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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十五話
180/224

【亡国】②

   ■■■




「公の魚と書いてワカサギと読むそうだ」

「はぁ」


 料亭の個室にて、山雀州平は気のない返事を浮かべて天ぷらに齧り付いた。

 薀蓄を語りながらも対面に座る二人(・・)の手置きを観察していた由々桐群造は、ただただ彼らの協調性の無さと傲岸不遜さを感じるばかりで、この先の展開を任せることに些かの不安を感じていた。


「かつては茨木の名産でな、年貢としてワカサギを納めていたことからやがて公儀の魚となった。だがこの魚、中々の環境適用力があり、食用としても悪くない。そんなわけで明治後期くらいから全国の湖沼に放流され始めた。だからこんな山奥でも新鮮な天ぷらが食べられるというわけだな」

「おっさん、その話長い? 七味取ってくれよ」

「おっさんなのは否定しないが雇い主であることも忘れるなよ、木崎三千風」


 木崎の性格は理解しているが、死闘に際する緊張感の欠如は判断に困る。

 豪胆なのか阿呆なのか。

 せめて個人のプライドを優先する程の間抜けでないことを祈る由々桐であった。


 それに対し、山雀は既に仕事の顔になっている。

 経験の差だ。

 大会で木崎に破れた山雀だが、伊達にワンマンアーミーを気取っていたわけではない。

 入念な準備を積み上げて戦う前から勝利を築くことの重要さを理解している。

 些か歪な価値観を有しているが、今回の興行では山雀にアドバンテージがあるのは間違いない。


 そんな由々桐の値踏みを待ってから、山雀はようやく本題に入った。


「わざわざこんな山奥まで連れてきたのは、ここで八雲會興行が開催されるってことは間違いないんだな?」

「あぁ」

「根拠は?」

「疑り深いな」

「キューバもバハマもハズレだった。無駄に出向した時間を返してほしいね」

「良い休暇になったろ。次はガーンジー島にでも行くか?」

「は? 冗談聞いてる暇は無いぞ、由々桐」


 八雲會興行は日本国内だけで行われるものではない。

 むしろ法整備が未熟で、賄賂でどうにでもなる後進国で開催した方が秘匿する費用も少なくて済む。

 山雀は結論が出るまでに遠回りしてしまったことで由々桐を責めている。

 ミスは誰にでもあるが、ミスを許されない職務というものもある。

 無駄な時間で出る被害者を慮っての叱責であった。

 一応山雀の上司である由々桐だが、立場は対等なものであることを容認している。


「ねえねえ、君ら何の話してんの?」

「タックスヘイブンだよ。パナマ文書って知ってるか?」

「オーケー、俺は黙ってるわ」


 木崎は口をファスナーで閉じるジェスチャーで視線を切り、再び目の前の高級料理と格闘し始めた。


「特定が遅れたのは、標的が複数の国籍を使い分けているからだよ。パナマ、バハマ、キプロス、リヒテンシュタイン、そしてアメリカと日本だ」

「最終的にどうやって特定したんだ?」

「強行採決された利子補給法案。パナマ文書のペーパーカンパニー保有者の中で一番利益を享受するブローカーは『佐久間汽船』という船会社の代表、佐久間現果(アラハテ)という男だ」

「便宜置籍船、マネロンか」

「元々そっちが本業だったようだ」


 資金洗浄の基本は、不法な商売で得た現金を税制の緩い国に持ち出し、現地でペーパーカンパニーを作り、法人名義で不動産や美術品を購入して、即売却し、最終的にスイス銀行に移して足跡を消す、という手順である。

 一番の難関は現金を他国へ移す段階であり、銀行窓口を訪ねても入金出来ない金を安全に運ぶ仕組みが必要となる。

 そこで便宜置籍船という制度が利用される。

 船舶は国旗を掲げた国の法に従って運用されるので、安価な登録料と税制を用意し海外船舶の登録を許可している国がいくつか存在する。

 そして便宜置籍船を許可する国というものは、大抵マネーロンダリングや租税回避のオフショアビジネスを容認している。

 自国の旗を掲げた船に対するポートステートコントロールは甘い。

 便宜置籍船ビジネスの窓口となっている者が、そのまま租税回避を担当することは珍しくもないのだ。


 しかし、現在はいくらか事情が変わっている。


「今時タックスヘイブンはないだろ。リーマンショックで金融商品に依存する国は崩壊した。パナマ文書のおかげで資金移動の対策法も作られ、スイス銀行もアメリカには逆らえなくなっている」

「しかし顧客との繋がりは残る。いや、弱みを握っていると言ってもいいな。今は計画倒産や仮想通貨のマネロン、ネットギャンブルの運営へと切り替えて顧客を誘導しているらしい」

「それが能登原との関係ってわけか」

「そうだ」


 ターゲットについて一応の納得をした山雀は、猪口の日本酒を一口呑んでから別の疑問へと移る。


「で、何でこの山奥なんだ?」

「頓挫したダム計画のスポンサーに佐久間が名乗り出ている。はっきり言って何の得もない出資だ」

「ダムが完成したらそこそこ儲かるだろ」

「ダム計画に反対する団体を黙らせる金、建造費、保守費用を考えると、建造期間を入れて利益へ転化するのに六十年掛かる試算だよ。その頃、佐久間は死んでるさ」

「たかが一興行の為に出資したってことか。夢があるねぇ」

「人物像も見えてくるだろ」


 一人分の人生では消費しきれない程の娯楽が氾濫する時代。

 リアルをゲームで侵食することは、金と権力を得た子供じみた大人(キダルト)が求める娯楽としては極地にあるのかもしれない。


「八雲會の命令系統は単純だが組織のリゾームは複雑だ。立証困難な手管を幾つも重ね、下部を切り離すことも容易い。壊滅させるならトップから消さないといけないが、佐久間の表の顔は基本的に法整備を先回りした合法ビジネスでしかなく、国籍も曖昧。居場所も不明。そこで超法的手段に訴える俺たちの出番ってわけだ」

「とぼけるなよ由々桐。この案件、金の匂いしかしねえじゃん。アンタの本命はそっちだろ」

「もちろん金も人脈もビジネスも全て乗っ取らせてもらう。それが俺たちの組織に回る。ひいては日本の為になる。不服か?」

「俺は俺が見たものを信じる。俺の正義は俺が決める」

「知ってるよ」


 山雀の熱意ある視線が意味するところは、必要なら由々桐でさえ殺すという表明である。

 まだ幼い、と由々桐は思った。

 目の前の嫌悪感を振り払うことに精一杯で、清濁併せ呑んで大局を見据える余裕が無い。

 人間とは本来欲望のままに行動する悪の生物であり、善行とは意思と努力の結果である。

 収まるところに収まれば誰でも悪になり得るのだ。

 佐久間現果も例外ではない。

 潔癖なまでに悪を許容できない山雀の性質は、人類のみならず、自分自身をも滅ぼす。

 由々桐は頬を緩めた。


「まぁとにかくだ、通信機器の逆探、及び時間稼ぎの為、お前ら二人には八雲會興行に参加してもらう。もし現場に佐久間が居たなら問答無用で殺せ。それが任務だ。喧嘩するなよ」

「由々桐は何をする? お前だけ楽してないか?」

「俺は関係者の足跡を把握しているであろう人物を追う」

「そんな奴居たか?」

「篠咲鍵理だよ。おそらく佐久間とも面識があるはずだ」


 篠咲は元八雲會闘技者である。

 刀集めの一環で参加していたようだが、彼女の強さは八雲會でも十分通用するものだと由々桐は評価している。

 脱会にあたって、引き止めたい運営と接触しているのは間違いない。

 出資者である能登原と八雲會の距離も不明なままだ。


「えーと、俺は単純に戦いに興味あるんだけど。死亡率がクソ高い興行で勝ち続けてる殺人鬼ってどんなもんか試してみたい」


 任務の概要に移ったことを理解した木崎は、空にした食膳から離れて口を挟んできた。

 予想通りではあるが、今回は武術家のプライドは封印してもらわなければならない。


「駄目だ。諦めろ。偶発的に起きる共闘ではなく、最初から組んでいる有利を活かせ。不意討ち騙し討ち、何でもできるだろ。ゲームじゃないんだ」

「チーミングは運営に禁止されてないの? チートだよ、チート」

「所詮寄せ集めの興行だ。想定もしてないだろう」

「俺は別に一人で問題ない。素人のおもりをしながら動く方が面倒だ」


 山雀が挑発の気炎を吐く。

 由々桐は懸念していた状況に眉間に皺を寄せる。


「ほら、山雀くんもこう言ってることだしさ。大会じゃ惨敗だったけど試合と実戦は違います的な言い訳を尊重してあげるのも大人の役目だと思うんだ」

「木崎くんは銃撃も想定したスーパー古武術修めてるようだから、銃を手に入れたら錯乱した新兵みたいに掃射してあげるね」

「それは楽しみだなぁ。山雀くんもサバゲーオタクみたいにカモフラージュし過ぎないよう注意してね。山の妖精と間違えて斬っちゃうかもしれないし」


 山雀と木崎は水と油だ。

 軽口を叩きながらも冷静で冷酷な機械であるはずの山雀は、木崎を前にすると沸き立つ。

 性質の不一致からくる忌避なのか、同族嫌悪なのか判断できない。

 本来避けなければならない二人の共闘を組んだ由々桐は、心の暗雲の裏側に潜む漠然とした愉悦を感じていた。

 愉しい。

 直視してしまえば事態の不確定さなど些細なことのように思える。

 歪んだ正義で百瀬を手に掛けた山雀がどう壊れていくのか。

 角度を変える度に模様を変える万華鏡のような世界の本質を捉えた時、何を根拠に正義を主張するのか。

 愉しくて仕方がない。

 世界のどこかに居る佐久間現果を想像し、由々桐は想像の中の佐久間と同じように笑みを浮かべてみることにした。




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