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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二話
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【邂逅】①




 「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。保護者の皆様にも心よりお祝い申し上げます。今年で創立九十週年を迎えることになる本校は、戦前の中等教育を行っていた女学校時代から続いているという歴史と伝統ある学校です。名称でもある『刃心』という漢字に注目していただきたいのですが、元々は尽くす心と書いて尽心としていました。それが敗戦という転機を経て変更された背景には当時の――」


 私立刃心女子高等学校は県内唯一の女子校である。

 平均的な学力で入れるが学費が高額なため、一般的には公立を狙う学生の滑り止め校という共通認識があり、単願受験の数は少ないとされているお嬢様校である。

 そんな刃心女子に鉄華はこの春から通うことになる。


 例年に無く単願受験が少なかったことで推薦枠を獲得できたことは運が味方したと言える。

 特待生ではないが一部学費の免除が付いたことも、スポーツ推薦を考えていた母親を説得する材料として役立った。

 一番危惧されていた学力も夏の大会以降何度も補習を繰り返した甲斐あってか、最終的にはなんとか合格ラインを超えることができた。

 剣道を諦めるのであれば新しい道を模索していかなければならない。

 学力を上げてより良い進学先を選び、今後の可能性を広げていくのは彼女にとって目下の最重要課題である。

 新たな道の始まりに立った実感で万感胸にせまる思いの鉄華であった。


 しかし、入学式が執り行われる厳粛な空気の中、周囲の視線を集める鉄華はどこか居心地の悪さも感じずにはいられなかった。

 異質な存在を眺めるかのごとく遠巻きに観察しては感心の溜め息をついたり、或いは嘲笑の笑い声を押し殺したりしている。


 高校一年になった今、鉄華の身長は百九十センチを超え、周りを押しのけて、文字通りそびえ立っていた。


 中三で頭打ちだろうと思っていた成長期は終りが見えず、この勢いでは二メートル台に乗り上げるのではないかという不安が過る。

 まるで草花だと思って水をやっていたらみるみる成長して樹木になってしまったかのような誤算を自分自身に感じていた。

 突出した身長は目立ちすぎる上に、過度な見下ろしで相手に威圧感を与えてしまう。

 それに加えて目付きも鋭く、充分に鍛えられた肉体を持ち、剣道の実績もあるという鉄華は、同年代の女子からは避けられてしまう傾向にある。

 女子相手のファーストコンタクトでは誤解を解くことから始めるのが彼女のコミュニケーションの基本だ。

 この後に控えている教室への移動を想像しただけで気が滅入るようであった。




 剣友会には、例の事件以降顔を出していない。

 あの日に剣道人生に区切りを付けられたのかは分からないが、それ以上関わる必要性を感じなかった。

 未練を感じたとしても全ては過ぎてしまったことだ。

 市役所職員の渡部が一方的に送りつけてくるメールの文面によると、一ノ瀬も徐々に復帰を果たしているらしい。

 例の女はあれ以降一度も現れていない。

 名前は分かっていたので彼らはそれぞれのツテを使い独自に調べたらしいが、剣道歴も犯罪歴も無く、個人情報保護の観点からそれ以上探すことは不可能とのことであった。


 小枩原泥蓮と名乗る女はあの日、売名するでもなく、交流するでもなく、披露する場もない己の技を試す実験台として一ノ瀬を襲った。

 それはもはや時代錯誤な武士の世界だ。

 古流として今も伝わる流派は無数にあり、実際に道場を構えて指導しているところもあるにはあるが、女は流派名を名乗ることすらしなかった。

 その過酷で無意味な自己満足を想像した鉄華は、彼女の壮絶な人生を哀れにさえ思うようになっていた。

 一時期感じていた憧れのような感情が消え失せるのも時間の問題だ。




  ■■■




 案の定、式が終了して教室へ移動した後、鉄華はボッチ化してしまった。


 今はカリキュラムの説明が終わった後の休み時間で、初顔合わせのクラスメイトが歓談している最中であるが、鉄華は更なる居心地の悪さで辟易していた。

 周りを見渡せば隣の席同士で、或いは同じ中学の仲間同士で会話をしつつ、携帯のアドレスを交換し合っている。


(は、話しかけれない……)


 コミュニケーションが苦手というわけではないと勝手に思っていた鉄華だが、剣道に全てを注ぎすぎた三年間のせいで想像以上にコミュ力が退化してしまっていた。

 思い返せば小学校までは孤立することなく過ごしていたように思う。

 未知の緊張と向かい合った鉄華は、椅子から立ち上がれず手汗を握りしめて縮こまるしかなかった。


「ねえねえ、春旗さんだよね?」


 不意に背後から声をかけられた鉄華は不覚にもビクリッと背を反らせる。


「ご、ごめん! なんかごめん!」


 声をかけた少女は驚かせてしまったことを詫ながら、椅子からずり落ちそうな鉄華の肩を支えてくれていた。


「は、はは……」


 情けなくて泣きそうになっていた鉄華は、改めて声の主を観察する。

 ゆるふわウェーブな長髪に銀縁の眼鏡。細身で平均的な身長。

 肩を支えてくれた指先は爪先まで綺麗に整っていた。

 剣道関係者ではない。

 悪い癖だ。

 それが全てであったが故に、どこかで打ち倒した誰かだと疑ってしまう。


「あの……、どこかで会ったことある?」

「むー、西織だよぅ。西織(ニシオリ)曜子(ヨウコ)。同じ小学校だったのに私だけ覚えてるなんて酷い!」 


 頬を膨らまして抗議する曜子であったが、鉄華はさっぱり思い出せないでいた。

 いくらなんでも小学校時代の友人を忘れる程に脳筋になったつもりはないと必死に記憶を手繰るが空回りし続ける。

 せっかく訪れた孤立脱却の救いの手がスゥと音を立てて離れていくような重い沈黙が続いた。


「あ、あははは……ま、まぁクラス違ったし、あまり話したこともなかったからね……」


 曜子は大げさにうなだれて消沈してみせたが、すぐに立ち直り鉄華の手を取って目を輝かせる。


「ま、これからは同じクラスだしね! よろしくね鉄華ちゃん! あ、名前で読んでもいいよね? 私のことはヨーコでいいからさ! そーだアドレス交換しよ! ほれほれ携帯出してみ? 出してみ? 同中の友達いなくてさぁ、なんか疎外感感じてたのよね! 鉄華ちゃんがいて良かったよ!」


 息継ぎなしに捲し立てる曜子のコミュ力に気圧されてスマホを取り出した鉄華は、困惑と同時にぼっち状態を脱却した安堵を感じていた。

 そして過去の知り合いなのに顔すら覚えていないことが酷く失礼な気がした。


「よ、よろしく。ごめんね、なんか覚えてなくて……」

「いいのよいいのよ! そもそも鉄華ちゃんは有名人なんだからさ、私が一方的に知ってるだけなのも仕方ないよ」

「? 有名人? 私が?」


 虚を突かれた鉄華は曜子の目を見て固まる。


「またまた~、鉄華ちゃん剣道激ヤバじゃん。日本最強じゃん」

「ちょっと待って。最強なんかじゃないから…」

「だって全国で優勝したんでしょ? やっぱ刃女でも剣道部入るの?」


 中学生の女子剣道とはいえ全国で優勝したのなら、狭い社会ではそれなりの知名度はあるのかもしれない。

 少なくとも同じ校区だった曜子が知っているのはそういうことなんだろう、と鉄華は推測する。


 但し、必要以上に広まって剣道部の勧誘を受けることだけは避けたかった。

 世の中、剣友会の面々のようにサラリと聞き流してくれるような人間ばかりではないのだ。


 推薦入学の内申点に部活動の成績が含まれていたのは言うまでもなく、面接試験では当然の如く剣道を続けるかを問われた。

 対する返答は「まだ決めかねている」という曖昧な返ししか出来ていない。

 それでも合格させたのは学校側なので、結果的に剣道を続けなくても非難される覚えはないが生徒たちはその事情まで知らない。

 つまるところ、剣道部の人間が鉄華の経歴を知れば放っておく訳がない。

 そこには齟齬が生まれる。


 中学剣道では個人戦で突出していた鉄華だが、団体戦は地区予選の一回戦で負けている。

 彼女たちは和気藹々とした部活動ごっこで思い出作りをする以上のものを求めていなかった。

 真面目に稽古すれば笑われ、全力打ち倒せば恨まれる。

 志は低く、向上心は無く、人形相手に打ち込みをする方がまだまともな稽古になった。

 いつか顧問に「相手を思いやったり、折り合いを付けたりすることは社会に出てからの処世術になる」と諭されたが、それはもう剣道である必要がない。

 何を人生の軸にするかなんて人それぞれだから、誰かの一面だけを切り取って怠惰だと蔑むつもりはない。

 ただ、どうしようもなく見ている方向が違うのだ。


「ごめん、剣道はもう辞めたんだ」

「あらら、そうなんだ」


 曜子は特に驚く表情もなく受け流したかのように見えたが、顎に手をおいて少し沈黙した。

 それから配られた資料やプリントをごそごそと漁り出す。


「ん~、でもさ、確か部活動への所属義務があるとか書いてあったと思うよ。鉄華ちゃんは剣道部以外でどこか決めてるの?」

「……所属義務? マジで?」

「マジマジ。あった。ほらここに書いてある」


 差し出されたプリントには部活動の紹介と所属義務が学校の歴史とともに書かれていた。

 鉄華は小さな懸念でしかなかった問題が足元から絡みついてくるような気配を感じる。


「なんでも、午後からは部活の勧誘・見学会があるみたいだよ。あ、せっかくだから私と一緒に見回らない? 私は文化部中心に回るつもりだけど」

「……うん。私もそうしようと思う。運動部は……もういいかな」

「あはは、きっと運動部の方に顔出したら鉄華ちゃんの取り合いで揉みくちゃになっちゃたりしてね」


 曜子の何気ない予想はまさに問題の核心をついていた。


 彼女たちは知らない。

 教室の外から鉄華を監視する怪しい影が数名控えていることを。

 ある者は屋外の茂みに、ある者は樹木の上に潜み教室の様子を窺っていることを。

 そのいずれもが運動部の主将、もしくは顧問の教師であることを。

 実際のところ剣道部だけでなく、薙刀部が、フェンシング部が、バスケ部が、バレー部が、バドミントン部が、貴重な人材確保のために策を練り、断ることのできない熱烈な接待を用意していたのだ。


 文化部を見に行くという曜子の提案が、彼らの強引な策略を前提から崩してしまったことには、彼らも鉄華も曜子もこの時点で気付くことはなかった。




   ■■■




『こちらアルファ、玄関の人混みで目標を見失いました。以後は屋外部の監視に移ります。オーバー』

『ブラボーは引き続き体育館入口の監視を続けます。オーバー』

「デルタチームはどうなの?」

『バスケ部とバレー部をぶつけ合わせることに成功しました。頃合いを見計らって買収した卓球部を乱入させてブースを閉鎖します。オーバー』

「上出来よ。風紀委員にだけは気をつけて。エコーチーム、発信機の信号は回復したかしら?」 

『回復しましたが教室から動いていません。確認に向かっていますが恐らくは上着を教室に置いてきた可能性が高いです、オーバー』

「分かったわ。確認が取れたらアルファチームに合流して」

『了解』


 無線機を握りしめながら、指揮を執るのは剣道部部長の最上(モガミ)歌月(カゲツ)である。

 体育館に隣接する剣道部室は作戦本部さながらに改装され、机の上には春旗鉄華に関する資料が散乱していた。

 歌月は剣道部であるが故に、どの部活よりも先に鉄華の有用性を発掘できていたことにアドバンテージを感じていた。


 刃心女子剣道部は薙刀部、弓道部と並び、学校創立から存在する歴史ある部活動である。

 しかし近年の成績は大抵が地区予選止まりであり、県下の剣道強豪校である武徳高校に比べ、余りにも芳しくない戦績が続いている。

 歌月は歯噛みしていた。

 剣道部は毎年、退廃の一途を辿っている。

 そもそも剣道目的で刃女に入学する者など皆無であり、ミーハーな部員のお遊戯で部活が占拠されていくのは時代の流れなのかもしれない。

 歌月が三年生になり引退を控えた今、後続を任せられる程の実力者が居なかった。

 幹部候補とも言える意識高い後輩は数名いるが、いずれも高校から剣道を始めた初段止まりの実力である。

 そんな状況を抱えた彼女にとって春旗鉄華の入学は僥倖とも言えた。

 この先の剣道部を牽引していける人材を他の部活に取られるなどあってはならない。


 とは言え、春旗鉄華の境遇には同情を禁じ得ない。

 個人戦と団体戦の戦績の格差を見るだけで、彼女の孤軍奮闘ぶりが伝わってくるようであった。

 まるで羊の群れに混じっている狼だ。

 スポーツ推薦を蹴ったあたり、もはや心が折れていて使い物にならない可能性もある。

 彼女のモチベーションを刺激する餌は用意していたが、死人を生き返らせる術はないのだ。

 最後に決めるのは本人の意志に他ならない。


 歌月は鉄華と時間をかけて対話する必要があると考えていた。





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