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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十四話
176/224

【瑕疵】⑥

   ◆




 女が入場して三分。

 更なる異変に気づいたのは、やはりヒューイであった。

 異変の原因を探るべく周囲を見渡し始めたヒューイに、アンドリューの溜め息が向けられる。

 初冬の底冷えで呼気が白く浮かんだ。


「あれか。お前さんはそういう病気なのか? だとしたらこの仕事は向いてないぞ」

「黙れ」


 路上駐車されるタクシーの位置、運転手の視線、車の下、通り過ぎる娼婦の手元、街頭の陰、湯気の上がるマンホール。

 視界に映るものを片っ端から観察していくが、それでも求める答えがない。

 ヒューイは感じた異変の原因が背後のビルにあることを断定した。


「アンドリュー、ちょっと無線で連絡してみてくれ。挨拶でも世間話でもいい。何か喋ってくれ」

「はぁ。今度は何だ」

音圧(・・)が消えた。様子が変だ」

「あのな、ここは乱痴気騒ぎするために防音対策は完璧なんだよ。気のせいだろ」

「おそらく完全な防音ではない。ずっと突っ立ってる俺たちしか気付かない程度だが圧の変化は確かにあった。何でお前が気付かないんだ?」

「宗教上の理由でね」


 アンドリューは温和な笑みを浮かべ、ポケットから取り出した銀のスキットルを口に運んだ。


「飲んでる場合か。早くしろ」

「分かった分かった。……おい、聞こえるか? 相棒が人肌恋しいって喚いてるんだが」


 返答はなく、ノイズすら返ってこない。嫌な予感だけが濃度を増していく。

 受信機を数度叩いて感度を確かめるアンドリューを尻目に、ヒューイはジャケットの内側から銃を抜いて、背後のビルを注視する。

 招待客の人数は五十人前後。

 遮音が効いていても、内部で何らかの事件があれば騒ぎになる。


「おい? おーい、聞こえねえのか? ……ったく、奴らも参加(・・)してんのか」

「突入するぞ。お前も銃を抜け」

「待て待て、何でそうなるんだよ。中にはバウンサーもボディガードもいるんだ。ドアボーイがドアから離れてどうする?」

「違和感が三回続いた。責任は取ってやるからさっさとしろ」


 判断が遅すぎたとヒューイは歯噛みする。

 障害となる雇用関係、日常への居着き、言い訳をすればきりがないが、常識を覆す非日常が訪れたら自分しか信用できないのだ。


 ゆっくりと開く扉の隙間から予想通りの匂いが立ち込める。

 示された解答が心をざわつかせるが、ヒューイは努めて冷静に観察を続けた。


「何てこった……」


 妙な静けさだった。

 あれ程空間を震わせていた音楽の低音が止んでいる。

 人の息遣いすら途絶えた静謐。

 その内壁を染め上げる赤色は人間の血液であった。


「クソッ、ジュードとヘンリーがやられてる」


 案内係として入り口に待機していたバウンサーの二人が、糸の切れた人形のように壁にもたれ掛かっている。

 銃を取り出すことすらできず、頸部への斬撃によって事切れていた。


 ――刃物。


 死因は近接武器による不意打ちである。

 騒ぎが伝播する銃撃ではなく、刃物を用いて喉を潰す方法を犯人は敢えて選んでいる。

 敢えて(・・・)選べるだけの実力があるということだ。


「お前はここで警察と救急に連絡しろ。俺は雇い主を探す。予備の弾倉があるなら寄越せ」

「ヒーロー気取りはやめろ。コイツらがなす術なくやられる相手だ。勝算はあるのか?」


 死んだバウンサーの二人も決して弱くはない。

 それぞれ格闘技経験があり、路上の荒事にも難なく対応できる体格と出自を持っている。

 つまりこの場にあるのは路上の荒事を超える緊急事態(テロリズム)である。

 人数も分からなければ襲撃方法も分からない。

 ここでは偶々刃物を使ったが銃器や爆発物を持っていないという保証など無い。

 それでもヒューイは確信を持って突入を決めていた。

 入り口から奥へ続いていく血痕。

 水滴が落ちるような点の軌跡は、紛れもなくヒールを履いた人間の足跡だ。


「お前の言う通り俺は病気でね、これでメシ喰ってくしかないんだ。まぁ心配するな。警察が来るまでの時間稼ぎだよ」


 自嘲気味に吐き捨てた言葉を残して、ヒューイは死地に踏み込んでいく。

 言葉にしなかった思いが心底を穿つ。


 ――俺のせいだ。


 見逃した女、チケット。

 あの女が犯人ならバウンサーの油断にも納得できる。

 あの時、扉を締めた直後、呑気に突っ立っていた自分たちの背後で、即座に殺人が行われていたことに気付けなかった後悔が胸を締め付ける。

 パーティーに集まった札付きのクソどもはいつどこで野垂れ死んだとしても不思議はない。

 それでも、ただ雇われていた用心棒を巻き込む必要がどこにあるのだろうか。

 屋内には招待客の世話をするスタッフも多くいる。

 なのに悲鳴も、雄叫びも、すすり泣きも、息遣いも、何も聞こえてこないのだ。

 心が沸き立っていく。

 相手が単独犯であるか分からないが、もはやそんなことは関係ない。自分のミスは自分で拭う。

 後悔と怒りを原動力にして、ヒューイは赤く染まる通路を抜けていく。

 その先、待っている光景を受け入れる覚悟は済んでいた。




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