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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十六話
190/224

【蒼氓】⑤

   ■■■




 入山時に支給されていたファーストエイドキットから消毒綿を取り出して傷口を拭い取る。

 狙撃された前腕は真皮層を顕わにしていたが、脇下を固める筋肉で出血は治まっていた。

 ミュトス・カーネイションは指先にはめた刃物を傷口に突き立てて抉り込んだ。

 ファーストエイドキットからもハサミが除外されるという徹底した武器管理の中、彼が最初に手にした刃物は『空き缶』であった。

 螺旋状にカットしたアルミ缶の断面は即席のナイフになり、円錐に丸めれば刺突武器となる。

 たとえ山奥でもキャンプ場が近く、人の足跡があるならばどこにでも無造作に転がる便利道具である。

 突き立てた尖端をテコで持ち上げると、体内から血塗れの金属片が浮き上がる。

 ミュトスはそれを吸い出して口内で寸法を測った。

 一般的なライフル弾頭。口径は7.62ミリ。

 G3系統の狙撃銃であることが推測でき、夜間狙撃の精度からしても閉所での取り回しが効く装備ではない。

 射撃してきた方角も距離も把握しているが、もう移動した後だろう。


 ミュトスは考える。

 何故腕のみを撃ち、追撃しなかったのか。

 もし狙撃手が少女たちの味方ならば、確実に殺しておかなければならない場面。

 そうでなくとも、興行の参加者が先程の戦闘を見ていたならどちらが強者であるかは一目瞭然。

 殺さないという選択肢は存在しないはずだ。

 だが狙撃手は手加減をし、その後様子見へと切り替えた。

 何故に。

 答えは『分からない』からだ。

 どちらが善で、どちらが悪か。

 一見迷い込んだかのような弱者である少女たち、しかし彼女らは知略を尽くし卑怯とも言える戦い方に躊躇はない。

 フィジカルを補う技を持っている。

 だから迷った。

 反吐の出そうな善悪を基準に引き金を引くヒーロー気取りの甘ったれ。

 明らかな部外者が紛れている。

 殺意が湧き上がる一方、ミュトスは安堵していた。

 これだけの興行、官憲に目を付けられるのは当たり前だが、少なくとも八雲會は表立った摘発を避ける程度の権力は有している。

 誰が現れても殺し合いで解決できる。

 水差す者は存在せず、じっくりと追い詰めていけばいい。

 検証を終えたミュトスは食料の確保の為、外套を被り腰を上げる。

 今し方銃弾を取り出した前腕は、既に出血が止まっていた。


 かつて、この身体を『神の器』と称した男がいた。


 生まれ落ちた時から有する筋肉の異常成長は、あらゆるフィジカルスポーツで頂点に立つ資格を持っていたはずだった。

 若き日のミュトス、キリアン・オブライエンは男の最後の言葉を思い出す。


『そいつは獣だ。神の器に悪魔の汚物を詰め込んだ、醜悪な獣だ』


 十二歳の誕生日、頚椎を圧し折られた父親は口端から血の泡を垂らして少年を見ていた。

 ただの子供に敗北した挙げ句の捨て台詞。

 遺される母子に自分の子ではないと呪詛を吐きながらも、瞳は恐怖で濡れていた。

 キリアンは思う。

 なんと憐れで矮小な存在か。

 テロリストとして山程人を殺しておきながら、自分の番が来ると醜く足掻く。

 自分の弱さを誰かのせいだと喚く。

 神が創った世界は何故こんな奴をこれまで生かしてきたのか。


 キリアンの脳裏に人生の命題とも言える疑問が浮かぶ。

 神はどこまで無関心なのだろうか、と。


 父の暴力に曝され続けた母は視力を失ったが、こんな事はよくある話だ。

 人の歴史は暴力による淘汰と繁殖で道を築いている。

 神は家庭内暴力程度の些事に関わる気はないのだろう。


 ――試したい。


 試してやりたい。

 父も母も信じて止まない神とやらを。

 誰もが神に選ばれたと宣うこの肉体で。

 少年は神を自称するのではなく、あくまで語り部に過ぎない神話(ミュトス)と名乗り、厳かな敬意を持って生き方を決定した。




   ■■■




「だ~か~ら~、リストにある企業と所有する不動産全部調べ上げて特定しろつってんだろ」

「ヨ、ヨーコ、な、何なん? 何なんだよこのビッチは……」

「ビッチ言うなし!」


 頭頂に落とされた手刀の衝撃で「ヘゴッ」と声を上げ会話を切られた小柄な少女は、目に涙を浮かべて西織曜子の背後に隠れた。


「コラー! 鈴海! 協力してくれるヲタ実ちゃんをイジメるな~!」

「んだよそいつ。文句ばっか垂れやがってまだ何もしてないじゃん! 否定する以外会話のバリエーションねーのかよ!」


 パナマ文書に八雲會の手掛かりがあると仮定した曜子は、追加の助っ人としてパソ研の織田実里(みのり)に声をかけていた。

 当の実里は今、乱雑に伸びる髪の隙間から怯えと怨嗟の視線を津村鈴海へ向けている。


「だ、だって、企業リストって言っても何百もあったら」

「つべこべ言うなし~」

「ひぃいい! もうやだ! か、帰る、私帰る!」

「ちょっと待った―! 待った待った! ほら、ヲタ実ちゃん、飴あげるから一旦落ち着こ。鈴海もちょい黙ってて」


 曜子は小動物をあやす要領で顎下を撫でて実里をなだめる。

 予想していたが、初対面から展開される水と油の関係に辟易していた。

 奥の寝室から家主である八重洲川の放屁が抗議の音を上げたが、無視して会話を進める。


「ヲタ実ちゃんはこー見えてパソ研の影の実力者なんだから。なんか、ハッカソンとかデフコンとかよく分からんイベントでよく分からん賞貰ってるのよ!」

「ふひひ」

「は! どーだか怪しいもんだね!」

「……ヨーコ、私こいつ嫌い」


 親指の爪を噛みながら鈴海を睨み付ける実里。

 彼女の気持ちが分からない曜子ではなかった。

 鈴海の気質を理解する前には、彼女の容姿や言葉遣いという障害が立ち塞がる。

 本来は陰陽カーストの陰側に属する曜子は、実里の反応が痛いほど理解できる。

 しかし、そんな些事に拘っている場合ではない。


「その御大層な経歴が本当ならササッとパパパッと調べろよ。こう、キーボード三台くらい並べて『よーしいい子だ』とかニヤつくハッカー幻想壊すなし」

「ふ、普通に考えて多すぎて総当りだと何日も掛かるだろ……。も、もっと絞り込める条件が、ほ、欲しいんだな、ふふ、ふひひ」

「んなもん、不正な送金記録とか調べりゃ一発じゃん」

「し、調べられるわけないだろ。ぎ、銀行のセキュリティ舐めんなクソビッチ。お前の股ほど緩くねぇんだよボケ」

「テメー割りといい度胸してんなオイ」


 ついに飛び掛かった鈴海は実里のこめかみを拳でグリグリと圧搾し始め、実里の上げる「イダダダダ」という哀れな悲鳴が室内に響き渡る。

 曜子は考えていた。

 条件。

 殺し合い興行の開催地を特定する条件。

 不特定多数の目撃情報を避ける僻地、或いは施設。

 観客はネット配信で安全な距離を保てるが、事前準備を考えるとそれなりの人員が必要になるはずだ。


「んー、じゃあ失踪者情報と紐付けてみたら?」

「失踪者?」

「ほら、もしそんなヤバい興行が行われている場所があるなら、うっかり踏み入っちゃった人がヤバいことになってそうじゃん?」

「そ、それな!」


 曜子の思い付きに賛同した実里は鈴海を振り払ってパソコンと向かい合った。

 まだ確定はしていない。

 曜子がさらなる絞り込み条件を思案し始めた時、実里が呟くように口を開いた。


「……と、特定した」

「早っ!」


 肩透かしを食ったかのように崩れながら覗き込んだモニターには確かに一件の情報だけが残されていた。

 電力会社に勤務するトレッキング愛好家、堀切卓。

 今春、飛騨奥地の山中にて行方不明になり、家族によって捜索願いが出されている。

 今だ痕跡すら発見されず。

 付近には旧ダム計画の跡地があり、昨年土地の権利を買い上げた佐久間汽船株式会社はパナマ文書に上がるブローカーの一つである。


 思い込みや偏見は時に近道になる。

 期せずして辿り着いた情報に――曜子は息を呑んでいた。

 もし、八雲會への思い込みが全て正しいのならば、この失踪者が生きている可能性はゼロであるからだ。

 殺された。

 山中へ踏み入る以上、死と隣り合わせの覚悟はあっただろうが、まさか同じ人間に殺されるとは思ってもいなかっただろう。

 これはゲームでも、ただの文字情報でもない。

 何の恨みもない相手へ向ける殺意が実在するということだ。


 ――怖い。


 努めて目を逸らしていたが、この先は直視しなければならない。

 全ては親友を救うため。

 いつか鉄華が救ってくれたように、今度は自分が救う。

 曜子は手の震えを握力で何とか押さえ込んで、深呼吸を一回した。


「ほーん、やるじゃんヲタ実。……で、こっからどーすんのさ?」

「決まってるよ。有る事無い事ネットに情報を流しまくって不特定多数の人間を送り込むの」


 頼れる権力も戦力も無い以上、大衆心理を利用する以外の方法がない。

 いたずらに情報拡散したことが原因で、一般人に犠牲者が出る可能性はある。

 それは、覚悟の上での決断であった。

 目的を見失ってはいけない。

 正義の味方ではなく、身の回りの大切な人を守りたいだけなのだ。

 巻き込めるものは全て巻き込む。

 この一件が台風のような自然災害になるまで育てるのが唯一の解決策である。


「な、なら問題はあと一つだね」

「そう。問題は第一ソースを安全にすること。広める前に止められたら元も子もないからね」


 ネットに詳しい実里がこの点を問題とするのは、匿名通信を使うだけでは足りないからだ。

 匿名通信は情報伝播が遅く、表で第一報をした者が誤射されるリスクもある。

 誰が発信した情報なのか特定出来ないようにするのではなく、分かっていても手が出せない状況を作らなければならない。

 木を隠すなら森の中。

 曜子はその方法を既に思い付いていた。


「そんじゃいっちょ、フジコちゃんを起こしますか」




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