【亡国】⑥
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「鉄華、予防接種ハ受けたカ?」
「はい」
「そ。ナラ合流地点を確認するネ」
四種混合ワクチン接種は参加者の義務ではないが、現代人であれば当たり前の備えである。
僅かな擦り傷も破傷風になり得る。
机上に広げられた地図は記号と等高線のみの簡素なものだが、実際は鬱蒼とした森林地帯であり、ただの直線移動でも想像力を働かせないと死に繋がる。
机の向かい側には能登原家御用達の殺し屋、チケット。
リクルートスーツを着込み、黒縁の眼鏡を掛け、教鞭を大げさに振り回してから地図の一箇所を指し示した。
「基本ハ高所。目立つ河川とダム施設を避けテ、森に潜ムべき……デモ、ワタシたちが向かうのはここネ」
合流地点。
バトルロイヤルの参加者は開始地点を予め宣言できる。
いきなり遭遇する事を避けるため互いの距離は幾らか離されるが、共闘する鉄華とチケットの最初の目標は敵に見つからず合流することにある。
しかし、チケットが指し示す地点はダムに沈むはずの廃村の一角であった。
開始地点としては論外、森から廃村に降りて行くのですら危険が大きい。
「ここにハ地下壕の入り口がアルの。キリコが言うには世界大戦時の遺物デ、戦後ハ手付かずのママ放置されていタらしいヨ」
説明をしながらチケットは山岳の等高線に重ね合わせるように地下壕の見取り図を乗せた。
鉄華自身思い当たる節がある。
この辺りは災害時の防空壕とも、旧日本軍大本営の移転先とも、皇居にある三種の神器の隠し場所候補とも言われる地下壕跡が多く残っている。
現代でも手付かずのまま残っている地下壕はまだまだ残されているのかも知れない。
だが、そんなものをどうやって能登原貴梨子が発見したのかという疑問が浮かぶ。
答えは予想できる。
恐らくこの地下壕こそが件のM資金の隠し場所だったからだ。
守山蘭道が弟子たちに託した五剣。それが指し示す埋蔵金の在り処。
そんな土地を八雲會が買収しているのは偶然と思えない。
撃剣大会以前から続く篠咲と八雲會の密接な関係が見えて来るようで、腹立たしさが蘇る鉄華であった。
「この地下壕を拠点としテ、誘イ込まれタ哀れナ生贄を殺してイきまショウ。簡単ネ」
「……」
遭遇戦が基本のバトルロイヤルに於いて、待ち伏せという戦術は圧倒的に有利である。
ましてや、初見で複雑に入り組む地下壕に放り込まれてはひとたまりもない。
これはおそらく鉄華たちのみが知り得るであろう大きなアドバンテージになる。
「鉄華ハ、これまでデ何人くらい殺してキタ?」
「――」
突然向けられた質問に、言葉を失う鉄華であった。
もはや躊躇いは無い。
殺しにくる相手を殺し返す。
法的にはともかく、信条的には何の齟齬もない。
それでも言葉を失うのは、欲をかいたチケットが金目当てで敵に回る可能性を考えていたからだ。
視線の交差。
上目遣いの殺し屋は、笑みを返す鉄華の奥底を覗き込む。
「……ハ、驚いタ。アナタ、ヴァージンなの? 超ウケるネ」
「殺した人数なんて関係あるんですか?」
「アルヨ。大アリクイヨ」
「……アリクイ?」
そこまで言うとチケットは黒縁の眼鏡を一度外し、息を吹きかけて埃を飛ばしてからまた掛け直す。
殺人経験がないのに殺人興行に参加する鉄華に呆れたようでいて、まるで興味がないようにも見える素振り。
殺した人数に関係しているのか分からないが、相手を値踏する能力ではチケットに分がある。
鉄華は未だ彼女を測りきれていない。
「アノネー、いくらオナニーしてもセックスしたことにハならないでショ? 殺しも同じネ」
「……チケットさんはあるんですか?」
「モチロンヨ。殺しのヤリマン大先輩ネ。マァ仕事だし、その辺りモ含めてレクチャーしてあげるネ。アナタ、資質だけハ備わってるかラ」
「資質だけ?」
「だって鉄華、弱いヨ。身体ハ出来てるケド、殺シ合いでハ場違いナくらいの雑魚。今は、ネ」
チケットは目尻に朱の化粧を乗せたキツネ目でウインクしてみせた。
首筋がひりつくように思える。
先日組まれた貴梨子のボディーガードとの一戦を分析され、その結果、歯牙にも掛けない雑魚だと判定されている。
まだ無意識に掛かる心理ブレーキがあり、殺しを生業にするチケットはその僅かな機微をも見逃さない。
「いいカ? 人間は有機物ノ集合体、タダそれだけのことヨ。化学反応デ起きル電気信号の火花ヲ思考や自我だト思いこんでイルだけネ。だからチョットの工夫で罪悪感モ嫌悪感モ簡単に消せるヨ」
「どうするんですか?」
「殺戮を愉しむことネ。慣れルんじゃナイ、我慢するノでもナイ、愉しむの。常識や倫理を踏破スル原始の快感を受ケ入れるのヨ。大丈夫、ワタシが教えてアゲルから安心ネ」
「……分かりました。よろしくお願いします」
八雲會興行に際して、ルールに明文化されている事項がある。
『戦いの意思を持って積極的に参加したことが認められなければ排除する』という一文。
消極的に逃げの一手で時間切れまで残ろうとする臆病者を八雲會は認めない。
だから鉄華は狂気を受け入れ、演じることに徹するのだ。
殺し屋の矜持。殺し屋の理論。
真っ当な人生を望む人間には何の役に立たない狂気を身に宿し、殺し屋に師事を仰ぐ。
辿り着いた先で泥蓮に逢えた時、どんな言葉を投げ掛けるべきか。
そんな大事なことすら浮かばないまま、目を逸らすように、ただ死闘へ赴くことへ全神経を向ける鉄華であった。




