【胎動】④
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ミュトスとロゴス。
神話性に対する論理性。
空想に対する理性。
どんな強大な力を持った獣もそれを制御する理性が伴わなければ、安息の地を得ることは出来ない。
ロゴス・カーネーションは自分の役割を『兄という神獣にかける首輪』だと自認している。
弟が考え、兄が実行する。
そのバランスで今までは大胆かつ堅実にのし上がって来れた。
一見馬鹿げた破壊活動をブラフとし、裏で密輸入の販路を着実に構築する。
表の活動と派手な見た目に振り回されてくれれば、それだけ静と動の使い分けが効果的に働く。
成功を積み重ね利益を齎すことは問答無用で信頼に繋がり、ラ・プエルタという世界最大のギャング集団を手中に収めるのももはや目前――かに思えた。
ロゴスは兄、ミュトス・カーネーションの置き手紙を破り捨ててもまだ収まらない憤りに、人目も憚らず両拳を机上に叩きつける。
ほぼ失踪に近い外出。
理由は下らない地下闘技場からの招待状を真に受けての参戦である。
こんなことになるならばもう少し知名度を抑えるべきだったと後悔していた。
ドキュメンタリー番組への出演を期にミュトスを英雄視する反社会勢力も多かったが、こういう形で利用する組織が現れるのは想定外である。
手紙をどういうルートで直接兄に配達してきたのかすら分からない。
首輪を自認していたロゴスは、更にそこから手綱を引こうとする得体の知れない何かを感じ取っていた。
「ヘイ、ロゴス。机の傾きが気になるなら新しいの用意させるか?」
「……何でもない。放っておいてくれホセ」
ボディーガード兼、組織の監視役であるホセが両腕を広げて大袈裟に笑っていた。
ミュトスの外出は組織の知るところであり、暴力を担う存在が消えた現状、匿うメリットが無くなれば容赦なく排除されるだろう。
ロゴスとて有象無象の雑兵に負ける気はしないが、数の暴力を覆せるのは異能たる兄だけだ。
単独行動の時期が長引けば、身の振り方を考える必要がある。
そんな葛藤を知ってか知らずか無遠慮に近づいたホセは、ロゴスの肩に手を回して陽気に言葉を紡ぐ。
「丁度今からウチに加入したいって奴らのブリンコがあるんだが見に来るかい? 何なら参加してもいい。スカッとするぜ?」
「よしてくれ。気分じゃない」
異様にギラついた瞳に何度も鼻を啜る動作。
ただでさえ陽気なメキシカンがキメてる時のテンションに素面で付いていくのは無理だ。
「なぁ、俺はミュトスよりアンタの方を尊敬しているんだ。暴力ってのはいくらでも代用は効く。組織の利益と存続を保証するのに不可欠なピースはアンタの知性なんだよ」
「なんだよ、むず痒いな。褒め殺す気か?」
「ははは、最強の兄弟の弱点を発見しちまったか?」
「クソ、お前なんかに心配されたら終わりだよ」
肩を叩いて馬鹿笑いするホセにつられて笑みが浮かぶ。
この手の世辞を並べる奴は大抵他者を使うのが上手いと勘違いしているクソ無能野郎だが、普段から馬鹿丸出しのホセが言うと不思議と嫌味がない。
天然の人心掌握術。
職務中にドラッグをキメる馬鹿に自覚は無いだろうが、組織が彼を監視役にしたのはそれなりの理由があるのだろう。
ロゴスは心象の落差を利用した信頼があることを学び、それでいくらか気分を取り戻せていた。
「案内しろよ。哀れなルーキーの血反吐で興奮するキチガイどもを観察してやるさ」
「決まりだ」
差し出された拳に自分の拳を合わせてロゴスは自分の役目を思い出す。
今はまだ道化でいなければならない。
理性の合間に狂気を見せてやるのが最高の躾方法なのだから。
◆
ラ・プエルタ発足のきっかけとなったのはキューバ革命以降三十年近く続いたグアテマラ内戦とエルサルバドル内戦である。
当時、冷戦の衝突地であった中央アメリカは多くの難民を排出し、その殆どはアメリカへ逃れているが、難民たちを待っていたのは現地のマフィアや元からいたメキシコ系ギャングであった。
結局のところ、数には数で、暴力には暴力で対抗するしかないのが現実である。
新たな国で生活基盤を築く過程で自然と出来上がっていった自警団が、いつしか敵対していた反社会勢力と同じ性質になっていたのは皮肉な話だ。
ただ生きる為だけに進むことを余儀なくされた道。
黙して被害者になるくらいならば、叫び猛る加害者に。
本質だけを捉えれば善も悪もなく、世界に貧困がある限り必ず生まれる存在である。
ラ・プエルタは便宜上ヒスパニック系ギャングに分類されているが、実際は国籍も人種も問わずメンバーを募っている。
戦争と差別の犠牲者に本当の家族の絆を約束するという発足時の理念は、現在も連綿と受け継がれているからだ。
理念に同調した者、社会に居場所を失くした者、貧者の後ろ盾としては最高レベルであるラ・プエルタの門を叩く者は後を絶たない。
しかし加入条件を聞いて諦める者も多くいる。
それは『十六秒間、メンバー数人から受ける暴行に耐えること』であった。
かつて栄えた自動車産業の面影を残す廃墟の街。
その一角にある資材置き場。
人の生活圏でなくなった街はコンクリート建築でさえも容赦なく雑草の餌食になっていたが、錆びたフェンスに囲まれたその空間だけは不自然なまでに剥き出しのアスファルトが顔を覗かせていた。
金網を取り囲む男たちの熱気は中央へと注がれている。
共通する『16』のタトゥーを肩に乗せた全ての者が通ってきた『門』。
知らない者にはありふれたストリートファイトの闘技場に見えるだろうが、ラ・プエルタのメンバーは『処刑場』と呼ぶ始まりの地である。
ロゴスは少し離れた廃墟の窓から処刑場を見下ろしていた。
その存在に気付いた何人かがハンドサインで歓迎し始めている。
カーネーション兄弟は今だ入門儀式を通過していない客の立場であるが、残した功績は組織という枠を超えた尊敬へと昇華している。
ロゴスは同じハンドサインで彼らに応えながらも、口元は嘲笑を抑えられない。
――クソ溜めのクソどもが。
考え抜いた結果の最適解で暴力を選ぶ支配者ではなく、暴力しか手段を持たない低能の集まり。
おおよそ知性の欠片も無い衝動的な犯罪で勝手に居場所を失い続けた人間以下の動物たち。
――いつかお前たちの正しい使い方を用意してやる。兄貴と同じようにな。
ホセが差し出すビール瓶を受け取り、ロゴスは気晴らしの余興へと視線を戻した。
処刑場の中には八人の男がいる。
タトゥーの入っている五人の内、一人はカラシニコフを首から下げている審判で、残り四人は新入りにリンチを加える処刑人。
哀れな被害者たる三人は、ブルネットのヒスパニック、スキンヘッドの黒人、ブロンドオールバックの白人であった。
同意の上で立つ舞台である。いずれも充分に出来上がった身体の輪郭が窺える。
しかし、処刑場の観客が飛ばす野次と怒号はたった一人に向けられていた。
会場のヘイトを一身に受ける白人の男。
男は一人ずつ値踏みするように辺りを見回しながら、狂気の笑みを浮かべていた。




