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どろとてつ  作者: ニノフミ
第六話
18/224

【一叢】③

   ◆




 戦時中、空襲の被害が少なかったこの町は昔ながらの複雑な路地がいくつも残っており、それに合わせて線路も既存の交通網と連携を図れる路面電車が今だ現役で活躍している。

 唯一、空襲で大きな被害を出したのがこの宗彭山であったという。

 投下されたたった一発の焼夷弾は山頂付近に建っていた禅宗の寺に直撃し、勢いを増した火の手は山の半分以上を消し炭に変えた。

 帰投する爆撃機が機体を軽くするために捨てた余り物の爆弾とも言われているが真偽は定かでない。

 兎にも角にもその時の火災で寺の住民も焼死し、元々不便すぎる環境にあった寺は建て直されることなく遺族が相続の折に山を売却した。

 後に小枩原家が買い取り、禅僧に由来する山の名前だけが残ったという経緯があるらしい。


 現在、山頂への道はアスファルトで舗装されていて、獣道を掻き分けるような登山を覚悟していた鉄華はタクシーで直行するという移動手段に肩透かしを食らった気分であった。


「家を建てる場合は道路に隣接させろという法律があるらしくてな、死んだ爺さんが自腹で道引いたと聞いたことがある」


 実家の門を前にして泥蓮の解説が続いている。

 山頂には森をくり抜いたように石塀に囲まれた空間があり、高さ三メートルほどの大きな門は客人を出迎えるように開かれていた。

 入口から続く広めの庭は黒石の玉砂利と手入れの行き届いた松の木で装飾され、その奥に書院造の家屋が見える。

 私財を投入して道路を施設し、頂上に武家屋敷を建てるという財力があるあたり、小枩原家はかなりの名家なのではないかと鉄華は考えていた。


「そんじゃ、行くか」


 門の敷居を踏み越える泥蓮の後を鉄華が続く。

 砂利を敷き詰めているにしても庭には雑草の一つも見当たらない。紛れもなくここに住んでいる人間がいることの証左である。

 夏の入り口を迎えた山の木々は青々と生い茂り、蝉の鳴き声が隙間を埋めるように鳴り響いていた。


 緊張感なく歩を進めて行く泥蓮を見ながら鉄華は少し違和感を覚えた。

 平常心を保っているにしても無策すぎる。

 親であるにしてもまともではない(・・・・・・・)と銘打ち、準備を促す程の相手のテリトリーに武器も持たず策もなく突入するのは危険に思える。

 相手は泥蓮の師ともいえる人物である。

 いざとなればポケットの小銭を投げつける準備をしていた鉄華ではあるが、その程度の攻撃で効果があるのか甚だ疑問である。

 こんな事なら木刀の一本でも持ってきておけばよかったと後悔していた。

 

 泥蓮は家屋の玄関ではなく、庭を横切って回り込んだ縁側で歩を止めると、雨戸を叩いて叫んだ。


「おーい! ババア! 生きてるかぁ!?」


 がわんがわん、と割れんばかりの勢いで雨戸が揺れる。

 だが、返事はない。 


「クソババア! 娘の帰還だぞ! 生命保険入ってるか!? 生前贈与って知ってるか!?」


 不謹慎な単語を交えながら再度呼びかけ、それでようやく雨戸の奥から何やら物音が聞こえ始めた。

 耳を澄ましていた鉄華は、襖の開かれる音に続いて銃声や英語の音声、甲高い声の話し声を捉えた。テレビの音であろうか。

 そして雨戸の鍵がカチャカチャと鳴り、勢い良く開かれていく。


 立っていたのは長身の女性であった。

 腰まで届く黒髪は乱雑に跳ねていて、白地にえんじ色で雲や花が描かれた浴衣を身に纏っている。

 袖から伸びる左手は不自然なほど真っ白で、よく見ると節々が球状の関節で構成されている義手であった。

 髪の間から覗く目元は隈がかり、細く涙目の瞳は寝起きであることが伺える。

 まるで和製ホラー映画の幽霊のような出で立ちであった。


 女は髪をかき分け顔貌を晒すと、泥蓮と鉄華を細目で見据えた。


「……なんじゃ、どこのバカかと思えばうちのバカ娘ではないか。久方ぶりよのぅ」


 そう呟いた刹那、女の体が音も無くふわりと浮かんだ。

 前方宙返りで飛び越えながら泥蓮の前髪を掴み、着地した時には脇の下を通った手が首元で結ばれていた。

 柔道の片羽絞めである。


「ぐぉ……てめぇ……」


 余りに自然な所作でありながら瞬時の出来事に鉄華はおろか、泥蓮ですら対応が追いつかなかった。


「気のせいかのぅ? 母親に対する不敬な言葉が聞こえたような気がするぞ。久々すぎて口の聞き方まで忘れてしまうとは憂い奴じゃ」


 絞め技はゆっくりと首元の空間を狭めていく。

 鉄華は判断に迷ってしまう。

 位置的に小銭を投げつければ泥蓮に当たる。引き剥がすには当て身しかない。

 徒手の攻撃に関しては丸っきり素人だが、経験的に動くのであれば体当たりの間合いだ。

 二人共吹き飛ばしてしまうことになるが、不意の体当たりなら達人でも技で対処するのは難しいはずで、何よりもまずは現状を打破するべきだと考える。

 鉄華は息を吸いながら丹田に力を込めて動く、――が泥蓮はそれを手で制した。


「……待て……分かったよ……分かったから離せよ……おふくろ」


 その返事を聞くや女は絞め技を解き、「よーしよしよしよし!」と泥蓮の頭をワシャワシャと撫で回した。


「くっ……」


 髪を揉みくちゃにされながら泥蓮は悔しさと嫌悪を滲ませていた。

 だが並んだ二つの顔は紛れもなく血を引いた親子であることを示している。

 それが不器用な親子の愛情表現だと気付いた鉄華は自然と構えを解いて、戦闘の準備を促したのはある種の冗談だったのであろうと思い直していた。


「んで、そっちのイケメンは婿か!? なんじゃ、中々隅に置けぬではないか! でかしたぞ!」

「ちげえよ……」


 女の双眸が鉄華に向けられる。

 それは篠咲のような相手の芯を掴む眼力ではなく、鉄華の立つ位置のもっと遠くを見るような曖昧な視線であった。

 相手とその周囲を同時に見る目付けは古流諸流派の基本である。それを日常の所作に落とし込んでいる。

 隙が無いという文学的表現を実際に体現している達人に目の当たりにし、鉄華は背筋が凍ったように思えた。


「儂は此奴の母、小枩原不玉(フギョク)じゃ。宜しくの」

「あの……その、はじめまして。春旗と申します」


 鉄華の声を聞き、不玉は眉をひそめた。


「……おい、娘よ」

「何だよバ……おふくろ」

「こやつ女ではないか? 儂も理解はある方じゃが、身内がレズビアンだというのは受け入れるのに少々時間がかかるぞ……」

「違うからな。ぶっ飛ばすぞてめえ」

「いや待てよ……確かスタップ細胞というもので世継ぎは可能じゃったか? この頃の科学の発展は凄まじいと聞く……」

「おい」


 考え込む不玉の隙をついて全身を回転させて脱出した泥蓮は、一歩引いて鉄華の側に付く。


「連絡しておいただろ。こいつが古流好きの大馬鹿で、一叢流に興味津々なんだとよ。教えてやれよ。どーせ暇なんだろ」

「ふむ。そういえばそんなこと言っておったな」


 会話を聞く限りこの出会いは既に予定されていたことのようで、鉄華は違和感を超えて不安になってきた。

 泥蓮の意図が読めない。

 元々何を考えているのか分からない人物ではあるが、妙な流れを感じる。

 祖父に関する疑問を抱えていることは来る時の電車内で初めて明かしたはずであり、それ以前に組まれたこの場は何の為のものであろうか。


 不玉は裸足のまま静かに歩み出て、鉄華の前に立った。

 並んだ身長は鉄華よりやや低めではあるが、泥蓮よりはずいぶん高い。


「どれ、左手を見せてみい」


 そう言うと浴衣の袖から右手を差し出し、恐る恐る伸ばす鉄華の左手を取って検分を始めた。

 同じく鉄華も不玉の身体を観察する。

 触れる手は大きく角質化しており、ザラザラと角が当たっている。

 左の義手は指先まで細やかに動く機械式で、肘まで続いたその先は生身の腕が有るようだ。

 右の掌は指の付け根の剣ダコ(・・・)が繋がって盛り上がり、手の甲は空手経験者のように凹凸が無い。特に小指は親指程の太さで、一般的な鍛錬の結果とは思えなかった。

 はだけている浴衣の胸元には程よく鍛えられた胸筋が見え隠れし、そこから続く腹筋や背筋も容易に想像できる。

 柔術流派というのは伊達ではなく、恐らく体当たりを挑んでも腕力だけで止められていたであろう。


「剣道か。じゃが少し余分な脂肪が多い。この頃はやっておらんのか。んで、額の怪我は喧嘩か?」

「……はい」

「剣道に挫折して喧嘩に負けて古流にすがるか。哀れよの」

「……」


 不玉は鉄華を見据え、哀れみの笑顔を投げかけた。

 腕を組みながらやり取りを見ていた泥蓮が溜息の後に口を開いた。


「理由や動機なんてどうでもいいんだよ。問題なのはこいつはトラブルに巻き込まれるのが大好きなイカレだってことだ。私の練習台が務まるくらいには鍛えてやって欲しい」

「えー正直ダルいんじゃが」


 鍛えるという単語に鉄華は反応する。違和感の正体が見えた気がした。

 鉄華は古武術部の資料を漁るのと同じで、数多ある古流の一つとして一叢流に興味があるだけだ。だが話は入門する方向で進んでいる。

 人里離れた山奥という地理的にも気軽に始められる習い事でない。


 そんな鉄華を無視して親子の会話は続く。


「何でだよ。たまには社会貢献しろクソニート」

「今日からアニメ一挙放送ラッシュが始まる。それにもうすぐサマーセールも始まるのじゃぞ? 積みゲー崩しも平行して行わねばならん。只ならぬ忙しさじゃ」

「なんでこんな山奥にネット繋がってんだよ。昔はなかっただろ」

「金はあるからの。金パワーに不可能はないのじゃー」


 泥蓮が雨戸から屋内を覗き込むと、そこにはパソコンのモニターが三枚並び、それぞれゲーム、アニメ、ブラウザが起動して騒がしく音を上げていた。

 殺気を込めて睨みつける泥蓮と、腰に手を当てドヤ顔で見下ろす不玉が対峙する。

 小枩原家の財産は泥蓮の一人暮らしにはあまり寄与していないのであろうか、このまま放置すれば壮絶な親子喧嘩が始まるように思えた鉄華は、不穏な流れを変える為に口を挟んだ。


「あのー、私は別に一叢流を知りたいだけで、習うつもりはないんですけど……。ほ、ほら、学校もありますし、毎回こんな山奥まで通えないですよ」

「問題ない。お前の単位を計算した上で一ヶ月間の休学届を出してある。夏休みも入れて二ヶ月みっちり鍛えてやる」

「はぁ?」


 鉄華は信じ固い台詞を聞いた気がした。

 その心境を代弁するように一陣の風がざわざわと草木を揺らす。


「はああああああ?」

「華苗の許可も取ってあるからな。夏休みを利用した古武術部の強化合宿だ。喜べよ」


 全ての策が成功した後、無慈悲に結果だけを告げる泥蓮に対し、鉄華はただ呆然と立ち尽くし青ざめていた。

 ――嵌められた。

 ここまでの会話の全てが逃げ道を塞ぐことが目的で、まるで誘拐犯にノコノコと付いていく阿呆そのものであった。


「今更逃げようとしても無駄だぞ。お前はもうこの古武術妖怪の縄張りの中だ。こいつはどこまでも追ってくる」

「誰が妖怪じゃ」


 残る頼みの綱は不玉だけだ。彼女が常識人であることを鉄華は心の底から祈り、懇願の眼差しを向ける。

 

「まぁしかし、なんじゃ。泥蓮がそれほど目を掛けるのも珍しいのぉ…………うむ、休学してまで武術に専念する心意気や良し! 儂に任せるがよい!」


 やはり親子であると鉄華は再認識し、そして絶望した。

 学業よりも武術の優先度が高いが故に、人間の常識で説得しても無駄なのだ。


「ちょ、ちょっと待って下さい! そんなに学校休んだら勉強追いつかないですよ!」

「まずは携帯と財布を取り上げて外界から隔離するかの。泥蓮押さえるのじゃ! ハイパー私物チェックの時間じゃあ!」


 いつの間にか背後に回り込んでいた泥蓮は鉄華の首に飛びついて、そのまま体重をかけて背後に引き倒した。


「え? ちょ!? や、やだ! 嫌ぁ―――!」


 夏季を迎えた万緑の山奥に黄色い悲鳴が木霊する。

 だがその声を聞く者など無し。

 ここは宗彭山。嘘か真か、かつての禅僧、沢庵宗彭が修行の足跡を残したと言われるゆかりの地である。


 鉄華にとって地獄の合宿の幕開けであった。




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