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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十三話
170/224

【胎動】⑧

   ■■■




 吐息が焼け付くように熱い。

 どれだけ深く吸い込んでも肺が満たされない。

 呼吸の度に胸筋が重く軋む。


 ――四十秒。


 ホテルのリビングルームにて、木刀を杖にして膝を付く篠咲鍵理は自身の限界を知り、苦笑を滲ませながら喘鳴を響かせていた。

 四十秒間であれば無呼吸運動で全盛期の動きを再現できる。

 しかし一度呼吸を意識し始めると生理反応レベルで筋肉のパフォーマンスが低下する。

 意識して切り離している身体の痛みも蘇り、強力な電気信号が思考を塗り潰していく。

 呼吸と運動の両立ができないのだ。

 一叢流毒術【衰枯】の後遺症。

 小枩原不玉は闘争の場から遠ざける想いでこの呪いを刻み込んだのだろう。

 それが今更足枷になろうとは隠居を選んだ篠咲自身考えてもいなかった。


 ――違う。この呪いは私のせいだ。


 自らの足跡の果てに現れた問題。

 暴力で突き進んだ道、一人だけ横道に逸れようとしても巻き込まれた者はそれを許さない。

 深く肺の空気を絞り出してから大きく吸い込む呼吸法を繰り返し、ようやく立ち上がれた篠咲は時計に視線を移す。

 回復までに三分。

 武器術の戦闘は瞬時に決するが、相手が多勢ならその限りではない。

 四十秒で完全勝利しなければ必ず殺し返される大きな欠陥。

 篠咲は無呼吸運動で消費する体内のグリコーゲン値を上げる方法を考えながら、崩れ落ちるようにソファへ身を沈めた。


「大丈夫っすよ。私がフォローしますから」


 一部始終を眺めていた木南一巴が声を上げた。

 篠咲にとっては絶対に知られてはいけない秘密を共有してしまったことになる。


 ――信頼できるのか?


 横目で一巴を観察する篠咲は結論を出せないでいる。

 疑うことは時に失礼となるが、悪ではない。

 信頼という不確かな繋がりで疑問を持たなくなる状況に追い込まれる方が危険であることは経験的に理解している。


「むぅ、信用できないって感じの視線を感じるっす」

「こういう生き方をしてきたものでな。許せ」


 良心の呵責を感じるほどには一巴と生活を共にしている。

 信頼を得るためには、まず与えなければならない。

 踏み込んで弱点を晒してしまったことに後悔はなかった。


「ふーむ。なら私からも一つ秘密を差し出しましょう。この八雲會ってのには多分私の親族も参加してるっす。ぶち殺したいくらいムカつく奴がね」

「……楠家か?」

「ええ。なので私にもちゃんと目的がある行為っすよ」


 篠咲は大会参加者を調査する過程で一巴の家庭事情を把握している。

 宗家である楠家からすれば分家は妾の住まい、生まれた子供は道具でしかなく木南家も例外ではない。

 男児は忍者として教育され頭角を現した者を宗家入りさせるが、女児は間者としてあらゆる流派に近づき強者の子を孕む為の道具として教育される。

 倫理面ではシロ教と何ら変わらない、時代遅れの流派存続システムを続けている狂った家系。

 不玉が木南家を金で買い取った時には、もう既に病床の母親は死去していた。

 一巴が復讐目的で動いているのは疑いようもない事実であろう。


「まぁ、鍵理さんの伝手とやらが沈黙している以上、私らはここでずっと足止めなんすけどね」

「種は撒いたから焦るな。農業と同じだぞ」

「忍者は大麻くらいの成長を求めるもんすよ」

「む、成長の早い大麻を飛び越す修行というのは実際にやっているものなのか?」

「まさか。一般向け教本に載せる逸話でしかないっすよ。しかも最近では大麻のままだとマズいからヒマワリと書き換えてるみたいっす」

「なんとも夢のない話だな」


 退屈しのぎの雑談へと移行し始めていた会話は、鳴り響く携帯電話の着信音で切り上げられた。

 液晶画面にはアドレス登録のない番号が映っている。

 篠咲は再度一巴へ視線を向け、録音機材を整えた一巴が頷きで応えると通話ボタンをタップした。


「篠咲だ」

『やあ、マイスイートハニー! こうして話すのは何年ぶりかな!?』

「ジョージか。車椅子には慣れたか?」

『酷いことを言う。まぁこれは良い教訓(レッスン)になっているよ。君という猛毒を摘み食いした僕のビッグミステイクさ。はは! はっはっはっ!』


 篠咲は電話口から響く野太い大声に耐えられず一旦耳から携帯電話を離して、一巴へ向けて頷き返した。


『……で、態々僕に何の話かな?』

「小枩原泥蓮が参加していると聞いた」

『お~う、さっすがのデビルイヤーだね鍵りん!』

「鍵りん言うな」

『彼女とファイトしたいのかい? それは難しいな、先約があるんでね』


 これで泥蓮が八雲會にいることは確定した。

 先約とはもう既に対戦カードが組まれていることを示す。

 八雲會は神出鬼没。常に同じ場所で興行が行われるわけではなく、海外という可能性もある。

 しかし探りを入れる意味で観戦者として復帰するのでは遅すぎる。


「彼女を解放しろ」

『え』

「子供を巻き込むなと言っている」

『……』


 沈黙。

 篠咲は通話の向こう側にいる佐久間・ジョージ・現果という男の良心など一ミリも求めていない。

 男が絶対だと思うものに揺さぶりをかける。それこそが唯一の突破口であることを分かっていた。


『確か彼女は君を狙うアッサシンじゃないのかい?』

「もう終わったことだ」

『らしくない……らしくないなぁ鍵りん……もしかして、毒にやられて弱くなったの(ヴォーナラブル)かな?』

「かもな。昔はお前を瞬殺できたが、今は三秒くらい掛かりそうだ」

『はは、強気な性格は相変わらずだね。少しだけ嬉しいよ』


 豪胆な声が失望の静けさを伴っていた。

 篠咲はその裏側に聞こえる波の音を聞き逃さず一巴へ視線を向ける。


「ジョージ、取引だ。泥蓮が抜けた穴は私が埋める。それで納得しろ」

『それは素晴らしい! 君の復帰は皆が待ち望んでることだよ鍵りん!』

「鍵りん言うな」

『……でも(バット)、君の提案には意味がナッシングだ。マッドロータスちゃんは戦うことを強く望んでいる。僕は何も強制していない』

「なら私とカードを組め。連れ出すことは自由だろ」

『もっちろん。八雲會は出入り自由。守秘義務があるだけさ。因縁がある者同士の戦い程盛り上がるものはないからね、君のリクエストに応えてもいいよ』

「含みがある言い方だな」


 歯間から空気が漏れる押し殺した笑い声が聞こえる。

 秘密を隠し通せない子供のように、嬉々として謳いあげる予兆。

 しかし男の口から語られる内容は、篠咲の予想を上回る災厄であった。


『いやなに、次の興行はちょっとした実験(エクスペラメント)でね。僕はプロレス大好きなんだけど、鍵りんはバトルロイヤルって分かるかな?』




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