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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十三話
167/224

【胎動】⑤

   ◆




 開始の一撃目は背後から腎臓部を目掛けた蹴りであった。

 一人目に名乗り出た黒人の顔が苦痛で歪む。

 周囲で吠える観客から怒号と溜め息が同時に漏れる。

 遠目に見ていたロゴスもその一撃で終わりだと理解していた。


 ブリンコという儀式は、この先続く死と暴力が隣り合わせの日常に耐えられるかを測る通過儀礼に過ぎない。

 最低限の覚悟、身体能力を有していれば加入するに値し、一生残る障害を負わせたり死に至らしめる攻撃を加えるのは本末転倒である。

 だが時に暴走する。

 会場の空気に飲まれた馬鹿がやりすぎてしまうのだ。

 無教養故に人体の急所すら分かっていない者も多い。

 ごく僅かな可能性として、事前に敵対勢力のスパイだと判明していれば公開殺人の場になることもある。

 今回のケースは残る三人の処刑人が追撃しないところを観るに『馬鹿の暴走』の方だろうとロゴスは分析する。


 案の定、腎臓蹴りから五秒程置いて黒人は糸が切れたように地面へと倒れた。

 出血性のショック症状。

 こんな場末のギャングの縄張りにまで来てくれる救急車両などあるわけもなく、もう助からないだろう。


 興冷めした会場から運び出されていく黒人を眺めながら、ロゴスは少し悲しくなった。

 あいつは何の為に生きてきたのだろうか。

 犯罪者の殆どは環境因子によって作られる。

 もしかしたら科学の発展で先天性の犯罪遺伝子が発見される日が来るかもしれないが、それでも止むに止まれず法を犯して生きてきた者が大半である事実は覆らない。

 死にたくないから必死に生き延び、一人の限界を感じたかギャングスタに憧れたかでラ・プエルタの門を叩いた。

 その結果、無意味に死んだ。

 何のドラマも無い人生の結末。

 全知全能たる神の脚本であるとは到底思えない冷酷な現実を見る度に、ロゴスは心の何がか壊れていくように思えた。

 こんなにも狂おしく、身を焦がすほどに神を求めているというのに。


 ロゴスの感傷が敬虔なクリスチャンだった母親の記憶に差し掛かった頃、再び会場を震わせるブーイングが始まった。

 二人目に名乗り出たのは例の白人。

 タトゥーで体中を埋め尽くすギャング集団の只中で純真無垢の白肌を晒す男は、向けられる怒号を意に介さず離れた廃墟から見下ろすロゴスへと中指を立てて嗤っている。

 その挑発に観客のボルテージは更に上がっていく。


 ――馬鹿が。


 せっかく冷えた会場、死者を出した処刑人の攻撃も緩むであろうタイミングでの無意味な挑発。

 余程の自信があるのか、自分が何をしているかも理解していないのか。

 ロゴスは蛮勇を示す男へ哀悼の意を込めて笑みを返した。


 空を見上げると黄昏の赤色が地平線の向こうへと消え、宵闇の群青が広がり始めている。

 薄暗くなった処刑場に薪を入れたドラム缶が設置され、揺らめく赤熱が男たちの汗を輝かせ輪郭を濃くしていた。


 止む気配のない喧騒を割って、乾いた銃声が虚空に響く。

 それが開始の合図だった。


 四人の処刑人が白人の男へ攻撃を開始する。

 一人は顔面へのストレート、もう一人は腹部を狙ったフック、残る二人はやや遅らせて背後から膝裏を押すトーキック。

 申し合わせたかのようなコンビネーション。

 多人数側の有利は一人の人間では防ぎようのない手数にある。

 囲まれた状態で始まるブリンコは環境を利用した退路を完全に塞ぎ、どんな格闘技の防御法すら無効化する。


 はずだった。


 顔面を殴った処刑人の拳から血飛沫が飛び散る。

 それは返り血ではなく、手の甲を突き抜けた指骨から夥しく流れ出ているものだ。

 白人の男は敢えて顔面をぶつけ返すことで処刑人の拳を砕いていた。

 背後の二人は執拗に膝裏を蹴るが白人の男の体幹が揺らぐことはない。

 異変を感じ取った正面の二人は鳩尾、咽頭へと容赦のない急所攻撃へと移行するが、男は倒れない。

 やがて背後からの股間蹴りが入っても倒れない様子を確認した処刑人は、攻撃の手を止めて立ち尽くした。

 まだ十秒も経っていない。


 白人の男は開始時と変わらない笑みを浮かべたまま、ロゴスを睨みつけていた。


 ロゴスは驚くでもなく冷ややかな視線を返している。

 珍しいことではない。

 十六秒間のリンチに耐えるという内容が事前に明らかになっている以上、対策を立てるのは難しい話ではない。

 薬物による痛覚の遮断が最たる例だ。

 しかし白人の男は関節蹴りにも耐える程の強固な防御を実行している。

 中国拳法の【硬功法】やシラットの【(Tenaga)(Dalam)】といった全身防御に近いだろう。

 兄、ミュトス・カーネーションにはごく当たり前に備わっているタフネスだが、武術という小細工によってその領域に踏み込む者がいることは知っている。

 ロゴスは疑問を感じていた。

 これ程高度な武術を修められる環境にいながら、こんな格下のチンピラの入門試験に臨む意味などあるのか。

 最下層の下っ端から始める程自己評価が低い男とは思えない。

 この白人の男は何の為にここに来たのか。

 答えが出たロゴスは屋内へと駆けていく。


「ホセ! 敵だ!」

「はぁ?」


 叫ぶのと同時に窓の外から閃光が奔り、爆音と振動が押し寄せて窓枠にぶら下がっていたガラス片を撒き散らした。

 的確な判断で柱の陰に身を隠したロゴスはアタッシュケースを手繰り寄せ、中からヘッドマウントディスプレイを取り出す。


「くそ! 何だってんだ! 戦争でも始まったか?」


 後転で何とか衝撃を和らげていたホセが叩きつけられた壁際で毒づく。

 外からは悲鳴に似た叫び声と、AK-47の銃声が響いている。

 恐らく白人の男は審判が持っていた小銃を奪取したのだろう。


「おいボディーガード、仕事の時間だ。ここに来るぞ」


 地の利はこちらにある、とロゴスは考える。

 白人の男の正体はどこかの組織に雇われた殺し屋だ。

 対抗組織か、政府か。思い当たる節があり過ぎて今考えても答えは出ない。

 しかし一方で、今日この場にロゴスが来たのはただの気まぐれであり予定していた行動ではなかった。

 白人の男は正体がバレた時の保険で爆発物の準備をしてはいたが、入門試験をキャンセルして強襲をかけるのは標的が現れた急場の行動であることは間違いない。

 ならば敵の数も装備も知れている。或いは単独で乗り込んでくる可能性すらある。

 陽も落ちた屋内の闇、廃墟という複雑な閉鎖空間。

 確実な勝算の元、ロゴスはアタッシュケースから取り出した二機のドローンを中空に浮かべた。




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