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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十六話
187/224

【蒼氓】②

   ◆




 踏み込む足音が森の静謐に染み入る。

 午前零時の暗闇の中、きっと誰もが同じように息を潜めて周囲を窺っているのだろう。

 木南一巴は口元を覆う速乾ストールを引き上げて、呼気の白煙を首元へと逃す。

 僅かな音も聞き逃さない。

 僅かな影の変化も見逃さない。

 僅かな違和感、疑問すら無視せず、時には答えを得るまで歩みを止めて警戒を続ける。


 全て母親から教わったことであった。


 何事にも意味があり、誰かの意図が隠れている。偶然や奇跡などない。

 そう思い込むことで最悪を回避する。

 十歳になった一巴は母の教えを守り、髪を切り落とし頭を丸めていた。

 まつ毛と眉毛を短くし、身体に野草を擦り付けて少女のものではない体臭を維持することに努めた。

 狂った親族から性の標的にされない為の知恵である。

 実際、そのいくつかの対策は上手く機能し、現在に至るまで自らの貞操を守り抜くことは出来ている。

 しかし、あくまでも、守れたのは自分だけであった。


 十四歳の冬、母親の埋葬を済ませた一巴は初めて生きる目的を得た。


 手汗と動機が普段のものではないことを理解した時、忘れかけていた感情に手を伸ばしていることを一巴は認識した。

 記憶が閃光のように弾け、鍵をかけたはずの記憶の部屋がゆっくりと開かれていく。

 馴れ合いが過ぎたか。

 小枩原泥蓮の破綻を憐れみ、春旗鉄華の実直さに嫉妬し、小枩原不玉の度量に感嘆し、篠咲鍵理の開き直りに憧れた。

 素直に非を認め衝動のまま鉄華を追いかける冬川亜麗が眩しく見える。

 故に、忘れていた。

 努めて眼を背けていた。

 己は復讐者であるということから。


 不玉が金銭で取り纏めてくれた一巴への不可侵協定。

 そんなもの、義父が守らないことは分かっている。

 束の間の安息を与えて気が緩んだ瞬間、また全てを奪うために一巴の前に現れるだろう。

 どれだけの年月が経とうとも必ず現れる。


 ――もう何も奪わせない。


 不玉は甘いと言わざるを得ない。

 理解し和解する。協定によって妥協する。

 そういった霊長類の知性を手放し、損得の均衡を拒絶する獣は世に存在する。

 話し合いなど選択肢に挙げようもない。

 言葉が通じても理解している意味がまるで違うのだから。

 ならば、するべきことは決まっているのだ。


 視界に朽ちた廃屋が写った瞬間、一巴は遥か後方にいる亜麗に向けてレーザーポインタを一瞬灯した。

 山間の木々の合間にぽつねんと座する小屋。

 周囲に漂う甘い香りはかつてのリンゴ農家の面影を残し、小屋が農具を収める目的のものであることも自ずと分かる。

 衛星写真などでは発見できず、現地で事前調査した人間だけが知り得る地点。

 そこにはおそらく本興行最大の武器とも言うべきAK47自動小銃が配置されている。

 フィールドの端、リタイヤ判定になる線のギリギリに配置したのは、この小銃こそが主催者側の意図した救済措置だからだろう。

 逃亡しようとする臆病者にまだチャンスが有ると思わせるワイルドカード。

 わざわざ弾倉も三本用意されており、如何なる技を修めた強者と言えど九十発のライフル弾を制する術など存在しない。

 相対すればどんな相手でも確実に殺せるという事実は、リタイヤしようとする者の心境を変えるだけの魔力を秘めている。

 そんな中盤以降、膠着状態を掻き乱す余興としての最強武器を、完全に部外者である一巴が手に入れる。

 死者の隠蔽は主催者がしてくれる。

 あとはどこかにいる義父、楠木頼典(ライデン)を探すだけ。

 復讐の舞台は整った――かに思えた。


 一巴は息を呑む。

 口内が急速に渇き、唾液の分泌が間に合わない。

 視線の先には懐中電灯に照らされた納屋のささくれ立った机。

 その机上に無造作に置かれているはずのAK47が無くなっていた。

 武器管理の赤外線センサーと、中継用の全天球カメラだけが虚しく残されている。


 ――誰かが先に持ち去った? 有り得ない!


 否定する思いを即座に打ち消して一巴は周囲を警戒する。

 屋内にも屋外にも気配なし。

 夜間の行動故に、足跡を確認出来ないことが歯痒い。


 問題は先回りされたことである。

 興行の開始から約十分。

 運で発見した可能性より、予め武器の場所を知っている誰かが他にいる可能性の方が高い。

 また、この興行の主催者が特定の誰かに有利を齎すことは考え難い。

 実際に現地を整えた八雲會構成員も、死のリスクを犯してまですぐバレる八百長に加担するとは思えない。

 最も可能性が高いのは、一巴たちと同じように侵入した部外者の存在だ。

 どこの、誰が、何の目的で?

 答えが出るよりも先に、屋外から響く一際大きな音に一巴は納屋を飛び出していた。

 太い枝が折れる音。

 それも通ってきた進路の数十メートル程後方から。


 ――何をやっているんだ私は。


 本来なら即座に身を隠すべきだった。

 草葉に紛れ、枝に飛び乗り、慎重かつ立体的な進行をするべきだった。

 しかし、身体は音源へと一直線に向かう。

 敵が小銃を持っている可能性を知りながらも、冬川亜麗の安否確認を優先してしまった。

 もう取り返しがつかないことを悟った一巴は踏み込みを早め、右手で二枚の円盤を掴み上げる。

 人差し指と親指で一枚、中指薬指でもう一枚。

 飛輪、円月輪と称される投擲武器。

 手裏剣に類する武器の中で斬撃に特化したこの武器は、投擲する間合いに関わらず威力が一定という利点がある。

 棒手裏剣の先端を維持する直打法よりも距離が伸び、刺突距離が定まっている回転打法よりも即座の投射に対応できる。


 踏み込んだ獣道に亜麗が背を向けて立っているのが見えた。

 すでにナイフを構えて応戦の姿勢へ入っているが、彼女は敵が銃を持っている可能性を考えていない。

 そのさらに後方には、目を疑う程の巨体が影を纏っていた。

 錯覚や幻視でなければ亜麗の倍近い身長。

 木立の幹よりも太い体躯からは、一巴と亜麗の体重を合わせても届かない質量が窺える。

 頭部から一枚の外套を纏って直立不動の影。熊ではない。


 一巴は亜麗への警告なしに投擲を開始していた。

 二枚の円盤が左右に分かれ、木々の間を抜けて、巨大な影へと収束するように弧を描く。

 そして、着弾。

 影が僅かに揺らぐが、ダメージの度合いは見えない。


 一巴に気付いた亜麗は視線を切らず後退し、三歩分の距離を開けて並んでから口を開いた。


「上から降ってきたわよ、あいつ」


 乗っていた枝が体重に耐えられず折れた音であることを告げる。

 巨躯であるからといって、身のこなしが鈍重であるという保証はない。

 それでも木に登って移動していたとなると、筋力の底が知れない化物の類だ。

 円盤の一枚は頭部に着弾している。

 敵に反撃する気配はなく、銃やボウガンを持っている可能性は潰えた。

 もし視力を失っているのならば静かに逃走、そうでないならば遠距離攻撃で相手の逃走を待つ。

 次弾の棒手裏剣を握り締めた一巴は、影の外套が取り払われた時、自分の間違いに気付いた。


「マジっすか……」


 頭部だと思っていた部分はそそり立つ髪の毛であった。

 見事なまでに固められた垂直のモヒカンヘアー。

 その前半分を刈り込んだ円月輪はそのまま頭上で留まっている。

 もう一枚の円月輪は()の左手で掴まれていた。

 暗闇の中飛来する円盤の一枚は男の反射神経で捉えられていたことになる。

 男が負傷していない現状で逃走は選択肢にない。


 一巴と亜麗、それぞれが追撃に移るよりも先に、闇の中から獣の雄叫びに似た咆哮が響いた。


「フゥウカットマイヘアァァァァアアア!!!」




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