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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十五話
183/224

【亡国】⑤

   ◆




 鳥の囀りが聞こえる。

 夜明けに伴い活動を開始した鳥を追うように亜麗は歩を進める。

 Tシャツを被り込んで作った覆面の僅かな視界を頼りに、踵からゆっくりと地面に足を落として、道とは呼べない斜面を登っていく。


『迷った時は野生動物に倣って行動するっす。水源へ案内してくれたり、食べられる植物を見分けたりできるっす』


 亜麗は十メートル先を歩く木南一巴の背中を眺めては、彼女の言葉を反芻する。

 敵地を横切る際に考慮しなければならないのは待ち伏せと地形による跳弾。密集して進行すれば被害は甚大になる。

 先導する一巴のリスクを考えて申し訳ない気持ちになる亜麗であった。


 昨晩の邂逅は、同じものを追っていた同士、辿り着く場所が一致しただけのことである。

 それでも、亜麗には縋り付きたくなる奇跡に思えた。

 転校して鉄華の友人として一巴に会うという道を通っていなければ、話しかけられることもなくそのまま始末されていたかもしれない。

 現状、木南一巴には勝てない。コンディションの差が歴然である。

 少なくともサバイバル経験で一巴の方が圧倒的優位にいるのは否めない。


『いやぁ、それにしても亜麗ちゃんが山頂側から侵入してくれててよかったっすよ。見回りの連中、怠けて上の方には来ないみたいっすから』


 八雲會の警備のことである。

 ただ戦術的な見地から高所を選んでいた亜麗は嘆息するしかなかった。

 恐らく彼らにとっても森林での哨戒は普段の業務から逸脱することであり、観察と予想で行動範囲を特定するのは容易だったはずだ。

 そんな当たり前の戦略を考えないまま特攻していた自分の行動力に呆れるばかりであった。

 思った以上に思考が定まらない。

 山肌を登る亜麗はそれまで無視していた喉の渇きが表面化してきたことを感じていた。

 最小限の消費に留めていた飲料水もついに底をついて、この先の生死をあまり知らない友人の友人に委ねる事態であることに歯噛みする。


 背後の息切れを察した一巴は一度亜麗へ視線を送り、手招きしながら足を止めて周囲を見回し始めた。


「ここまで登ればほぼ安全っすね。とりあえず休憩して水分補給しときますか」


 そう言いながら取り出された大振りのサバイバルナイフを見た亜麗は、やや遅れてスリングショットを構えて応戦の姿勢へ移行した。

 Y字の枠にゴム紐を付けた単純構造の猟具だが、それ故に環境を利用した弾丸の補給が可能である点で有用な武器。

 今はまだ鉛のベアリング弾も充分にあり、手持ち部分の磁石に複数装填しての散弾投射が行える。

 戦っても勝てないことは理解しているが、逃げることなら後れを取らない。

 思考に先行して身体が動いていた。

 亜麗は心底で燻る一巴への不信感を拭えないでいる。

 彼女は鉄華の先輩ではあるが、撃剣大会の混乱を作り上げた一因でもあるからだ。

 能登原英梨子を騙し、拉致と殺害に加担。

 そしてその強さは依然不明なまま。

 鉄華も小枩原不玉の死因に繋がる工作をした彼女を快くは思っていないだろう。

 亜麗と同じ手段で八雲會興行に乱入するのであれば金銭は得られないので動機も分からない。

 敵対する理由は無いが、警戒には値する人物である。


 そんな亜麗を冷めた視線で眺めていた一巴は呆れたように口を開く。


「……あのね、私が殺す気ならとっくに死んでるっすよ、亜麗ちゃん。短い時間で信頼するのは難しいだろうけど、私は努力するから亜麗ちゃんもそうしてほしいっす」


 事実ではあるが言葉は信用できない。

 言葉や小さな仕草で油断させ罪悪感を植え付けるのは兵法の初歩である。

 八雲會の監視が届く範囲での殺しは興行開催に影響する。

 だから場所を移しただけとも捉えられる。


 一向に警戒を解かない亜麗へ対して再度溜め息を零した一巴は側面を向き、樹木から垂れ下がる蔓を掴んだ。

 直径三センチ程度の太い蔓に白い花弁。

 名前は分からないが樹木に寄生して伸びる蔓植物の一種であろうか。

 一巴は引き込んだ蔓をナイフで切断した後、暫く断面を眺めてから亜麗の方へ向き直った。


「こういうぶら下がる蔓や枝は貴重な水分補給になるっす。切断すれば高低差ですぐに雫が滴ってくるので、透明だったらそのまま飲んで大丈夫っすよ」


 一巴は蔓の断面から滴り落ちる水滴を幾らか口にした後、亜麗にも差し出す。

 あんなにも渇望していた水が、締め忘れた蛇口のように次々と溢れては地面に吸い込まれていく光景。

 亜麗の思考は生存の優先順位付けを決められないまま破綻し、気付けば吸い込まれるように蔓を受け取って口腔を潤していた。


「亜麗ちゃんは脱水症状舐め過ぎっす。食事は多少我慢できますが、水分補給は絶対忘れちゃ駄目っすよ」


 生き返る。

 比喩ではなく本当に細胞が活性化し、思考が澄み渡っていくのを感じる。


 ――情けない。


 一人では何も出来ない。

 それなのに根拠のない自信を振りかざして、その結果死にかけてもまだ自分だけで何とかなると思い込んでいたことが恥ずかしい。

 明らかなお荷物なのに手を差し伸べてくれる一巴を信じ切れないことが恥ずかしい。

 無力であることが、ただただ恥ずかしい。悔しい。

 涙が溢れる。

 今し方補給した水分を台無しにするくらいの涙が流れていく。

 人間とはつくづく感情の生き物である。

 かつては感情を切り離そうと躍起になっていたのに、その先に武の極地があるように思えていたのに、他人と関わればいつも感情を揺さぶられる。

 あんなにも冷徹で機械のように立ち振る舞っていた篠咲鍵理ですらも、今は泥蓮を救おうと動いている。

 きっと誰もが切り離すことなど出来ないのだ。

 この揺れ動く想いを抱えたまま強くなる道を模索する、だから迷い、悩み、後悔もする。


「ど、ど、どうしたの? 亜麗ちゃん」


 突然の涙にわけも分からず狼狽する一巴は、亜麗に触れるべきか逡巡する手を宙に泳がせている。

 そんな一巴を眺めた亜麗は、先程の疑いが一瞬で払拭されていくように思えて頬が緩んだ。


「……ありがとう。一巴さん。もう大丈夫よ」


 涙を拭い、ブーツの先端で地面を小突く。

 トン、トン、トンと三回。

 自分の存在を確かめるように力強く、接地を確かめる。


 ――もっと強くならなくては。逃げず隠れず最短で。


 一呼吸置いて平時のコンディションを確立させた亜麗は、眼前を見据えて気丈に応えた。


「さぁ、案内してくれるかしら。貴方の隠れ家に」




   ◆




「いやいや、ちょっと待ちなさい」


 山の中腹、ダム予定地を貫く河川の源流たる岩場の隅。

 立ち並ぶ岩と岩がちょうど壁のように機能する隙間に枝葉で屋根を拵えた天然の住居が一巴の潜伏先であった。

 生い茂る樹木が入り口を見事に覆い隠し、空気が出入りする隙間も確保できているのは、亜麗も流石と言う他ない。

 内部は六畳ほどの空間があり、手足を伸ばすのに不自由はない。


 問題は寝具。

 灌木を積み上げて広い葉で覆った即席のベッドが一つしかないことである。


 食事を終えた亜麗を待っていたのは一巴との同衾であった。


「えー、だってしょーがないじゃないっすか。亜麗ちゃんは身体冷え切ってるんですからこうして人肌で温め合う以外―」

「なら私は床で寝るわ」

「駄目っすよ。地面に直接寝るから無駄に体温奪われるんす。ノミとかアリとかクモとかに刺される危険もあるっすよ。できるだけ地面から離れて寝る、これサバイバルの鉄則っす」

「よくもまあ口が回るわね」


 とはいえ亜麗に反論の余地はない。

 衣服に張り付いたノミやダニを払い落とすだけで小一時間掛かり、ブーツの紐通しの穴から入り込んだヒルを落とすのに至っては一巴の手を借りずには出来なかった。

 陽が登りきった今、火を焚くのは居場所を知らせるようなものだ。


 ――これは体温維持の為。浮気ではない。


 亜麗は自身が置かれた状況を誰に釈明するでもなく念仏のように唱え続けている。

 シングルサイズにも満たないベッドに二人の女。

 背を向ける亜麗に覆い被さるようにして一巴が暖を保っていた。

 持ち込んだ寝袋を広げて掛け布団にしたのは亜麗なりの礼儀であったが今では後悔している。

 背中は性感帯である、という知識はどこで得たものであろうか。

 コントロールできない他人に背中を預けるむず痒さはどこか官能的な感触を伴い始めていた。


「……屈辱ね」

「ふふふ、死にたくなければ大人しく私の抱き枕になるっす」

「くっ」


 あるがままに感情を受け入れて強くなると誓った想いを早くも撤回したい亜麗であった。




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