【梵我】③
◆
胸躍る。
そう形容するしかない。
娯楽としての狩猟。同種族を狙う禁忌。
文明社会の常識を踏破し、本能をくすぐる快楽のようなものが心臓を踊らせる。
心地良い。
この瞬間は思考の無駄が一切ない。
あらゆるしがらみから解き放たれた真の自我が見えてくるようだ。
泥蓮は凪の中で嵐を待つ高揚を抑えながら、対手の男の違和感を分析していた。
卜傳流。
戦国時代の剣豪、塚原卜伝を流祖としているが、卜傳流が世に現れたのは江戸時代に入ってからである。
塚原卜伝が興した鹿島新當流とは違い、卜傳流は介者剣術にも素肌剣術にも対応しなければならないという、時代の過渡期に位置する流派である。
そんな流派の槍術ともなると独自の体系は望めないだろう。
時代背景を考えるに、まだ一対一の槍術が熟成される以前の合戦術の色合いが強いはずだ。
塚原卜伝の伝承にも槍合わせの記述が散見されるが、振るわれた技術は彼が修めた香取神道流槍術のものであったと予想される。
しかし、平坂高次と名乗る男が構えているのは『鎌槍』である。
それが解せない。
穂先の付け根から左右に鎌形の刃が伸びている両鎌槍。
枝刃を使って相手の剣を止めつつ、刺突や薙ぎ払いで副次的なダメージを狙う変則的な武器である。
先端に大きく傾く重量のバランスはもはや素槍とは別種の武器と言える。
相手は八雲會の闘技者かそれに比肩する術者であるのは間違いない。
そんな手合いが、サバイバルの場で扱いに困る携行性に乏しい長物を発見しても無視して通り過ぎるだけだろう。
少なくとも一般的な剣術流派の武芸百般には含まれない武器を手にした男。
泥蓮は結論が出るよりも先に後退を開始していた。
対槍術の基本など言われるまでもなく理解している。
穂先が届かない懐へ入り込む、というのは反撃に転ずる瞬間のことであって安全圏を保証するものではない。
競技ではない実戦の場合、槍の取り回しには多くの障害物がある。
今この場所ならば、背後にある木立に紛れてしまえば防御を考える必要すら失せてしまうのだ。
幾つかの槍術流派は槍を大きく掲げて振り回し、間合いと視覚で虚を突く花法美観な技を採用しているが、それらは遮蔽物のない試合場などを念頭に置いた限定条件下の技術でしかない。
槍の広い間合いを支えているのは木製の柄であり、殺傷能力を持つ穂先の範囲は剣に劣る。
故に、一叢流は素槍の刺突に特化しているのだ。
もし、平坂の修める流派が一叢流ほど刺突に拘っているのなら、そもそも鎌槍を選んだ上で山中の戦いを挑むようなことはしないだろう。
木々の間を縫うように後退する泥蓮は、自身の歩幅と合わせて半径十メートル程度の地形を把握している。
平坂の初手を見るまでもなく、鎌槍の有利は消え去っていた。
四メートルの距離を離した泥蓮は、冬枯れの樹木を盾にしながら平坂の位置を確認するために視界を通す。
瞬間、視界の上方で陽光が煌めいた。
それが鎌槍の穂先であることを理解した泥蓮は、自身の知識にない操法を目の当たりにして居着くことになった。
平坂は木立を足場に地面と水平に立っている。
そのアクロバティックな体勢から繰り出す縦回転の鎌槍で木々の間に攻撃を通してきた。
樹木の陰から覗く泥蓮の頭部を確実に捉える精妙さ。
平坂の技術は一朝一夕のものではない。
咄嗟に目の前の樹木を突き飛ばして斬撃を躱した泥蓮は、軽快なステップで更に森の奥へと後退する。
頭上では足場の樹木を変えた平坂がまたも縦回転の斬撃を繰り出す。
止まらない。
着地すらせず、矢継ぎ早に槍を振り回す姿はさながら巨大なコマ。
槍術ではない。
棒術、それも中国拳法の棍術に近い動き。
棒術というものは原初の武器術であり、流派としての体系化を無視すれば刀剣術よりも遥かに長い歴史を持つ。
世界各地に様々な形態の棍棒武器が存在し、扱う流派を追い始めればキリが見えない。
泥蓮は相手の技術への考察を思考から切り離した。
もう既に後がない。
把握している地形の終端に到達した泥蓮は後退の軌道を僅かに変え、円軌道での回避へとベクトルを調整し始める――が、それを阻む先置きの一撃で後退を諦めざるを得なかった。
目視せず自在に後退するのは限界があり、いつか訪れる横方向への転換を平坂は待っていたのだ。
行動範囲を読み切られてしまった。
更に退くのであれば目隠しのままというわけにはいかない。
獲物を追い詰めた平坂はようやく着地し、相打ち覚悟で迫りくる最後の抵抗に備え、鎌槍を低く構えて待ちの姿勢に入る。
「どこが卜傳流だよ、おい」
泥蓮は独り言のように毒づいた。
平坂を非難するのは誤りであると分かっているからだ。
これは試合でも大会でもない。
流派を正しく名乗る必要などなく、風貌や仕草、言葉遣いまでも動員して相手を騙したのであればむしろ称賛される、そんな戦いだ。
日本人で武器術ならば日本古流だと勝手に思い込む居着きは今払拭しなければならない。
この先は尋常な勝負に見せかけて銃撃してくる輩も現れるだろう。
「大陸の技を観る機会があってな。いやはや、人生何が役に立つか分からんものよ」
「あっそ」
先の技が見様見真似で出来るものなのか。
それはどうでもいいことだと泥蓮は居着きを捨てた。
曲芸のような技を使い、遮蔽物を避けて攻撃を届かせる身体能力。
後退の仕組みに気付いて先回りして潰す考察力。
一分にも満たない攻防だが多くの先手を取られ続けている。
女子供という立場を利用した演技で油断を誘えるかもしれないが、如何せん不確定すぎる。
「お主ほどの幼子を貫くのは初めてでな。如何な嬌声を上げるか想像するだけで滾るものがあるわ」
平坂の顔貌が狂気に歪む。
或いは泥蓮の思考を先回りした演技なのかもしれない。
「幼子いうな。十八歳の合法ロリだぞ」
「なんと! お主成長障害ではないのか?」
「やかましいわ」
言うが否や、泥蓮の右手が平坂へ向けて開かれた。
平坂は迫る黒い点を発見するのが僅かに遅れる。
手首の内側に隠していたナイフを【荊棘】で投射する裏技。
談笑の身振りから殺意の刃が飛んでくるというほんの少しの覚悟の遅れ。
その間、泥蓮は後方に振り返って全力疾走を開始していた。
ナイフを払い落とした平坂は即座に逃走する泥蓮を追う。
既に距離が大きく離れている。
把握していた地形の外側とはいえ、後退に比べると随分速い。
普通に考えれば大振りの鎌槍を持ったまま追いかけるには無理がある。
しかし、彼我の距離はあっという間に埋まっていた。
泥蓮は後方の気配を正確に感じ取っていた。
足音は聞こえないが、息遣いと衣擦れの音が近付いている。
単純な話、藪を掻き分けて悪路の山道を進む泥蓮に対し、木々を足場にしながら山猿のように飛び回る平坂とでは機動力が違い過ぎる。
身体能力という点で泥蓮を上回る相手であることは疑いようもない。
互いの距離は既に四メートル圏内。
全力で駆けていた泥蓮が、根掛りに足を取られ前方に投げ出された瞬間、平坂は腰を捻り鎌槍を縦回転の軌道に乗せた。
「良い声を上げろよ!」
少女の最後。
遠心力の先端は寸分違いなく泥蓮の背中へ吸い込まれていく。
十八年生きた終端で上げる産声に耳を傾ける平坂は、まず掻き混ぜひり出された内臓が立てる水気のある音を堪能していた。
ぞぶり、ぐじゅりと槍が人体をただの物体へと変える音。
続いて聞こえた悲鳴。
それは声などというものではない。
僅かに声帯を震わせるだけの嗚咽である。
自らの死を受け入れられない思考の混乱が言葉を失わせるのだ。
最後に、喉を駆け登る血の匂いが口内を埋め尽くした時、平坂はようやく状況を理解することが出来た。
内臓の音も、悲鳴も、自分の身体から出ているものだと。
転倒したはずの泥蓮の手には槍が握られている。
いや、槍と呼べるような代物ではない。
これは木の枝だ。
先端を尖らせたか、刺突に適した道具を括り付けたか。
原始的な手段で拵えた槍。
地面を支点した槍に上空から飛び掛かって行った間抜けが自分なのだと気付く。
最初から持っていた武器ではなく、予め置いてあったのもだと気付く。
行動範囲を知らせた上で敢えて逸脱し、隙を晒すまでが誘いであったことに気付く。
気付いてももう遅いことに気付く。
穿たれた鳩尾は背中までの風穴を通し、どんなに腹筋を固めても自重による落下で刺突は深く埋まっていく。
百舌の早贄のように絶命していく最中、平坂は少女を見ている。
風貌も体格も性別も違うのに、まるで鏡写しのような醜い笑顔がそこにはあった。