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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十四話
173/224

【瑕疵】③

   ◆




 試合でも仕合でもなく『死合』。

 彼らがそう呼んでいることを戸草は知っている。


 當田流小太刀術。

 都落ちした富田流術者が青森で広めた流派。

 謎の多い中条流を解説する際に暫し現れるのが、多くの伝書を残す當田流である。


 だが、失伝した流派に近い神秘性を宿すからと言って現代でも強いというわけではない。

 中条流を源流とする剣術史は、富田流、鐘巻流、一刀流へと続き、その変遷の中で扱う得物も小太刀から大太刀へと変化している。

 それは戦国時代の終わりと共に介者剣術の有用性が失われていったことを示している。

 懐に飛び込み甲冑の隙間に小太刀を刺し込むという合戦術は、皮膚を数センチ斬り込んで勝利する素肌剣術の常識によって過去のものとなったのだ。

 故に、後の時代から現代に至るまで小太刀術とは護身術の範疇として扱われることを避けられない。

 万策尽きた後の脇差。偶々身の回りにあった刃物。或いは拳脚の打撃格闘。

 それらは刀剣術に於ける副次的な選択肢である。

 現代の法や倫理という枠内では有用性を見出だせるかもしれないが、野太刀を掲げた剣客を前にしてナイフファイトを選ぶのは馬鹿のすることだ――と過去の戸草は思っていた。


 しかし今は知っている。

 短剣術や柔術を修め、その枠内で刀剣と戦う術を持っている者を観てきた。

 巧みに居着かせ、自らのフィールドへと誘い込む武術家が世の中には実在する。

 眼の前の男がそうではない保証など何処にもない。


 ――なれど己の選択は変わらない。


 戸草仁礼は器用ではない。

 その自覚と共に生涯を捧げるに至った唯一無二の一撃だけがある。

 ただ(つよ)く、ただ(はや)く、想像上の直線を辿る剣戟。

 己の一撃に疑いはなく、迷いもない。


 五メートル離れた対岸で低く構える男の意図は明白。

 高低差による打突位置の晦ましだ。

 當田流には低い霞構えから相手の拳面、出小手を斬る【合位(あいい)】という技がある。

 撃剣大会で合気の赤羽がやってみせたように距離感を見誤らせるつもりだろう。

 だが、戸草はその課題を既に克服している。

 受け手が小細工を弄するならばより深く踏み込み、鍔元でも両断する粘りを宿せばいい。

 今や戸草の両腕には遠心力の先端のみならず、掲げる刀身の全ての部位を打突部とする膂力が宿る。


 ――相打ちでもいい。


 指先を斬られたなら手の平で押し込む。

 手首を斬られたなら前腕で。

 腕を斬られたなら肩で。

 小手先の技術を成功させてほくそ笑む相手に、相打ち覚悟で即死のダメージをぶつける。

 それこそが薬丸自顕流の矜持である。

 古流の敗北とは死であり、部位切断の成否ではない。


 しかしながら、相手の覚悟も本物。

 不意打ちを狙うでもなく、正面から堂々と薬丸自顕流の初手を待っている。

 傲岸不遜な人物だが行動の根源にある直情径行さには、どこか小気味良さを感じる戸草であった。

 子供のように無邪気な強さ比べ。

 強さのみを価値観とする報奨金。

 そんな単純明快な地下闘技場があるのなら、長波が着地点として腰を据えたのも納得できてしまう。

 憧れていた昔日の師の面影がそこにはあるのだろうか。


 湧き上がる懐旧の想い。

 その裏側で燃え滾る激情が動力となり、戸草は無意識に踏み出していた。

 巨木の根が床板を掴み、一歩目から己が最速へと導く。

 二百キロ近い巨体の突進。

 迫る圧力だけで大抵の術理を封じる必殺の始動。


 迎え撃つ男、馬渡恋慈は――構えを解いて立ち上がっていた。


 小太刀は左手で保持したまま身体の横に寝かせている。

 無構え。

 その闘争意欲を手放した立ち振舞いを見ても尚、戸草は止まらない。


 ――やはり、この手の奴か。


 居着きを引き出すためならここまでやるのが兵法。

 無抵抗な姿に躊躇し、戦いを中断させようものなら一瞬で豹変して攻撃に転じるだろう。

 戸草に油断はなく、思い込みも無い。

 ただ全てを捧げた剣戟を信じ、これ以上無いタイミングと距離で袈裟斬りを振り下ろし始めた。


 重みと粘りのあるユスノキの木刀が撓り、圧し折れようかという悲鳴を上げる。

 馬渡の肩口を捉えた木刀が不意に追ってくる抵抗感に阻まれた。

 袈裟斬りが着地したのは右前腕。

 馬渡は小太刀を保持していない右腕を差し出して袈裟斬りを防御しようとしている。

 それは馬鹿げた選択であった。

 薬丸自顕流の袈裟斬りを回し蹴りに見立てたかのような徒手格闘技の防御方法である。


 ――通用するわけがない。


 戸草は手元に伝わる反動すら押し込んで封じるように、重く、深く、剣戟を埋め込んでいく。

 やがて皮膚が裂け、肉が割れ、骨が砕ける――そのイメージが実現することは終になかった。


 渾身の袈裟斬りは、馬渡の前腕の上で拮抗し、押し止められている。


「がっかりです」


 馬渡の声が聞こえる。

 戸草は背筋を総動員して更なる膂力を木刀に乗せるが、馬渡の体幹を揺るがすことは叶わない。

 疑問の答えはすぐに出ていた。

 これは念流の術理だと。


「【糊付(のりつけ)】と言います。まぁ本来は刀でやるものですが、木刀が相手ならこの通り」


 言い終える前に馬渡は踏み出し、戸草の胴に抱きついていた。

 その左手には、逆手に握られた刀。

 長刀が意味を失くす小太刀の間合い。

 胴に回された腕を振り解こうにも、油圧の機械工具のようにビクともせず徐々に内臓を絞り上げていく。

 戸草は床を蹴って後退する最中、背から腹を突き通る冷たさを感じていた。


「スポーツなら先に当てた方が勝利ですが、死合ならば遅れて当てても相打ちです。貴方、一体何を学んでいたんですか?」


 本来の意味での相打ち。

 同時でなくとも、互いに斬ることが出来たなら死は等しく訪れる。

 木刀を選んだ過信。技への盲信。

 それを打ち砕いたのは至ってシンプルな思想であった。


「相打ち覚悟で組み付いて刺し殺す。ただそれだけのことですが、ちゃんと術理があるんですよ」


 バーリトゥードに現れたグレイシー柔術のように、距離を埋めてから始まる武器の攻防を馬渡は語る。

 小柄な体躯も、不格好な筋肉も、全ては懐に飛び込む為のもの。

 素人でも敢行できる必殺の行動。

 それを突き詰めた結果、馬渡は小太刀術を選んでいた。


 戸草の背中を染める血液が、床板の目に沿って面積を広げていく。

 呼吸で横隔膜が動く度に体内で血飛沫が上がり、痛みが視界を明滅させる。

 もはや木刀を握ることが出来ない。

 どうしようもなく身体が震えて戦うことを拒絶している。


 見下ろすサラリーマン風体の男は吹き出すように笑みを浮かべていた。

 その目元は眼鏡に反射する陽光で覆い隠されている。

 誰かの叫び声と床板を蹴る音が聞こえる。

 多分、彦一だろう。

 やめろ。

 お前が勝てる相手じゃない。

 師は、長波先師は、こんな化物共を相手にしていたのか。

 或いは篠咲鍵理も。

 彼らならどうやってこいつらに勝つのだろうか。

 俺のやっていたことは何だったんだろうか。


 戸草は答えの出ない思考の迷宮を彷徨いながら、ゆっくりと意識を失っていった。





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[気になる点] 木刀の一撃をどのようにして受け止めたのでしょうか。
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