【蒼氓】⑥
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参加している闘技者にとっての最初の二択がある。
開始地点を山中とするか、廃村に置くか。
広大な森林に紛れることは身の安全を確保する上で重要な一方、真っ先に人工の建造物へ踏み入ることは戦いで必要な武器の確保に繋がる。
このようなリスクとリターンは八雲會も意識していることであり、配置された数々の物資はセンサーによる拾得管理が施される性質上、屋内配置が殆どである。
広大な土地のバトルロイヤルと銘打っているが、実際のところ、戦いの多くが廃村周辺に集中するのは言うまでもない。
故に、戦いを求める者の初期配置も同じくして重なる。
診療所だった廃屋、雑貨屋、学校、農家の納屋。
ダムの底に沈む予定であった朽ちた村は、街頭の灯火を取り戻し、かつての住民が蘇ったかのように人間の息遣いを漂わせていた。
スーツ姿の男、花岡富嶽は半倒壊の民家を選んで侵入することにした。
みすぼらしいトタン屋根の平屋。
雨による腐食に耐えかねて崩れ落ちた玄関。
時間との争いでもある武器捜索に於いて見向きもされない民家だが、だからこそ運試しに丁度良い。
運否天賦というものは量で測れる――それが花岡の見解であった。
不運とは、些細な偶然や僅かな悪意が一定以上溜まった時に発生する現実的で物理的な現象である。
一定以上。
そのしきい値の見極めにかけては右に出る者はいないとの自負がある。
花岡富嶽という存在を知る者は彼を『職業勝負師』と呼ぶが、博徒ではない。
敢えて例えるなら探偵業である。
しかし一般的な探偵とは異なる点が一つ。
彼の仕事は依頼人が存在しないことにある。
目星を付けた人間や企業を独自に調査し、見付けたスキャンダルをネタに脅迫することが主な業務内容であった。
必然的に多くの著名人や資産家を敵に回すことになるが、今日に至るまで花岡を捕らえた者は存在しない。
彼自身望んで参加した八雲會ですら逸話を知るのみで実態を知らないのだ。
それは退き際の鮮やかさに由来する。
相手が開き直り、秘め事の露見を押してでも花岡を捕まえようと覚悟した時には、既に全ての痕跡が消えている。
そしてほとぼりが冷め、本人も忘れかけた頃にまた別のスキャンダルを抱えて現れる。
どんなに強情な相手でもこれが数回続けば音を上げるのだ。
一度搾取した相手の前には二度と現れないというルールを遵守しているからこそ、彼の都市伝説に多くの者が屈する。
この場に居る花岡富嶽が件の職業勝負師であるかの裏付けは八雲會にもできていない。
しかし自称とは言え、多くの富裕層の敵である存在の参戦を許したのは、彼が披露した強さにこそある。
花岡にとって暴力は最終手段。
されど彼此の立場を明確にする決定的なものでなければならない。
ある同族経営の企業の前に花岡が現れた時、経営者は裏社会の手を借りた事があった。
当時、主要暴力団の分裂に伴い発生した仙道会。
半グレを中心とした若者で構成される新進気鋭の武闘派集団で知られ、結成して日を置かずして特定危険指定暴力団になっている。
構成員は約二百人。
彼らが花岡を探す手段として敢行したのは、探偵業、及び週刊誌の記者への無差別襲撃であった。
花岡の身軽さは何の繋がりも持たず、守るものが無い故の強みであり、フリーランスで独り身の者から積極的に殺されていく事態へと発展している。
最終的に警察が介入し、事件の全容を把握した頃には、死者の総数は百八十人にも登っていた。
問題は、その内の百五十人が仙道会の構成員であったことだ。
脅迫されていた経営者は跡取りの息子を殺された段階でようやく気付くことになる。
花岡を怒らせたことに。
彼が一個の暴力団を解散にまで追い込む暴力を有していることに。
後日、件の経営者一族は総出で退職し、暴露されたスキャンダルと共に身を隠すように日本から去ることになった。
実体を帯びた都市伝説。
そして現れた花岡富嶽を名乗る個人。
カメラを通して向けられる好奇の視線を花岡は感じ取っていた。
彼もネットの向こうの顔を真似るように、背後の電柱に据えられたカメラへ向けて肩口から微笑みかける。
――夜逃げの準備は済んだか? ゴミども。
義賊を気取るつもりはないが、持つ者から少しずつ取り上げることで成立していた商売。
その幾つかの点が線になって集束するのが八雲會である。
金の匂いとは金を求める亡者の匂いであり、それは距離に関係なく五感で感じ取ることができる。
破滅を携えてやって来た死神でさえ呑気に受け入れる阿呆どもに相応しい結末をくれてやろう。
花岡は新たに発見した玩具を前に、不気味に微笑んだ。
その一瞬の油断を後悔することになる。
確認が遅れたと思ったのは、視線を下げ足跡を発見したのと同時であった。
半倒壊の一軒家の庭先。
雪解けで泥濘んだ軟土の上。
街頭が落とす陰影が人間の足跡を浮かべている。
足跡は用心深く庭先を一周するように弧を描いて――、
振り返ろうとした右肩に激痛が走った。
誰かを確認する間もなく、続く衝撃で花岡は大きく吹き飛ばされる。
遅れ気味に自ら飛んで衝撃を散らしたが、肩口から鳴り響く音に舌打ちをした。
着地までの僅かな時間でようやく思考が追い付く。
――アーバントラッキング。
わざと足跡を残し、追跡者が辿っている内に先手を取る。
戦闘経験豊富な狩人、それも軍役のある人間の手法。
そして右肩を刺したのはガラス片だ。
この屋内には手頃な武器がなかったのだろう。
だからどの建物にでもあるガラスをナイフ代わりに使用し、急所を外したと判断した瞬間打撃にて体内のガラスを砕いた。
ルネサンス期からある暗器としてのガラスの使用方法だ。
砕かれたガラスは容易に取り出すことができず、当然、刃には毒が塗ってある。
自生植物の毒か、破傷風を狙う汚物か。
ツイてない。
今日は運の流れが悪い。
「まぁこんな日もあるか」
花岡は努めて楽観的な言葉を選んで吐いた。
眼前には奇襲を仕掛けてきた男が新たなガラス片を取り出して佇んでいる。
猫背で百七十センチ前後の体躯、モヒカンヘアーの男。
追撃する気だ。
――よかった。まだツキはある。
即死級の毒なら男はそのまま逃げればいい。
まだ戦う意志があるのは即席で手にした毒の効果が分からないからだ。
花岡は短く刻む呼吸で痛みを軽減させると同時に、ポケットから取り出した黒い布を握り締めて襲撃者と対峙した。