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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十七話
194/224

【梵我】①




 実際のところ、羽田一世にとって古流武器術など恐るに足りなかった。

 武器術の多くは『切断』を術理の軸に据えている。

 誰もがゼロベースで始まるルールの中、刃物を探して歩く愚かな標的たち。

 彼らの無防備で無意味な初期行動こそが、一番狩りに適している瞬間である。


 背中で暴れていた男が動かなくなり、呼吸の停止と弛緩した筋肉の重みを充分に感じてから羽田は武器を手放す。

 糸が切れたように床に投げ出された男、その首には変形した針金ハンガーがかけられている。

 腹部胸部に残る複数の刺し傷は、脇腹に残されたコウモリ傘の骨によるものであった。

 飛び出た眼球、顔中の孔から汁を垂らす死相を眺める羽田は、男が八雲會特別闘技者で何々流の遣い手であったことをぼんやり思い出す。

 武器に拘る者は三流。

 『切断』は限られた得物の特権だが『緊縛』『殴打』『刺突』はあらゆる物体で敢行できる。

 故にこの興行で必要なものは武術ではない。

 文明が滅んだ世界でどう生き抜くかに等しい機転を求められている。

 然るに強さの基準が変わったことに気付き、対策をしておくまでが強者たる条件である。


 されど、武器を選ばない者は二流。

 ルールを破る者こそが一流である。


 月明かりか街頭か、窓から廃墟内に差し込む淡い光は打ちっ放しの壁面に三人分の影を浮かべていた。

 廃墟とはいえ隈無く設置されたカメラの映像も男たちの顔を鮮明に捕らえ、観戦していた八雲會会員の何人かが驚きの声を上げている。

 羽田一世、甘利元也、囲ノ口隆。

 いずれも特別闘技者の面々ではあるが、それが三人も集った共闘は明らかに場のパワーバランスを乱すイレギュラーである。

 あくまで戦いの場で起きる即席の結託ならばルール上問題ない。

 闘技者の私生活は八雲會の管理下に置かれ、闘技者同士での面会はおろか外部と連絡を取ることすら厳しく制限される。

 だからこそ、興行開始以降に発覚した不正は八雲會の落ち度となる。

 ルールの穴。

 賭博のベッティングとは別に設けられている、特別闘技者の人気を計るスポンサーの存在。

 内通者報酬が抑止になっているものの、スポンサー同士の口裏合わせが成立してしまった場合、それを第三者が見つけることはほぼ不可能である。

 互いに顔も知らない三人の男の共闘はスポンサー企業の思惑によって水面下で誘導されていた。


 羽田らとしても降って湧いた有利である。

 八雲會の思想はともかく、何も全ての闘技者が戦闘狂というわけではない。

 裏社会のハイリターンを求め続けた結果偶然辿り着いた地ではあるが、ハイリスクを棒立ちで受け入れるつもりはなく、時と場合によっては戦いを回避することを念頭に置いている者もいる。

 スポンサー間の不戦協定に基づいた共闘は三者共に願ってもない提案であった。


「こりゃ楽でいいな」


 事切れた男の頭部を蹴飛ばしながら甘利が軽口を叩く。


「さっさと物資抑えて退散するぞ」


 甘利の言葉を塞ぐように囲ノ口が被せた。

 興行の様子は音声込みで中継されている。

 反響する室内で会話するのは好ましくないとの判断だろう。

 それに同意した羽田も静かに行動を開始すると、咎められている空気を察した甘利は小さく溜め息を吐く。


「はぁ、もっと明るく行こうぜ、お二方よ」

「お前のお喋りが原因で死ぬ時が来たら絶対道連れにしてやるからな」

「おお怖っ」


 囲ノ口の警告に甘利は身震いのジェスチャーで応えながらそのまま室外の廊下へと向かい始めた。


「どこに行くんだ? 勝手に動くな」

「トイレだよ。俺の小便の匂いに興味あるならここでやってやるけど?」


 甘利の背中を舌打ちで見送る囲ノ口は、室内に残る羽田と視線を合わせて諦めたように肩を竦めてみせる。

 お調子者の甘利だが闘技者として何度も死線を潜っている強者である。

 闘争時に軽率な態度を貫く程の間抜けではないし、先の戦闘にて瞬速の刺突で先制したことが強さの証明にもなっている。

 武器を用いた伝統派空手の刻み突き。

 進化を止めた伝統芸能の如き古流にはない試行錯誤が見られる。

 ダメ押しの絞殺で終わらせた羽田だが、或いはその必要のないくらい初手で勝敗は決していただろう。

 今回は共闘だが、羽田も囲ノ口も甘利の初手への対策を考えないわけにはいかない。

 矢面に立ってくれる内は有用な存在だと思うことで奔放さを見逃すことにしていた。


 かつては個人開業の診療所であった三階建ての廃ビル。

 暗闇に順応しながら行う室内の物色は思ったよりも楽に進んでいる。

 食料と飲料水に関しては興行主が用意した目立つ軍用コンテナ内に纏められているからだ。

 武器に関しても外科用のメス、カミソリの替刃数枚、災害脱出用の消防斧一本を手に入れることができた。

 滑り出しは上々。

 物資を収めた背嚢を担いだ羽田と囲ノ口は撤収に備えて診療所の裏口へ移動を開始する。

 後は甘利の戻りを待つだけ。


 なのに――羽田は違和感を覚えた。

 予想より事が上手く運ぶと疑問を感じてしまう生来の気質が警鐘を鳴らす。


 三人は最初に山間の合流地点に集合し、それから廃村の散策へと移行している。

 そこに僅かな時間のロスがあることは覚悟していたが、診療所という目立つ建造物がほぼ手付かずのまま残っていたことは運と片付けて良いものなのだろうか。

 順当に考えれば、目立つからこそ誰もが回避しているという逆張りは成立する。

 しかし八雲會に所属する狂人ども全員がそんな打算で行動するなど有り得ない。

 むしろ嬉々として――、


「遅いな」


 囲ノ口が呟く。中々戻ってこない甘利のことだ。

 手には既に消防斧が構えられていた。

 囲ノ口も羽田と同じ違和感を拭い切れず、続く行動選択肢を考えているのだろう。


「見捨てるか?」


 或いは助けに行くか。

 返答で意見が割れた瞬間、戦いになる可能性を両者とも考えている。

 この場は互いの立場を維持する選択をするしかない。

 羽田らは背後にある不戦協定が枷になり、個人の意志での裏切りはないという確証がある。

 だからこそ成立している共闘を現段階で放棄するわけにはいかない。


「助けに行く。三人での共闘など俺たち以外真似できないだろう」


 人数の有利は個人の技量を容易く圧倒する。

 だが、偶然顔見知り同士が出会って即席で手を組むというプロセスでは、精々ペアが限界。

 三人以上が共闘するということはまず起こり得ない。


 羽田は自分の正当性を示す意味で、率先して診療所へと再び踏み込んでいく。

 羽田の考えに同調した囲ノ口も溜め息混じりに歩を進め、戻ってこない甘利の捜索を開始した。




   ◆




 予感が的中した。

 廃ビルの二階。病室を繋ぐ廊下の中腹に位置するトイレ。

 四つの小便器が並ぶ一番奥に倒れている人影があった。

 羽田はトイレの入口から人影が甘利であること、呼吸で胸部が上下していることを確認した。

 暗闇の中で細部は見えないが、目立つ外傷は無く、血の匂いも感じられない。

 何らかの手段で失神させられたのだろう。


 この診療所には誰かが隠れている。

 恐らく相手は人数差を察して息を潜めていた臆病者。

 最初の散策で隅々まで確認しなかったことはミスではない。

 呑気に単独で動いた甘利のミスだ。


 羽田は囲ノ口を促してトイレ内に踏み込み、扉を締めた。

 このまま敵の捜索を始めれば相手の思う壺だ。

 不意打ちを狙うべく、それに適した場所で待ち構えているのは明らかである。

 まずはスリーマンセルを復旧させることが急務。

 小便器の背後にある個室を順に確認し、敵が潜んでいないことを確認した上で羽田は甘利に近付く。

 生きている。

 顔は涎と鼻水で汚れているが、呼吸は安定し、出血性の外傷はない。

 両手は剥き出しの陰部に添えられたままで、小便中に一瞬で失神させられた事が分かる。

 背後の個室から飛び出して来た敵に、後頭部を殴打されたのだろう。


「明かりを点けるか?」


 囲ノ口が提案する。

 廃墟ではあるが、興行主の配慮で各建造物の電気系統は生きている。


「あぁ頼むよ」


 羽田はリスクを承知で室内灯の入電を求めた。

 窓の外には大きな木立が群生する裏山が見える。

 外から明かりに気付かれる可能性は低い。

 散策に際しては敢えて暗中で行っていたが、今から甘利を叩き起こす前に一応彼の後頭部の具合を確認しなければならない。

 脳挫傷レベルの怪我なら是非もなくリタイヤは確定だ。

 見捨てたとしてもスポンサーに言い訳できる。


 しかし羽田の脳裏に別の疑問が湧く。

 失神した甘利を確実に殺しておかない敵の行動理由を考えていた。

 臆病者らしく詰めまで甘いのか?

 それはない。臆病者ならばこそ、トドメまで刺すのが普通だ。

 相手を殺す覚悟はないのに興行に紛れ込んでいる部外者がいるのだろうか。

 高速で巡る思考の端で、羽田は視界に写ったケーブルから答えを得た。

 開け放たれた窓から室内に伸びるケーブルが、それぞれの小便器の中に垂らされている。

 ケーブルの大元は見えないが想像はできる。

 街頭だ。

 街頭用の電気ケーブルを引き込んで、律儀に屋内のトイレで放尿する間抜けを狙ったトラップ。

 甘利は、感電によって失神していた。

 尿は断続的な粒の連なりになるので通電し難いが、電気柵への放尿で死亡した事例は存在する。

 ブレーカーかヒューズの安全装置が作動して甘利は運良く生き残ったのだろう。

 何故ここまで回りくどいことをするのだろう、と別の疑問が浮かんだ。

 感電させる目的なら屋外から電気を引く必要はない。

 剥き出しの銅線をコンセントに繋ぐだけで充分なはず。


 思考の混沌を割って、背後からトイレの室内灯のスイッチを入れる音がした。

 羽田が我に返り、囲ノ口を止めようとした時にはもう遅く、彼らの視界は飛び散るガラス片と炎で埋め尽くされた。




   ◆




「うっわ、スッゴイ臭いネ」


 廊下に飛び出して藻掻いていた全身火傷の男をナイフで刺し殺し、その後焼け焦げたトイレの内部を覗いていた女、チケットが呟いた。

 炎は今も木製の個室をじわじわと延焼させ続けている。

 その傍らに二人の男が倒れているのを確認した。


 一人は顔面の火傷が酷い。降りかかる炎で視界と呼吸器を塞がれて死んだのだろう。

 背嚢を降ろして飲料水のペットボトルを取り出そうとした跡が残っているが間に合わなかったようだ。

 もう一人は仰向けに倒れたまま運良く炎を避けていた。陰部丸出しな辺り、感電トラップで失神したことが分かる。

 炎を撒き散らしたのは、穴を開けた電球に灯油とガソリンを流し込んで封をするトラップである。

 如何なる技を修めた闘技者だったのか今では分からないが、頭上の電球が火炎瓶になっているとは本人も流派も想定していなかっただろう。


 死体。

 出来たての焼死体。

 チケットの肩越しに人間だった肉の塊を眺めていた鉄華は、胃酸の逆流を抑えられずその場で嘔吐した。


「あらあら、カワイイ反応。大丈夫カ? 鉄華」


 胃が裏返りそうになる程の嘔吐。

 精神的な覚悟と実体験は別物である。

 同じ人間を殺すという本能的な嫌悪感は経験によって麻痺させるしかない。


 そんな鉄華を見かねたチケットは優しく背中を擦り、まだ温かい血糊がへばり付いたナイフを鉄華の眼前に差し出した。


「……何ですか、これ」

「何っテ、奥にまだ一人生きてるヨ。しっかり殺ッとかなきゃ、ダヨ」


 奥に横たわる男はまだ呼吸が確認できる。

 しかし、数十アンペアの電流で感電した時点でもう戦いの舞台から降りたも同然。

 偶々即死しなかっただけ、興行中に回復するかも分からない男にトドメを刺せとチケットは言う。


「あの人は放って置いても生き残れるか分からない状態です。もう終わりですよ。殺す必要なんてあるんですか?」

「もちろんアルネ。アルに決まってるネ。オオアルマジロネ」

「……アルマジロ?」


 チケットは優しく鉄華の震える手を握り、ナイフの柄を握らせる。

 狐面のような顔貌が、歪んだ笑みを浮かべていた。


「この先、もっと殺すコトになるヨ。犯され殺されル前に殺し返すヨ。完全デ完璧ナ決着は殺しネ。今すぐ慣れテもらワないとアナタも私も困ル。弱い鉄華はココに置いていくネ」


 丁度いい相手だ、とチケットは続けた。

 春旗鉄華が一段上のステージに上がる為の供物。都合のいい生贄。

 守りたい者を守るための暴力を鉄華は否定しない。

 実際にやってのけたことも数度ある。

 死闘に際しての手加減の仕方など分からないので、必然と相手が死んでも構わないような全力を絞り出すことになる。

 失神している男は興行に参加している時点で碌でもない存在であるのは間違いない。

 今は敵ではないが、未来は敵として立ち塞がるかもしれない。

 不確定な未来の可能性全てを閉ざす究極の解決方法、殺人。

 状況を楽しんでいるチケットの心情はともかく、彼女の言うようにこの先何度も悩んでいては自分が死ぬことになる。

 殺すという行為に慣れるには覚悟だけでは足りない。


 気付けば男の直ぐ側まで歩を進めていた。

 震えて崩れ落ちそうな身体をチケットが支えてくれている。


「ホラ、頑張っテ。ニポン人は食事の前ニ『いただきます』っテ言うよネ。自分の血肉にナル命への感謝で罪悪感を薄めるノ。その考え、私好きヨ」


 もう言葉は聞こえない。

 ただ、踏み越えなければならない瞬間に向けて全ての感覚が収束していく。


 ――何で、こんな事をしているのだろうか。


 自責の念が泡のように浮かんで、弾けた。

 そして「ああ、そうか」と納得した。


 ――私は救いたい人がいるんだった。


 無意識に振り下ろされた凶刃が、衣服を抜け、皮膚を抜け、肋骨を避けて、鼓動の中央を刺し貫いた。

 噴き上がる暖かな液体を手で押さえ付けながら、鉄華は声にならない叫びを上げる。

 それは嗚咽のように、悲鳴のように、歓喜のように絞り出され、静かに室内を震わせていた。


 見届けていた女は満足げに頷き、踵を返す。

 戦いはまだ始まったばかり。

 いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

 それでも少女の成長を自身の過去と重ね、激励の言葉を向けずにはいられなかった。


「オメデト。これデ鉄華と私はフレンズヨ」




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