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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十七話
198/224

【梵我】⑤

   ◆




 木崎三千風は今日、生まれて初めて人を斬った。

 斬り殺した。

 興行の運営側である男たちとの戦闘は想定内。

 大半は山雀州平の狙撃で始末されているが、逃げ道を塞ぐ木崎は役目として三人を斬殺した。

 銃を持った相手であるから仕方がない。

 殺し合い興行を生業にする議論の余地もない悪党なら仕方がない。

 切迫した理由と大義名分があるなら居着きを払拭することは容易い。

 少なくとも山雀はとうの昔の通り過ぎた葛藤だ。


 しかし意味が生まれてしまった。

 幾度となく勝負の舞台に上がってきたが、それらは全て法が認める競技の世界の話である。

 永遠に続く古流の鍛錬に意味など求めてはいけない。

 古流が本性を発揮する闘争の場など求めてはいけない。

 現代の古武術家として持つべき当たり前の倫理観が崩れていく。

 この瞬間を待ち侘びていた猛獣が心底に潜んでいたようにも思える。

 この身体も、技も、精神も全てを解き放ち、一振りの刃物として死狂うことができたらどんなに心地良いのだろうか。

 託された任務はもう終わり、残された時間の使い道は木崎の自由である。

 理性は速やかな退却を促しながらも、本能はさらなる戦いを求めている。


 その思いが一瞬で掻き消えた。


 状況の分析時間を追い越して理解が訪れる。

 滝ヶ谷香集という女。

 女の形をした何か。

 小枩原泥蓮も枠を超えた強さだったが、この女だけは別格。

 陳腐な例えだが、ある種の闘神のようなものだ。

 技以外の異能を持ち合わせていることは映像を見ただけでも分かる。

 トーナメントで鉢合わせにならなかった幸運に安堵するしかない、そんな異次元の暴力。


 そいつが、今になって目の前に立っている。


 取り零した命を思い出した死神がわざわざ追いかけてきた、そんな不運を感じずにはいられない。

 古流の本分を逸脱したインスタント・カルマと、デウス・エクス・マキナの結末。

 不出来な神の脚本を否定すべく、木崎は瞬時に本能を理性で塗り潰して後方へ飛び、今し方出てきたテント内へ戻った。


 八雲會が拠点にしていたタープテントは四方を囲むサイドシートで個室のようになっており、内には盾になる機材や机、ロッカーが配置されている。

 薙刀という得物を阻むには十分過ぎる障害物。

 軟鉄を鋼鉄で包む日本の刀剣類はあくまで対人武器である。

 人体を切断することに特化しているが、硬い物を打ち据えれば簡単に折れ曲がる。

 サバイバル環境で長期戦をするには不向きである。

 外部協力者を有する木崎は全鋼の刀を特注して持ち込んだが、いち闘技者として参戦しているであろう滝ヶ谷がそんな都合の良い得物を手にできるとは思えない。

 事実、彼女が握っていたのは木製の柄であり、撃剣大会で振り回していた鉄薙刀ではなかった。

 殺し合いは単なるスペックのぶつけ合いではない。

 勝機はある。

 逃走も含めて並行する立ち回りを想定し始めた木崎は、改めて懐中からハンドガンを取り出す。

 どういう銃なのかは分からないが、構造的にスライドを固定しているレバーを解除し、唯一の出入口へと向ける。

 防水を優先するサイドシートの遮光性は高く、互いを視認することは出来ない。

 しかし、安易に得物を振り回せない滝ヶ谷と銃を持つ木崎では先手の精度が違う。

 突入してくる兆しがあるなら何も考えず全弾発射、拮抗状態が続くなら後方のサイドシートを切り裂いて山肌を逃走。

 正面から戦えば勝ち目がない相手だが、実戦の機転を交えれば恐るに足りない。


 有利を切り開いた木崎の鼓膜に、甲高い金属音が鳴り響いた。

 ほぼ同時とも言える間隔で二回。

 音の正体はすぐに判明する。

 視界の下方から迫る二本の金属棒、タープテントの支柱であった。

 出入り口がある一辺、それを支える二点の支柱をそれぞれ内側に跳ね上げた音だ。

 これが薙刀の操作によって行われたのなら、もはや常人には防御不可能な速度の左右切り返しである。

 跳ね上がる支柱を半歩下がって躱した木崎の背に冷や汗が伝う。

 滝ヶ谷が大会で扱っていたのは重量のある鉄薙刀。

 彼女にとって普通の薙刀は竹刀のようなものだろう。

 大会映像で確認していた斬撃の速度はもう当てにならない。


 支柱を畳まれたタープテントの屋根が傾斜してくる。

 安全を確保するはずのテントが、古典的なザル罠へと変貌していた。

 木崎は滝ヶ谷が取る次の一手を考える。

 残りの支柱を崩して鳥籠の蓋をしてしまうか、後方のサイドシートから逃げ出てくるのを待つか。

 木崎にとって判断を誤れば即死の選択。

 闇雲に銃撃すれば特定した位置へ向けて薙刀の刺突が飛び込んでくるだろう。


 木崎が持つ確実な対抗策は、山雀へ助けを求めることである。

 滝ヶ谷が如何なる怪物であろうとも所詮は近接戦闘の枠内であり、目視もできない遠距離から飛来する防御不能の一撃を看破するほどではない。

 木崎は喉元の送信機へ手を伸ばして――躊躇した。


 陳腐なプライドと言えるかもしれない。

 何故古流を修め、何故戦いの場へ赴くのか。

 来る日も来る日も葛藤しつつ、それでも辞めなかった日常の終端にて、最大の敵と向かい合い逃げ回りながら人任せに勝利することに何の意味があるのだろうか。

 それは人生の否定だ。

 自分で自分の限界を決めて勝てる相手としか戦わない。そんな生き残ることだけに長けた兵法家が虚飾に盛られた逸話で後世に名を残す。

 だから何だというのだ。


「クッソくだらねえんだよ!」


 木崎は発火する想いを言葉に変え、同時に降りかかるタープテントの屋根へ向けハンドガンを発砲した。

 予想外の反動が照準を振り上げるが、木崎は即座にハンドガンを手放していた。

 そして、間髪入れず突き込まれてきた薙刀の切先を沈身で回避する。

 狙って回避したわけではない。

 扱う術理が下方の薙ぎ払いであったからこその偶然。

 手応えなく空を切る薙刀が引き戻されるよりも疾く、木崎は前進しながら抜刀していた。

 柳剛流【脛斬り】。

 切り開いた屋根の隙間から滑り込むように飛び出した木崎は、刺突で居着く滝ヶ谷を捉える。

 しかし、そのまま懐に飛び込むことなく斜め前へ転がって転身。

 木崎を迎え撃つはずの薙刀の石突がまたも空を切っていた。

 知っている。

 長物は近接距離だと棒術の動きになる。

 古流薙刀には柄を短く持って刀剣のように扱う技術が存在するが今は間に合わない。

 活路が見えた。

 右方へ振り切った脛斬りを斬り上げへと変えて復路をなぞる木崎は――刀を手放して顔面の防御に入っていた。

 滝ヶ谷も薙刀を手放し、木崎の放つ斬り上げの手元を押さえている。

 互いの体臭すら感じる超至近距離にて、着物の裾を割って飛び出す膝蹴りが木崎を捉えていた。

 剣術に居着かない木崎だからこそ間に合う防御。

 されど、異能の筋力にて放たれる必殺の膝蹴り。

 木崎は膝を押さえたはずの掌ごと顔面を押し込まれ宙を舞う。

 首の仰け反りで緩和したつもりでいたが、折れた鼻骨から飛沫が上がり呼吸が阻害された。

 最中、宙空に置き去りにされた薙刀を蹴飛ばして最悪の追撃を回避していた。

 その後一瞬気絶した木崎は、背を打つ衝撃で覚醒して立ち上がる。

 目の前では素手の滝ヶ谷が手刀を交差させて構えている。

 同じく素手の木崎。


 ――悪くない。


 まだ五分とは言い難いが、激情に身を任せた結果としては悪くない。

 折れ曲がる鼻骨を力任せに矯正して気道を確保した木崎は涙目で笑った。


「オーケー。とことんやろうか、姐さん」




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[一言] 死なないで木崎!
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