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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十三話
164/224

【胎動】②

   ◆




 対人追跡術(マントラッキング)と言えば聞こえはいいが、実際のところ警察や探偵がする旧来の地道な捜査方法と大差はない。

 例えば軍事衛星による追跡や、科学捜査並みの検証で足跡を追えるのであればマントラッキングなど出る幕はないのだ。

 しかし軍の追跡チームが消息を絶った時点で、問題は表向きの着地点を必要としている。

 国防長官を狙うキャリアの最後に醜聞を残したくないアイザックは、民間人の犯罪者という手札を切った。

 評価していると言っていたがその実、失敗すれば全責任を押し付けられるだろう。

 この互いに抱えたリスクのバランスはライオネルの方に傾いてはいるが、アイザックも相当焦っていることが分かる。


 件の殺し屋、カーネーション兄弟の情報はあっさり手に入っていた。

 粗暴にして大胆な手口を得意としているので犯行の痕跡も目撃証言も山程見つかる。

 抱かせるイメージはバカそのもの。

 しかしライオネルはその思い込みを完全に消去していた。

 普通これ程顔も手口も知られているフリーランスの殺し屋が生きていられるわけがないからだ。

 暴力に身を投じ続ければ独自の直感というものが発達する。

 音、匂い、感触、そして経験知識。

 知能が低い野生動物や昆虫でもやってのける情報収集方法を人間は忘れてしまっているが、犯罪者であるほど暴力という原始世界への依存が高くなり、この兄弟は何らかの特別を思い出しているのかもしれない。

 ライオネルは計画の初期段階で、依頼が失敗した時の保険を作ることを余儀なくされていた。


 保釈後に逃げ出した犯人の行き先は大抵友人か女の居所である。

 だがカーネーション兄弟が頼る友人は、彼らと同じくらい質が悪い。

 単に『ラ・プエルタ()』と呼ばれるヒスパニック系のストリート・ギャングだ。


 成り立ちは華僑でいう『青幇』と同じく、国元を離れた移民の互助会に近い。

 英語を話せない者、職に就けない者を助ける為に居住地を密集させ、外部とのやり取りを代行する顔役を据えるというよくある移民街のシステムである。

 問題は扱う商材が麻薬と銃と殺人と人身売買という点であった。

 軍隊に匹敵する武力を持った犯罪者組織、その構成員が合衆国の到るところに潜伏している時点で軍は動きを大きく制限される。

 一般市民を海に例え、そこに紛れるゲリラを魚に例えたのは毛沢東だったか。

 世界最強の軍事力を持っているアメリカも自国に向けてミサイルは使えない。

 移民によって内部を蝕まれるという疾患に特効薬は無いのが現状である。

 ライオネルは湧き上がる怒りを抑え込む為、自身が抱えるリスクへと思考を戻した。


 カーネーション兄弟は過去にラ・プエルタ構成員であったが現在は破門されている。

 彼らの異常な凶暴性は、暴力で統率される組織ですら持て余すのだろう。

 それでも道を外れたアウトローの世界、彼らに憧れる者も少なくない。

 自由奔放に本能剥き出しで生を謳歌し、今だ生きているというのはある種の伝説となりつつある。

 反体制の象徴としてドキュメンタリー番組の取材を受けたり、自伝の出版を打診されることもしばしばあると聞く。

 そういった知名度もあってか、かつては彼らを破門したラ・プエルタではあるが、頼まれ事を無下に断ることが出来ない程度には関係を修復しているようだ。


 兄弟の知名度や武勇伝に全く興味のないライオネルは殺しの手順を考える。

 ラ・プエルタの潜伏先や所有する不動産の幾つかは軍が特定し、兄弟を匿っているであろう候補地も絞れている。

 あとはスナイパーライフルを構えて人の出入りを監視するだけ――なのだが、軍の追跡チームが失敗していることを忘れてはいけない。

 スナイパーとは単独で行動するヒーローではなく、周囲の安全確保や数学的な計算に基づく力学の知識が必要な兵科である。

 チームで動くスナイピングが失敗した事実は、個人で動くライオネルの選択肢から除外するだけの理由になり得る。


 何をするにしても個人の限界が付き纏う。

 ではライオネルの優位は一切無いのか?

 アイザックは分かっていて無理難題を吹っ掛けたのか?


 本職への休暇届を送信し終えたライオネルは、洗面所の鏡の前に立っていた。

 恐らくは自分自身である壮年男性が鏡の中から見つめ返している。

 眼の前の男はどういう人生を送り、何を考え、何を信じて行動するのか?

 自分へ疑いを向け、僅かな機微から心理分析するように観察を続ける。

 秒針の音だけが響き渡る室内。

 一時間も経とうかという静謐は押し殺した笑い声で破られた。

 ライオネルが見つめていた鏡の中には、狂気を込めて悪辣な笑みを浮かべる別人が写っていた。




   ■■■




 喜怒哀楽全てが混じる感情を押し殺して、冬川亜麗は自分の右手に超音波カッターを向けた。

 ギブスのガラス繊維が切り開かれ、蒸れた皮膚の匂いとかつての自由を取り戻した指先が顕になった。

 実際のところ、指取りで曲げられたダメージは亀裂骨折程度に留まっていたのでとうの昔に完治している。

 鉄華に不必要な罪悪感を抱かせていた悪戯心を猛省していた。


 足手まといだと思われたのだ。

 鉄華は八雲會に繋がるであろう襲撃に際し、亜麗の身を案じて一人で乗り込む選択をしていた。


 そこには友情を再確認できた喜びがあり、信頼されなかったことへの怒りがあり、並び立てない哀しみがあり、除け者にした奴らにどんな復讐をしてやろうかという楽しみがある。

 鉄華の母親、春旗華苗の安全確保を最上歌月に託し、自身と鉄華は剣道部の合宿という体で不在になる理由も得ている。

 ここからは極めて冷静に慎重に鉄華の居場所まで辿り着かねばならない。


 手掛かりは二つある。

 一つは木南一巴だ。

 行方不明になった篠咲を追う木南が鉄華と定時連絡をしていたことは知っている。

 なので鉄華が拘束された今、放っておいてもいつかこちらに接触してくるかもしれないが今は急を要する。

 亜麗は最上に頼んで学校関係者にまで遡って調べてもらった木南の連絡先に、鉄華の現状を伝えるメッセージを残している。

 不在着信に気付けば何かしら進展があるだろう。


 もう一つは篠咲の証言である。

 かつて篠咲が八雲會入りする際に斬り伏せた剣術家、長波遠地の弟子が詳細を知っているかもしれない。

 相当な恨みを募らせて撃剣大会に参加していた薬丸自顕流の面子であるが、彼らを恐れて接触を躊躇している場合ではない。


 亜麗はバイクの長旅に備え、無人の春旗家の前で入念なメンテナンスを始めていた。

 プラグの被りとチェーンの伸びが深刻である。

 時間が掛かるのは歯痒いが、この手の準備不足はいつか大きな枷になる。

 亜麗は工具を片付けて、手の汚れをウエスで拭ってから買い出しに行く為に近隣のショップを検索し始めた。


 その時、背後から不意に投げかけられた言葉に、亜麗は反射でナイフを抜いていた。


「おー冬川じゃん、ってお前ヤバッ! 何ナイフ持ってんだよ! 落ち着け! あーしだよ、あーし!」


 飛び退いた勢いで揺れる栗毛色の髪。濃いめの化粧と長いマスカラが顔の輪郭を際立たせている。

 亜麗はナイフを仕舞いながら、どこかで見たことのある顔へ向けて言葉を返す。


「……失礼ですけど、どちら様でしょうか?」

「あ? さてはテメー、あーしの名前覚えてねえな? ツムラだよ、津村鈴海。春旗のマブダチ歴はこっちのが上なんだから調子に乗んなよ!」


 住民不在の庭先にて、何ら意味はないのに時間だけは取られそうな邂逅に、冬川は眉間を押さえて溜め息をつくのであった。




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