続けているのだ。

 木崎自身、格上の相手と戦うことは何度も経験している。

 それでも結局の所、同じ人間が相手であるならフィジカルもテクニックも大きな差はなく、メンタル面だけで覆る勝負も少なくないことを知っている。

 だが、滝ヶ谷香集に於いては未だ強さの上限が見えない。

 初の経験。

 割れたガラス製コーヒーサーバーを武器として構えているが、一発で致命傷を与えなければ反撃でこちらが死ぬ。


 狙撃の轟音とともに銃弾が地面を抉った。

 着弾点は木崎の視界の左端で、四メートルは離れた位置。

 狙いが逸れたのではない。

 続く連射が徐々に木崎の方向へと迫り来る。

 足元を狙うのではなく、木崎に当たることになってでも確実に滝ヶ谷の胴体を貫く角度。

 背後からの射撃を回避した滝ヶ谷へ向ける心理戦、それが山雀の答えなのだろう。


「アホか。さっさと隠れろ」


 木崎は喉を押さえて通信を飛ばす。

 撃たれて死ぬのは構わない。

 しかし、今、山雀が取るべき行動は木崎の援護などではなく通信の解析である。

 そもそも本気で滝ヶ谷を殺そうとするなら、身を潜めて時間を変えて再び狙撃できる瞬間を狙うべきなのだ。

 木崎は狙撃手の有利を捨てて掃射を選んだ山雀に、彼自身の甘さを見た。


 当然のごとく、滝ヶ谷も気付いている。

 山雀は木崎を撃てない。

 仲間を見捨てることが出来ない。

 故に、避ける必要もない。

 不動の精神を笑みに変え、一歩一歩確実に間合いを詰めていく。

 そして迫り来る掃射が木崎の左足を掠めた瞬間、滝ヶ谷は跳躍した。

 山雀の心理を投影するかのように、滝ヶ谷の足元の地面が爆ぜる。

 撃てなかったのだ。

 木崎ごと射殺する最後のチャンスを掴めなかった。


 誰が責められるだろうか。

 木崎は何も変わらない絶体絶命の死地の只中で、笑みが溢れた。

 山雀州平という人間を形作る何かが垣間見え、腹の底から笑いが込み上げてくる。

 決して嘲笑などではない。


 薙刀の間合いを飛び越して目の前に落ちてくる女に向けて、木崎は真っ直ぐに直突きを放つ。

 手には割れたコーヒーサーバー。

 狙いは喉元。

 当たれば必殺だが、こんな愚直な攻撃が通じるほど滝ヶ谷は甘くない。

 落下しながら振り回していた薙刀の柄が、木崎の直突きを難なく弾き飛ばしていた。


 木崎は、着地した滝ヶ谷と触れ合うほどの距離で相対する。


 着地の足元を払うことも出来た。

 即座に組み付いて柔術戦に持ち込むことも出来た。

 しかし動けない。

 今や万策尽き、この身で出せる全ての意図が通じない相手だという理解だけが思考を支配していた。

 殺し合いは、或いは恋愛よりも濃密に相手を理解できてしまうのだろう。

 八雲會という狂気に絆されていく者たちの心境を、木崎は死の間際で感じ取っていた。


「姐さん。遺言聞いてくれよ」

「いいでしょう」


 互いの息のかかる距離で木崎は滝ヶ谷の瞳を見据える。

 漆黒の双眸が木崎を見つめ返す。

 きっとどんな言葉もその深淵に吸い込まれて、意味もなく漂う塵のようになるのだろう。


「アンタは哀れだな。こんな場が無くとも、世界は面白いぜ」

「……それだけ?」

「それだけ」


 木崎は本心からそう思う。

 古流に全てを捧げて生きてきたのは、それが楽しかったからだ。

 だが今なら断言できる。

 現代の競技の枠中で工夫を凝らす楽しさこそが至上であり、興味本位で踏み込んだ八雲會にはそれが無い。

 有るのは虚しさだけだ。

 過去の流祖だか親だかの怨念を背負いながら行き着くところまで行ってしまった奴ら。

 死闘中の相互理解という麻薬で世界から目を背ける廃人ども。

 くだらない。

 最後の最後で甘ったれな人間味を見せてくれた山雀の方がよっぽど面白い。


 死を受け入れた木崎に、死神の腕が伸びる。

 人外の握力を有する指先が頸部を掴んで支え、反対の頸動脈を狙って滝ヶ谷の頭部が近づいてきた。

 古流の絞め技か、噛み付きか。

 木崎は痛みを切り離そうと思考を鈍化させる。


 滝ヶ谷は数度鼻を鳴らし、木崎の鎖骨周りを周回する。

 それから、息を吹きかけるように言葉を紡いだ。


「臭いわ。まるで獣の匂いね。何日風呂に入ってないの?」


 木崎は閉じていた目を開ける。

 目鼻の先にいる滝ヶ谷からは血臭に混じり花のような匂いも漂っていた。


「何だよ。ダウニー使ってたら許してくれんのか?」

「さて、どうしましょうか。殺すべきかどうか分からないのよ」


 覗く双眸こそ狂人の色だが、思考の軸は振れていない。

 持論を検証している過程の正義の味方。

 法を無視して、自らに課したルールを遵守する頑固者。

 故に狂人。

 説得は不可能だったが、ようやく言葉が届いた。

 死の覚悟から一変して猜疑心と安堵が込み上げた木崎はおもむろに胸を突き飛ばされ、崩れたタープテントの上を転がる。

 敗者の無様を冷たく見下ろす滝ヶ谷は、「とりあえず保留」と告げる。


「甘ったれな相棒に感謝することね。その生命、預けておいてあげるわ」


 そして、テントごと木崎を飛び越す跳躍の最中、「今はね」と付け加えて背後の茂みへと消えて行った。

 追うことなど出来ない。

 取り残された木崎は惨敗の失意と、生存の歓喜で自分の思考を追うことすら出来ない。

 無線を介して山雀が何か言っていたが、全く聞き取れなかった。


 八雲會興行一日目、正午。

 死臭と静寂だけが漂う山中にて、木崎三千風の戦いは終了したのであった。




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