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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十五話
181/224

【亡国】③

   ■■■




 抜くのではなく腰を引く。

 脇構えから正眼に移行するように小さな半円を描く。

 その最中にスナップを利かせて最小限の打突を放つ。

 刺し面に近い。

 竹刀や木刀では意味のない打撃になるが、真剣ならそれで充分。

 そして更にもうひと工夫。

 抜刀した右手に追い付いた左手は、柄を握るのではなく、柄と右手首を握る。

 そうすることで斬撃の粘りが上がり、薬丸自顕流の袈裟斬りと相対しても留め得る程の防御にもなる。

 まるで居合の合撃打ち。

 撃剣大会で観た立身流の技、【向】を放つ鉄華は、剣尖が捉えた物体の末路を目に焼き付ける。


 抜刀された白刃と懐からハンドガンを取り出す男の手は相対速度で衝突し、脆く弱い方が縦に裂けていく。

 ピンク色の断面には白色の骨が確認でき、やがて朱に染まり飛沫を上げる。

 トリガーを引こうとする人差し指が皮一枚残してぶら下がり、グリップを握る中指はブーメランのように回転しながら地に落ちていく。

 保持できなくなったハンドガンが手の内を滑り落ちていく最中、男は反対の手を懐中へと忍ばせる――が、その瞬間身体が宙に舞い、意識が途切れた。


 下方から突き上げる重い衝撃。

 顎部、頸部、内臓を同時に揺さぶる鉄華の体当たりの方が先に着弾していた。

 受け身の取れない肉塊が床で弾み、転がり、やがてうつ伏せのまま動かなくなる。

 生死は分からない。

 流れる動きで標的追いかけていた鉄華は、心中の葛藤や嫌悪感を切り離し、殺意を込めた下段突きを放とうとする。


「そこまでよ!」


 女の声が響いた。

 相手が銃を抜いた以上、止まってやる義理など微塵も感じない鉄華だが、目的を思い出して踏み止まっていた。


「分かったわ。分かったから、もうやめて」


 眼前の惨状に辟易し、頭を押さえて死闘を中断するのは能登原貴梨子。

 八雲會興行に際し、闘技者として参戦する意思の春旗鉄華を値踏みする意味での戦いであった。


「言っておくけど、ゴム弾よ。端から殺す意思なんて無いわ」

「そうですか。無駄に死ぬところでしたね」


 鉄華は弾き飛ばした男を介抱する黒服たちに微笑みかける。

 死合前に向けられていた男たちの嘲笑は消え失せ、怪物へ向けるそれへと変貌していた。


 ――真剣の居合で人を斬った。


 手の内に残る初体験の感触。知性が齎す嫌悪感。

 鉄華は押し寄せる感情を封じ込め、狂気を演じる。

 この先も演じ続けなければならない。

 全ては恩義の為。

 守りたいささやかな平和の為。

 立ち塞がる他人の不幸、惨状、或いは死から、目を逸らす術を身に着けていた。




   ◆




「貴方の参戦は快諾されたわ」

「でしょうね」


 死闘の後、場所を移した先は貴梨子の私室として用意されているスイートルームであった。

 知らせを聞いた鉄華は表情を変えることなく返答する。

 八雲會興行への参戦許可。タイミングからして先程の死闘で選考したのではない。

 本来、鉄華の強さを確認するまでもなかったのだ。

 師を同じくする一叢流の門弟同士の対決。

 八雲會が幼稚な理由で開催される殺し合い興行であるなら、ドラマの提供という点で鉄華の参戦は歓迎される。

 つまり、これで八雲會に泥蓮が居ることはほぼ確定した。


 しかし、新参スポンサーである貴梨子が持ち込む闘技者を容認するのは、どこか話が上手く行き過ぎているように思える。

 八雲會はその性質上、慢性的な闘技者不足に陥っているのは確実だが、違法行為に対する守秘義務の方が重要だからだ。

 姉の築いた信頼や関係性を引き継げるように暗躍した誰かがいるのかもしれない。

 心当たりはあった。


「それと……貴方が知りたがっていた姉さんの死因だけど、塩化カリウム投与による心停止で間違いないわね。警察は自殺として扱っている。ただ――」

「ただ?」

「両足の指、右手の親指を失っていたわ。病院に搬送されて治療した後、何者かに塩化カリウムを投与された(・・・)と考えるべきね」


 考えるまでもなく拷問の跡だ。

 関与していた可能性が高いのは泥蓮、一巴、シロ教、そして元赤軍の百瀬。

 撃剣大会後半の混乱は拉致された能登原英梨子の不在のよるものであることが分かったが、篠咲を狙う単一目的で動いていた面々が拷問する必要性など無い。

 つまり、消去法で百瀬が残る。

 拷問してまで吐かせたかった何か。それも考えるまでもなかった。


「赤軍遺産って知ってます?」

「……何?」


 鉄華は貴梨子を陥れる格好の材料を手に入れ、脳内で話を構築していく。


「文字通り赤軍の遺産金です。三つの割符を揃えることでアクセスできる数十兆円クラスの埋蔵金だとか。能登原英梨子さんが撃剣大会を開催した目的です」

「初耳ね」

「私も今更言うことになるとは思っていませんでしたから」

「……どういう意味? 何で貴方が知っているの?」


 陰謀論や都市伝説に近い与太話。

 しかし八雲會の存在を確認した貴梨子には鉄華の話を信じる土壌がある。

 蒙昧な復讐者は敷かれたレールの上に踏み込んでいた。


「英梨子さんが匿っていた元赤軍メンバーの百瀬さんですが、彼女は私の祖父の弟子です。剣術の方の。その縁で大会中、私に割符の一つを譲ろうと接触してきたんです」

「貴方が持っているの?」

「いえ。燃やしました」

「はぁ? 何てことしてんのよ貴方」

「嘘でも本当でも、そんな物を私が持っているリスクの方が大きかったですから。でも、今確信しました。あの割符は偽物です。割符の情報だけを与えて誰かを動かす意図での接触だったんでしょう」

「それが姉さんと何か関係あるのかしら?」

「英梨子さんは拷問された時点で残り二枚の割符を所持していました。犯人は明らかです」

「その百瀬という女は姉さんより前に死んでるわよ」

「百瀬さんは大会参加者のセコンドを務めていました。国際指名手配の身でそこまで引き受ける関係性があったということです」

「……つまり、参加者の何とかという男が姉さんの拷問に関与し、最後は全て持ち逃げしたと」

「ええ、おそらくは」


 煩わしい説明を終えた鉄華は神妙な顔を作って、貴梨子の反応を待った。

 大会参加者の野村源造という男はかなりの遣り手だ。

 能登原英梨子の側に属しながら、拉致で必要な組織力を泥蓮、一巴、シロ教を巻き込んで構築している。

 孤立した篠咲を葬ろうと一叢流の手引きをしたのも彼だろう。

 それだけ動きながら終始話の脇役に収まり、試合も引き際を心得て無傷で生還している。

 割符の情報を流してしまった鉄華にも非はあるが、あの時点で一巴の動きを読み切るのは不可能であった。

 全てを知り、他人の思考を制して、一人勝ちで行方を晦ませた男。

 貴梨子程度で太刀打ちできるわけがない。


「ありがとう、鉄華。殺すべき相手がようやく見えたわ」

「どういたしまして」


 鉄華は内心で嘆息した。

 貴梨子を生かしておくリスクはシロ教をぶつけることで解消する気でいたが、これで上手く行けば見えないところで勝手に死ぬだろう。

 もし野村を殺すことができたなら感謝と大金だけが残り、復讐の矛先が一叢流に向くことはない。

 篠咲に関しては生きてようが死んでようがどうでもいいことだ。

 鉄華は抱えていた危惧を八雲會興行の前に払拭できた喜びで頬が緩みそうになったが、感情ごと静かに心の奥底に仕舞い込んだ。


「お礼というわけじゃないんだけど、貴方が八雲會に参戦するにあたって協力者を用意したわ」

「はい?」

「参加希望者の不足ということで捩じ込むことができたの。今回の興行は複数参加の乱戦。勝ち残りトーナメントではなく期限付きの戦い。なら最初から組める相手が居るのは相当な助けになるはずよ」

「……必要ありませんが、一応聞いておきます。誰ですか?」


 突然の提案に鉄華は否定的な返答をしてしまう。

 貴梨子が用意した人材など身近に置いておきたくない。

 上手く関係性を構築したと思い込んでいる鉄華だが、貴梨子の方も鉄華を信用していない可能性は捨てきれない。


 意図を読み解こうと思考を走らせる鉄華をよそに貴梨子が誇らしげに指を弾くと、蔦を編み込んだ仕切りの向こうから一人の女が現れた。

 見知らぬ女。赤に金の花模様を鏤めたチャイニーズドレス。

 問題は入室してから今まで一切気配を感じなかったことにある。

 鉄華の警戒心はけたたましく鐘音を鳴り響かせていた。


「紹介するわ。姉さんの伝手で雇ったなんでも屋(・・・・・)よ」

「はじメましテ、ハルハタさん。(ゥオ)のことはチケットと呼んデくだサーイ」

「……」


 ――欲を出したか。


 貴梨子は出資者であり、賭博の参加者でもある。

 勝敗をコントロールしようと暴走すればするほど八雲會を敵に回す可能性は上がり、鉄華としては利がある。


 しかし、眼前の女は警戒しなければならない。

 目付けや手置き、立ち振舞いや体幹以上に異質な匂いを纏っていた。

 オーデコロンや消毒臭に隠された匂い、それは火葬場のそれに近い。

 髪の毛を燃やした時のタンパク質臭と僅かに漂う血臭が『なんでも屋』としての経歴を物語っている。

 そもそも八雲會の内容を聞いた上で仕事として了承する人間がまともであるはずがないのだ。


 ――それでも、演じなければならない。


 鉄華は目的の難易度が上がったことを察しながらも、値踏みの視線を崩さず、対岸に浮かぶ狂気の笑みを真似ながら握手を交わすのであった。




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