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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十四話
174/224

【瑕疵】④

   ■■■




 ――血の匂いがする。


 約束の期日、複数の警察関係者と野次馬に囲まれる道場を前にして、冬川亜麗は決闘の残滓を感じ取っていた。

 全く連絡の来ない携帯電話を眺めていることに焦れての再訪だったが、敷地に並ぶ報道カメラを確認してようやくニュース記事を知ることになる。

 真剣を用いた決闘。

 不意打ちではなく互いに了承した上での殺し合いが行われ、あの戸草仁礼が敗北した。

 重体で緊急搬送されたものの未だ意識は戻らず、相手の消息も不明なまま。


 ――偶然なのか?


 戸草を訪ねた翌日の死闘。

 さらにその翌日の再訪した亜麗は入れ違うように起こった事件の詳細を求めていたが、肝心の荒木は警察の事情聴取で不在である。

 途方に暮れて、仕方なく事実を並べた類推をしていた亜麗はやがて一つの疑問に焦点を合わせた。

 道場破りに来た者の情報が全く無いのは何故か、と。

 突然現れ名乗りも上げずに真剣を向ける相手との戦いを、同席していた荒木は『互いに了承した上での演武』だと警察に証言している。

 有り得るのか?

 ほとんど押し込み強盗に近い相手と、了承して戦うのか?

 そもそも流派も名乗らない道場破りなど何の意味があるのか?

 もし荒木の証言が嘘だったとしても、尊敬する師を半殺しにした者を彼が庇う必要などあるのか?


 全ては推測の域で明確な答えは出ない。しかし繋がっていく線がある。

 亜麗はもう一度周囲を見渡した。

 道場を取り囲む報道陣からやや離れた位置に屯する野次馬集団。暇な学生や主婦層、剣術界と縁のあろう壮年の男たちの中に唯一人、亜麗に視線を向けている者がいる。

 歳は二十代半ば、スキンヘッドでジャージ姿の男は数秒間亜麗と視線を合わせた後、小さく会釈して集団から離れて行く。

 敵か味方か。

 偶然とはいえ薬丸自顕流を焚き付けた直後の事件である。

 逆恨みした門下生に襲われる可能性も考慮して、亜麗は視線を周囲に散らしながら男の後を追う。

 照りつける陽光が路面の朝露を湯気立たせ、粘る湿気が纏わりつく。

 誰もが額に汗を浮かべ、帽子や手かざしで顔に影を作る中、人目を避けるように集団から離れていく二人を気に留める者はいない。

 亜麗はポケットの中でカランビットのリングを掴む。

 そのまま引き出せば折り畳みの刃が起き上がる仕組みだ。

 警察と報道陣がいる場所で抜き放つ事態は避けたいが、もしも、相手が門下生ですらない何か(・・)ならば法律など気にしている場合ではない。

 男は砂利が敷かれただけの駐車場に踏み入り、いくつかの車列を越えて、山肌に差し掛かるフェンスの前で歩みを止めた。

 大きなクスノキから伸びる枝葉が日傘になっている区画。

 亜麗は足音を気にすることなく誘い込まれた場所へ近づき、男から三メートル程の距離で立ち止まった。


「何か用かしら?」

「貴方が冬川さんですか?」

「ええ。冬川亜麗よ」


 依然として男は背を向けたまま、背後に立つ少女を見向きもしない。

 再び男が歩き出すと亜麗に緊張が走ったが、全くの杞憂であった。

 男はフェンスに向かい、錆びてささくれ立つ一角に何かを引っ掛けただけである。

 それは二本の鍵であった。

 持ち手は黒く変色し経年の硫化が見られるが、差込口は擦り減った真鍮の金色が輝いている。

 ようやく振り返った男は亜麗に歩み寄り、すれ違いざまに言葉を発した。


「荒木師範代からの言付けです。山頂の展望台から西に下りていく獣道があり、その先に先師の別邸があります。途中にあるフェンスの南京錠と邸宅で鍵をお使いください」

「そう」


 亜麗の望む手掛かりを荒木は門下生を通して告げてきた。

 戸草は何かを語れる状態ではなく、これは荒木の独断であろう。

 つまり答えは提示されたのだ。

 道場破りの男は八雲會の闘技者であると。

 身動きが取れない彼らに代わり、真相に近い亜麗に全てを託したのだろう。


「それからもう一つ。薬丸自顕流長波派はこれ以上この件に関わるつもりはない。家探しは勝手にすればいいが二度と我々の前に現れるな――とのことです」

「あら、冷たいのね」


 大会以後、閑散とした道場ではあったが、戸草を慕う荒木のように荒木を慕う後続がいる。

 その場の思いつきや流行で籍を置くような半端者ではない、真の門下生。

 揺らいでいた荒木だが、最後に選んだのは流派の存続であった。

 亜麗としてもこれ以上彼らを巻き込むつもりはなく、小さな溜め息の後「冗談よ」と付け加える。

 男が去ってからも亜麗は暫くその場に留まっていた。

 一陣の風が木漏れ日を揺らす。滲む汗が気化する涼しさを感じながら亜麗は心中の葛藤を振り払った。

 それなりに武を修め、それなりに社会と関わり人生経験を積んだ大人が避けて通ろうとする異常事態の渦中へ向かっているのだ。

 荒木の選択は武術的にも間違っていない。

 どんなに強い意志を持っていても、道半ばで無意味な死を迎える可能性だってある。

 人生はドラマではない。


 ――それで構わない。


 亜麗は思う。

 自分の最高潮は、あの日の決闘でもう終わっている。

 これはエピローグの向こう側の話。おまけの人生。

 本気で向き合ってくれた最愛の人の糧として費やせるのなら悪くはない。

 そう思うだけで小さな胸が弾むのだ。

 踏み出す一歩でさえ、春の風のように軽やかに持ち上がるのだ。


 亜麗は改めて覚悟の機会を与えてくれた薬丸自顕流に感謝し、全ての柵を蹂躙する足取りで山頂へと向かうのであった。




   ■■■




 法の抜け穴、瑕疵(かし)と言っていい瞬間を、由々桐群造はテレビの画面を通して眺めていた。


 その日発動した法務大臣の指揮権。

 それは内閣府官僚に対する逮捕請求を中止するものである。

 検察庁法第一四条に基づく指揮権を発動して官僚の暫時逮捕を延期させた法務大臣藤村健は、その二時間後に首相官邸を訪れ辞表を提出した。


 検察への働きかけは由々桐の絵図であった。


 表向きは国産兵器製造に関する造船汚職。

 融資割当で造船会社に賄賂と接待を要求し、見返りに金利負担を下げる新たな利子補給法案を成立させた内閣に対する牽制である。

 しかし、その本当の狙いは八雲會のスポンサーであろう人物に絞った逮捕請求である。

 撃剣大会参加者等へ活発な動きを見せ始めた八雲會。

 おそらく近々何かが開催されるという気運を感じ取った由々桐の牽制は、法を恣意的に捻じ曲げる権力者には届かなかった。


 ――ここまでやるか。


 世論が悪化し、解散に追い込まれても構わないというレベルの強行策。

 バトルロイヤルだかサバイバルだか知らないが、そこまでして殺人ショーを守ろうとする元凶は誰なのか?

 それが分からなければ末端を捕らえることすらまともに出来ない。


 途方に暮れて事態を傍観していた由々桐は、シガーケースから紙巻きを取り出そうとした時、机上で通知の光を放つスマートフォンに気付いた。

 発信者は能登原家の秘書課長、舞園璃穂(リスイ)

 由々桐は投げ出したシガーケースと入れ替えにスマートフォンを掴み、通話ボタンをタップした。


『所長、妹の方が網に掛かりました』

「そうか」

『姉の裏事情を確認する過程で、自身もスポンサーに名乗り出たようです』

「そいつは結構」


 活路が見えた。蒔いておいた種が開花しようとしている。

 凡人はこの時点で舞い上がってミスをするものだと自戒し、由々桐は改めて取り出した煙草に火を灯しルーティンに入った。

 燻る思いを煙にして吐き出し、言葉を選ぶ。


「能登原の恩恵を手放す覚悟はあるか? 璃穂」

『言われるまでもなく私は貴方の犬よ。吠えろというのなら吠えるし、噛み付けというなら噛み付いてみせるわ』

「ならまず従属してもらおう。怪しまれない範囲で妹を援助してやれ。君の利権を捧げてでも、だ」

『然るべく』


 通話の切れた後、深く吸い込んだ煙を吐き出して靄掛かる視界越しにテレビを眺める。

 ワイドショーは汚職事件から呑気な街角グルメコーナーへと移行していた。

 長く続き過ぎた平和は危機から目を逸らそうとする。

 生活を破壊する変化など誰も求めていないのだ。

 平和。

 かつての革命者たちが求めて止まなかった平和がここにはあるはずなのに、時間と共に維持する努力を放棄する愚民が増えていく。他人を出し抜く特権階級が生まれる。

 それが人間の性というものだろう。

 悪意も邪悪も怨念も常に傍に在ることを定期的に思い出させてやらなければならない。

 国を動かすのは政府でも八雲會でもない。国民である。

 ならば、存分に思い出してもらおう。焚き付けさせてもらおう。


 指先を焼く赤熱を灰皿に押し付けた由々桐は、改めてスマートフォンを持ち上げ、もう一人の犬へと指示を送った。




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