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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十七話
197/224

【梵我】④

   ■■■




「ほら、亜麗ちゃん。あーんっす」

「やめなさい」


 初期の拠点から三合程降りた地点に来た一巴と亜麗は、山間から登り始めた陽光を確認し、新たな拠点を構えて行動を制限していた。

 日中の移動はリスクが大きい。

 外部から持ち込んだ物資の分、他の参加者よりも慎重な選択が可能であるからこその休息。

 亜麗は口元に差し出されたヤモリの丸焼きを拒絶して、自分の携帯食を齧った。


「割と美味しいのに。メキシコではイグアナを”ツリーチキン”と呼んで普通に食べているんすよ」

「……そう。なら、いただこうかしら」

「お、じゃあ特別にでっかいの焼くから待ってるっす」

「嘘よ。要らないからさっさと火を消しなさい」


 何かにつけて昆虫食、爬虫類食を勧めてくる一巴にはもう慣れてしまっていた。

 折り重なる倒木を屋根にした簡易のキャンプ地は火種の煙を分散し、朝焼けの霧に紛れ込ませていく。

 虫除けついでに焼き物を堪能する一巴だが、昨晩の襲撃の余韻を残す亜麗にすれば余りに楽観的な行動に思えた。


 開始から半日と経っていないが、分かったことがある。

 殆どの参加者は日中に目立った動きをしない。

 これは興行の性質に由来する。

 武器を使った殺し合いだが、同時に逃走が許される舞台であるからだ。

 相手を殺すことよりも、生存することが一番の優先順位に置かれることになる。

 誰もが確実に勝利できる不意打ちを狙いつつ、警戒もする。

 必然と視界の通らない暗中での戦闘が多くなるはずだ。

 もちろん、そんな戦略などお構いなしのネジの外れた連中もいるだろうが、あと数時間も経てば好戦的な人間の殆どは死んでいるだろう。

 例えば片腕を犠牲に相手の首を飛ばして勝利しても、即座に近代医療を受けられるわけではない。

 死ぬ覚悟があるのと、考えなしに死闘へ飛び込むのとでは意味も結果も違ってくる。


 亜麗はふと横目に一巴の左肩を見る。

 外した関節を戻したと本人は言っているが、脱臼癖は反復性肩関節脱臼という立派な障害である。

 ましてや蹴り飛ばされた衝撃で起きたとなれば上腕骨頭へのダメージも深刻なものになる。

 フィクションでは忍者の体術として認知されている関節外しだが、一巴のパフォーマンスは既に日常以下だと考えるべきだろう。


「一巴さん。貴方はリタイヤするべきよ。今からでも戦闘圏外に逃げなさい」


 亜麗は遠回しに言うのを避けた。

 二人組で行動する有利はあるが、戦闘では弱っている方から狙われる。

 カバーしきれず見捨てる場面が来ないとも限らない。

 亜麗は確固たる意思を持って入山しているが、篠咲に巻き込まれただけ一巴がこの場に留まる理由が分からない。


「お断りっす。肩の心配してくれてるなら大丈夫っすよ。こんなの今まで何度も経験してるっすから」


 気丈に肩を回して応える軽口とは裏腹に、瞳は黒く沈んだ澱のように光を吸い込んで亜麗を見据えている。

 死者の瞳。

 武家社会の心得を示す書物、『葉隠』の一節を想起させる。

 日がな自分は死ぬものだと覚悟して行動する死人は生者に勝る。

 一巴の目的は未だ不明だが、今日死んでもいいという覚悟だけが垣間見えていた。


「不気味ね、貴方」

「あーん、酷いよ亜麗ちゃん。そーんなこと言うなら、また寝てる間にイタズラするっすよ」

「……次は斬るわよ」


 亜麗は一巴への心配を捨て去ることにした。

 今は交差点に立っているようなものだ。

 互いに利用し合い、時が来れば個々の目的に向かって別れていく、誰もが人生の中で幾度となく経験する些細なこと。

 今は他に考えなければならないことがある。

 目下に置かれている懸念は狙撃銃を持つ人物。或いは組織。

 興行の参加者でもなければ、八雲會の関係者でもない。

 亜麗を助けるかのような行動も示している。

 一巴の見解では、八雲會の敵対組織ということに落ち着いているが、ならば何故に彼らはわざわざ興行の場に現れたのであろうか。

 今回の興行を潰したところで八雲會が無くなるわけではない。

 この山中に、彼らの崩壊に繋がる何かがあるのだろうか。

 皆目見当もつかない亜麗は折り重なる枝葉から覗く青空を暫し眺めてから、夜に備えて僅かな仮眠に入った。




   ■■■




「設置完了」

『了解。あとはこっちでやるから、お前は適当にしてろ』


 耳奥に縫い付けられた受信機から声が聞こえる。

 通信の度に耳を刺激される気味悪さを拭えない木崎三千風は小さく舌打ちした。

 足元に転がる数人の黒服の男たちが生暖かい血溜まりを作っていて、立ち昇る血臭が鼻腔にも不快感を届けている。


「適当に、って遠足の自由行動じゃないんだから、ベストな隠れポイントとか教えて欲しいもんだね山雀くん」

『そうだなぁ。学校が良いんじゃないか? あの一番でかい建物』

「おいおい、あんな目立つとこ一番ヤベえだろ。夜中悲鳴とか銃声とかしてたぞ」

『お化け屋敷みたいで楽しそう。ちょっと見てきてよ』

「自分で行けよ。モリゾーみたいな格好して隠れてるお前にお似合いだよ」

『あ、俺、今からちょっと忙しいんで話しかけてこないでね。暫くはサポートも期待しないでね』


 一方的に切られた通信のノイズが鼓膜を震わせる。

 木崎は怒りの矛先を求めたが、目立つ音を立てるわけにはいかず破裂しそうなほど拳を固めていた。


 目的はほぼ達成したと言っていい。

 山間に山程仕掛けられたカメラ、それらを取り纏める中継機器を押さえて逆探知する。

 その後は山雀や由々桐が所属するResistとかいう組織が呑気に観戦している元締めを襲撃するだろう。


 思い描いていた爽快感は無かった。


 いっそのこと元締めもこの場に居て、この手で斬り伏せられるならばと淡い期待をしていたが、心に去来するのは虚無感だけ。

 全てが終わった後、巨悪が白日の下に晒されるのをニュース記事で読んでほくそ笑むことしか残されていない。

 木崎は黒服の男から回収したハンドガンに視線を移す。

 これがどういう名前の武器で、装弾数は何発で、どのくらいの反動があるかも分からない。

 これが現代の闘争。

 古流だ古武術だと騒ぐ連中は所詮、見世物小屋の駒に過ぎないのだ。


 思い悩んでいても仕方ない。

 役目を終えたとはいえ、ここが死地であることは変わらず、居着く暇もない。

 脱出に備えて山頂へ向かうべく、八雲會運営が中立地点として居を構えていたタープテントを抜け出した――瞬間、


 視線が交差した。


 敵。闘技者。それも、女。

 血塗れの着物の襟から豊満な乳房が垣間見える。

 木崎の身長を僅かに上回る巨躯の女は、それを遥かに上回る大振りの薙刀を持っていた。

 見覚えがあった。


「あら。これは貴方がやったのかしら?」


 咄嗟に木崎は腰の鞘を持ち上げていた。

 懐中のハンドガンを取らなかった反射行動を自嘲気味に嗤いながら、【抜付】の姿勢に移行する。


 対する女は人差し指で唇をなぞり、小首を傾げて状況の見聞に時間を割いていた。

 異形。

 艶やかな女は散らばる死体を眺め、昂りが溢れ出るかのような息を吐く。

 撒き散らされた臓物が、鮮血に染められた着物が、女の身体の至る所に刻まれた古傷が、この世の者ではない異形を描いた絵画のように美しさを構築していた。


「俺は参加者じゃないよ、姐さん。ちょっと訳あって暴れさせてもらっただけだ」


 木崎は気圧される前に言葉を吐いた。

 言葉が通じる相手なのかすら分からない。

 しかし問答無用で斬りかかるのは躊躇せざるを得ない。

 それは相手が女であるという躊躇ではなかった。


「ありがとう。手間が省けました」


 花が咲いたかのような笑み。

 木崎は全幅の感謝を会釈に乗せて伝える女に見惚れていたが、顔を上げた瞬間、一転して噴出される殺意に背筋を震わせた。


「残るは貴方だけですね」


 その口角から覗く舌先は、三分の一程が欠損していた。




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