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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十六話
188/224

【蒼氓】③

   ◆




 打撃や組技を狙うべきではないと、一巴、亜麗は瞬時に理解していた。

 男は猫背のまま二メートル近い長身を誇り、加えてリーチの長さが異常である。

 直立で膝に届く長さの腕は、女子のウエストくらいはあろう筋肉を纏っている。

 明らかに人間の骨格から逸脱した体躯であるにも拘らず、マルファン症候群のような痩身ではない。

 考察するまでもない異能が眼前に降り立っていた。


 一巴は焦燥を抑え、腰に下げていた小袋を掴む。

 確率で言えば初期配置で敵に会う可能性は相当低い。

 偶然でないのならば、八雲會が予定外の来訪者を排除するために配置したと考えられる。

 一巴は行動にミスがあったことを否定できないでいた。

 カメラの配置パターンを掌握し、暗闇と死角を縫うように斥候していたが、カメラ自体が熱探知可能ならば捉えられている可能性はある。

 興行の配信では必要のない機能であること、これまで安全が続いていたこと、その状況を鵜呑みにして楽観視していたのかもしれない。

 考えなければならなかった。

 サーモ映像で事前に誰かが侵入していることを知りながらも、敢えてこの瞬間まで放置していたという可能性を。

 何故放置していたか?

 見世物になるからだ。

 裏口から密かに忍び込む卑怯者に圧倒的な暴力をぶつける。

 用意されたのは恐らく彼らが自信を持って推薦する最悪の強者。

 初戦のインパクトとしては悪くなく、カメラの向こう側で行われている賭博のオッズも想像するまでもない。


 敵はフィジカルを武器として八雲會に参戦している手合であることは明白。

 本来ならば食料の確保が困難なサバイバル戦でスタミナ切れを狙うべき相手だ。

 体脂肪が少ない者は飢餓のアシドーシスも早く訪れる。

 パフォーマンスが落ちた中盤戦以降に片付けるのが確実な対処法なのに、あろうことか初日、開始十分かそこらでの邂逅。

 一巴は選択を迫られていた。

 どんな相手でも初見なら確実に殺せる手段を持っている。

 しかしそれはたった一度だけの必殺であり、使うべき相手は決まっているのだ。

 一巴の逡巡。男の咆哮。

 その僅かな膠着へ割り込んだのはスリングショットの音であった。

 亜麗の追撃。

 近距離戦闘では勝ち目がないことを思い出した一巴は、ワンテンポ遅れて小袋を山なりに投擲した。


 スリングショットの初速は最低でも秒速五十メートル。物によっては秒速百メートル超えの記録も存在する。

 ベアリング弾と人力の組み合わせなので飛距離による減衰は大きいが、時速にして二百キロの世界は人間の反射速度では対応できない。

 視界が悪い森林の闇の中、相手がスリングショットを構えたという起こりすら容易には捉えられないだろう。


 だが男は上体を逸し、難なく回避してみせた。


 もはや射出よりも先に躱していたかの如き反応速度。

 不可視の状況かつ回避不能の飛び道具という信頼を崩された亜麗は居着くが、次手は一巴が埋めていた。

 同じく信頼する初撃を捕捉されていたが故に、亜麗より先に敵の強さが想像の枠に収まらないことを理解している。

 暗順応どころか昼間のように見通せる手段、或いは視力を有しているのだろう。

 ならば、今度は相手が信頼しているものを壊す。

 先に投げた小袋の口が中空で緩やかに開放され、中から溢れる黒色の粉が尾を引く。

 やがて互いの立ち位置の中間地点に到達すると、小さな破裂音と共に黒煙が広がった。

 暗所の黒煙。

 神道流忍術では闇に紛れる目的で桐の灰を更に細かく砕いたものを撒く。

 しかし一巴が投擲したそれは、古流忍術の域に留まるものではない。

 可視光を九九パーセント以上吸収するカーボンナノチューブの粉塵である。

 暗順応を完全に無効化する闇の雲が彼我の世界を隔てていく。

 二度も攻撃を防いだ視覚の有利、無意識下にある過信を居着きに変える。

 間髪容れず投擲していた棒手裏剣が肉身に刺さる鈍い音を返し、手応えを感じた一巴と亜麗は男の突進に備え散開し、尚も遠距離攻撃を続ける。

 一投、二投、三投。

 予め持ち込んだ武器が身軽さを感じる程に消費されていくが、惜しんでいる場合ではない。

 髪を切られた激情とは打って変わって、不気味な静けさを保つ男がどう反撃してくるのか。

 予測と対策で上回らなけ――、


 ――息が、できない。


 黒煙が膨らむ兆しと共に一巴はバックステップを刻んでいたが、その速度を超える巨体の飛び蹴りが胸骨を捉えていた。

 身を捻って受け流そうにも男の足底は一巴の胸部よりも大きい。

 為す術なく押し込まれた身体が軋みを上げ、直線を描いて木々の合間を飛んでいく。

 その最中、一巴は男を見ていた。

 堀の深い顔付きは日本人のものではない。戦歴を物語る顔の傷(スカーフェイス)が頬を占めるドクロのタトゥーを不格好に歪めている。

 先程の攻撃で男が受けた傷は右肩の出血のみ。

 恐らくは棒手裏剣に塗布されたトリカブト毒を見抜いて自分で抉り取った痕だろう。


 ――フィジカル頼りではない。


 おおよそ知性とは無縁な容姿ではあるが、戦闘に関する知識と経験、思考の瞬発力が尋常ではない。

 視界の効かない状況で一巴の位置を正確に捕捉できる術すら持っている。

 蹴り飛ばされながらも身体を一回転させた一巴は、衝突するはずだった木立に垂直に着地した。

 体幹の違和感から左肩が脱臼していることに気付く。

 身を捻った時、体重が乗るポイントをずらすことに成功していた。

 そのまま受けていれば胸骨が折れていただろう。


「逃げろ!!」


 一巴は骨身が痛みを上げるのを厭わず大声で叫んだ。

 亜麗では勝ち目がない。最悪の相性と言っていい。

 彼女が技で勝り致命傷を負わせたとしても、男を即死させなければ相打ちで殺される。

 距離の有利が生まれる刀剣ならまだしも、連続射出に難のあるスリングショットとナイフファイトでは不可能だ。

 一巴は木立を蹴って飛ばされた道を戻る。

 肩にたすき掛けしていた背中のボディバッグを前面に回して中に収まる物体に手を伸ばした。

 即死の必殺武器を持っている。躊躇いは既にない。

 但し、幾つかの段階を踏まなければならない。

 その過程で自分も死ぬかもしれないが、亜麗を見殺しにする選択は、ない。


 ――ない? どうして?


 目的の為に生存率の高い選択をする。それが当たり前。

 亜麗とて覚悟の上でこの場にいる。

 なのに心のどこを探しても存在しないのだ。

 笑える。最高に笑える。

 柄じゃない。

 こんな寄り道の自己犠牲、馬鹿のやることだ。


 なのに、悪くないと思えた。


 踏み込む足先からも迷いが消えた時、山間を震わせる一発の銃声が響いた。





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― 新着の感想 ―
[気になる点]  誤字です。 > 視界の効かない状況で一巴の位置を 性格に 捕捉できる術すら持っている。 → 視界の効かない状況で一巴の位置を 正確に 捕捉できる術すら持っている。 [一言]  続き…
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