【亡国】①
「やくもかい?」
「そそ、八雲會」
「や・く・も・か・い……っと」
「いや違うし。会は旧字体の方っつってた」
「ふーん」
警戒にキーボードを叩く西織曜子は、表示された検索結果を流し読むようにスクロールさせ続けていた。
その傍らでソファーテーブル上のスナック菓子を摘むのは津村鈴海。
冬川亜麗の警告から二日間悩んだ結果、彼女は他者の知見に頼る事を選んでいた。
調べる行為自体にも何らかのリスクがあるかもしれないが、何も知らないまま過ぎ去った顛末だけを知らされるのは耐えられない。
それは曜子も同じ想いであった。
弱者には弱者の戦い方がある。
巻き込むことを恐れて一人で抱え込む鉄華や亜麗には選べないアプローチを試していた。
「ねぇ、あんたら何でウチに居るのよ? 先生二日酔いで辛いからさっさと消え失せてくんないかな?」
ソファの上でゾウアザラシの如くうつ伏せ寝していた家主が毒突いた。
元古武術部顧問の八重洲川富士子である。
「いや、なんか警察すら頼りにならん敵とかフカシてたからさ~、念の為被害の少ない独り身の家を拠点にしようかと」
「おい、ぶっ飛ばすぞクソガキ」
「はぁ……状況分かってんのフジコちゃん? いくら目を逸らそうがね、直接指導していた立場のアンタがこの先無関係のまま逃げられるわけないっしょ。バッカじゃねーの」
「ううぅぅ……先生関係ないもん。あいつら始めからちょっとおかしかったもん。勝手に暴れて狂ってっただけだもん」
「うっわ。教職とは思えない発言出ちゃったよ」
クッションに顔を埋めて足をバタつかせるアラフォー教師にドン引きした鈴海はノートパソコンに視線を戻した。
「どよ? なんか分かる?」
「それらしい情報があるにはあるんだけどね、うーん、読む限りは都市伝説の類かなぁ」
「どんな?」
「なんでも、一部のお金持ちしか参加できない賭け試合がある的な。一応それらしい参加者名簿が流出した事があるらしいけど、その人ら年齢も職種も人種もバラバラで、闇闘技場の映像みたいな証拠も無いのね~。まぁネットのデマと一笑に付されても仕方ないよ」
「おいおい、それだと冬川がただの可哀想な子になっちゃうじゃん。恥ずかしくて登校拒否になるレベルの中二病じゃん」
本来ならば鼻で笑うような茶番。思い込みと勘違い。
それでも事実として小枩原泥蓮は行方を晦ませたまま卒業式にも参加していないのだ。
消化不良で終止した撃剣大会。その後彼女が行き着く先としては一定の説得力があるのは否定できない。
「とりあえず『ある』と仮定してみようか。世界中のお金持ちが賭博の対象にしている殺し合い興行、それが八雲會。デレ姉さんが闘技者として勧誘され、その足跡を追って鉄華ちゃんと亜麗ちゃんが消えた。私達は何をするべきかな?」
言葉を紡ぐ曜子の瞳が輝いている。
それが都市伝説を真剣に探求する知的好奇心によるものか、当事者足り得ないと除け者にされた事実への復讐心なのか分からない。
万が一、本当に危険が迫った時、全ての責任を取る覚悟を改めて胸中に抱いた鈴海であった。
「名簿が流出しているなら、裏付けとなる証拠を追加提出すればいいんじゃね? 八雲會そのものをぶっ潰さないと終わらないじゃん」
「そうなんだよね。問題は私達は観戦する資格もない貧乏人ってとこだね……」
「あの剣道部のお嬢様はどうなん?」
「駄目。念の為名簿データ落として検索したけど最上家は無関係」
「仕事早いなぁ」
「それに今からなんとか参加してもらっても、急に情報漏洩させたらモゲ姉さんが危ないよ」
「そりゃそうだ」
会話が止まる。
いくら匿名通信があるとはいえ、ネット世論を加速させる証拠がなければ話にならない。
かといって痕跡が明らかな漏洩は降りかかる危険度が増す。
一介の女子高生には荷が重い案件である。
「あんたら、何真剣に話してんのよ。あのね、そんなもん存在するわけないでしょ。金持ちだか権力者だか知らないけど、本当に存在するならとっくに内部告発でワイドショー飾ってるっての」
聞き耳を立てていた富士子が水を差した。
そして彼女の言い分も尤もだと鈴海らは認めざるを得ない。
例え情報統制が行き届いた共産国家でも昨今は完全に情報を封鎖することなど不可能なのだ。
もはや共通の思想を持った宗教団体に等しい秘匿性。
何の横の繋がりもない富裕層を集め、如何にして全ての人間を黙らせるのか。
それが説明できなければ八雲会が存在するという仮定そのものが崩れてしまう。
しかし、何かを閃いた曜子が目を見開いて叫んだ。
「それだ……それだよフジコちゃん先生! でかした! グッジョブだよ!」
「あのね、あんたらナチュラルにフジコちゃんって呼んでるけど、担任でも顧問でもないし別にそんなに親しくもないからやめてくんない?」
「フジコちゃんはちょっと黙ってて。で、ヨーコは何が分かったの?」
フフンと鼻息を吹いて得意げな視線を送る曜子に、鈴海は眉をひそめ苛立ちを露わにする。
お互いの良くない癖が出ていることを認識した鈴海は心を鎮めて聞き役に徹することにした。
「問題は寄せ集めのお金持ちが皆事実を口にしないことだよね? そんなの簡単だよ。お金持ち共通の弱みを握っている誰かが運営者ってことじゃん」
「そんなもんあんの?」
「じゃあクイズね。お金持ちに共通の願望ってなーんだ?」
願望。
知られることが弱みに繋がる願望とは、違法性が高いことである。
「えーと、ハーレム作りたいとか、ヤバい薬買いたいとか?」
「ぶぶー」
「単に血が見たいとか、人殺しが好きだとか?」
「ぶぶー」
「お手上げ。めんどいからさっさと答え言えし」
抑え込んでいた苛立ちが足先に届いて、パタパタと床面を打ち始めた。
冬川亜麗に罵られて以来、鈴海は苛立ちの許容量の大半を埋められていて余裕が少ない。
それを朧気ながらに察した曜子は、遊んでいる場合ではないことを思い出して急かされたように結論を口にした。
「ゴメンゴメン。正解は『税金を払いたくない』、だよ」
「ほーん。……で? 税務署ハッキングして追徴課税の常連でも探すん?」
「違ーう! 法の目を掻い潜って合法的に税金を払わない方法があるの。租税回避って言うの」
「それこそあーしらが調べるなんて不可能じゃん。未だ嘗て見つかっていない、法律で裁けない悪事を暴くとか、もはや超能力者の仕事だし」
当然だが、ヨーコも多少ネットに詳しい程度であり、政府機関にハッキングを仕掛ける知識などない。
使える人脈は教職員である富士子が限界。
校内のちょっとした揉め事解決ならいざ知らず、日本規模、世界規模の金の流れを追うなど方法すら思いつかない。
議論の行き詰まりを感じ取った鈴海は落胆の溜め息を吐く。
そのソファの対岸で、曜子は満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「それが便利なことにね、何年か前に租税回避してた人たちの名簿ってのが世界中に流出した事があるんだよ」