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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十三話
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【胎動】①




 ハクトウワシの流線型が好きだ、とライオネル・クーパーは室内に飾られた剥製を見ながら思った。

 止まり木の上で何処かを見据えるガラスの眼。糊付けされた羽。鈍く光る鉤爪。

 それらの在り方には一切の無駄がない。

 八十センチ程度に留めた流線型は内在する暴力を可能な限り覆い隠している。

 ハンターとしては他のタカ科に劣るが、圧倒的スペックを持ちながら死肉を漁るスカベンジャーに甘んじているのも、臆病な自分にそっくりだと思う。


「いやはや賞金稼ぎとは……海兵出身にしては随分落ちたもんだな、レニー(ライオネル)

「大佐、いや今は司令官ですか。こいつは何の冗談ですか?」

「んー、何の話だ?」


 正面のエグゼクティブデスクに着く中年の男は資料に目を通しながら皺の深い笑みを浮かべていた。

 机上に置かれた制帽には剥製と同じハクトウワシのエンブレムが輝いていて、胸元に並ぶ数々勲章は軍用の板チョコよりも広い面積を埋めている。

 中央軍司令官、陸軍大将アイザック・カーペンター。

 今年で退役して次期国防長官を狙う予定だと噂されている元『狂犬』。

 そんな制服組のトップカーストたる男が、もはや除隊し市井に生きる文民を個室に呼びつける意味が分からない。

 ライオネルは困惑していた。


「俺はアンタの還暦祝いダイヤモンド・ジュビリーだと聞いて来たんだが」

「あぁ、それは先月終わったよ。上官の誕生日を忘れたのは懲罰ものだが、酒の好みを覚えていたのは及第点だ。ピートが効いた良い酒をありがとう」


 アイザックは机の隅に置かれたウイスキー(アードベッグ)を一瞥してから、また紙束へと視線を戻す。

 盛大なパーティーということで手土産を引っ提げて来たはずのライオネルは、狭いオフィスに漂う嫌な予感が無遠慮に背筋を撫で付けていくのを感じていた。


「民間の保釈保証業というのは存外退屈だと聞くが、実際のところどうなのかね?」

「はぁ、まぁ、ご想像通りですよ」


 犯罪者の保釈金を一旦肩代わりし、幾らかの手数料を取るだけの退屈な仕事。

 暴力が必要になるのは逃亡する者(ベイルジャンパー)が出た時であるが、保釈金を払えないような相手が銃を持っていることはほぼ無く、どこに潜伏しているかを予想するだけで問題は九割方片付く。

 それが現代でバウンティハンターと呼ばれる職種の主な実体であり、ライオネルは全て納得した上で職に就いていた。

 これくらいで丁度良いのだ。

 安定収入に加えて、僅かなリスクとインセンティブ。

 そして仕掛ける時は追う側、常に先制を取れるポジションというのが素晴らしい。

 ライオネルはかつての上官に理解を求める気は更々無く、抱く感情を表に出す代わりに形式的な作り笑いを返していた。


「それで、俺は何でここに呼ばれたのですか? 元部下のよしみで儲け話でも振ってくれるのですか?」

「ああ、そのつもりだ。金は好きだろ?」

「自分の命より好きな奴なんて見たことでないですがね」


 軍が民間へ委託するなら然るべき手順がある。

 この場で飛び出す依頼など碌なものじゃない。


「では、『悪人』はどうだ? 倫理が破綻し、会話と暴力が同義で、おおよそ善性の欠片もない、死んで初めて世の中の役に立てるようなクズは、君の大好物じゃないのか?」

「……仰っている意味が分かりません」

「違うな。君は分かっているんだ。理解できている。来る時が来たのだと」


 眼の前に投げ出された紙束を見て、ライオネルは心が冷えていくのを感じていた。

 諦めと覚悟。

 紙束の合間からはみ出た写真は、どれも見覚えのある顔であった。


「銃乱射や爆破工作による無差別殺人、強盗、強姦、麻薬売買、その手の凶悪犯が釈放後に殺される事件が相次いでいる。手口は全て同じで頚椎の切断。被害者に抵抗の跡はなく、恐らくは何も理解できないまま死を迎えているだろうな。大胆な犯行だが背後から不意打ちを狙う手口は臆病者のそれだ」

「……俺とどんな関係が?」

「素晴らしい部下を育てたと自画自賛したいところだよ。君の行動範囲と一致する以外の証拠が何もない。指紋も髪も体液も足跡も繊維の欠片ですらも見つからず、おまけにあらゆる監視カメラにも写っていないときたもんだ。そういえば君は対人追跡術(マントラッキング)の専門家だったよな」

「酷い言いがかりですね」


 やり過ぎた、と思った。

 徹底的に痕跡を残さない事が、逆に意味を作ってしまっている。

 アイザックからすれば日向で雨傘を広げているようなものだろう。


「この一連の報復殺人が公になれば今のネット世論には支持されるだろうな。模倣犯も増え、冤罪も起こりうる。犯人もそれを分かっているからこそ手口を統一している。明らかに法治国家への挑戦だ」

「そうですか。大変ですね」

「この件で最も理解できないことは、君が私を甘く見すぎているということだ。その気になれば、今日を期に犯行が止まったという状況証拠だけでも君の人生を破壊できるぞ」

「……」


 腹の立つ茶番だ。

 法治国家を支える者としての義憤であるならさっさとFBIへでも突き出せばいい。

 そうしないのは脅迫という前置きで何かをさせたいからだ。


「はぁ、それで疑いを向けられている俺にどんな儲け話でしょうか?」

「なあに、君の得意分野を活かした依頼だよ」


 アイザックは新たに取り出した資料をまたライオネルに向けて投げ出した。


「脱獄犯の追跡と殺害。これがその御尊顔だ」


 資料の表紙を飾る二人の男。

 共にデッキブラシのようなモヒカンヘアーで顔には複数のタトゥーが刻まれている。

 全身写真も同様で、肉質が分からないほどにトライバル模様やドクロや花の絵で埋め尽くされていた。

 自分の肌を使ったレザーカービングが趣味なんだろう。


「通称『カーネーション兄弟』と呼ばれている殺し屋らしい。麻薬カルテルの報復の為に雇われて、兄が刑務所入りしていたようだ。弟の手引きによる脱獄時には標的以外の受刑者が二十三人、刑務官が八人、追手の警察官が十一人殺されている。捜査が軍へ移譲されてからは編成した追跡チームの五人が行方不明の状態だ。ふざけた奴らだが実力は確かだな」


 資料のページをめくると、派手に爆破された刑務所の壁やミニガンを乱射する兄弟の写真があった。

 殺し屋というよりはポストアポカリプスの世界からやってきたネジの外れた無法者にしか見えない。


「更に人員を割きたいところだがな、我々としてはシリア情勢が不安定な今、国内のイカレポンチに構っている暇はないんだ。さぁ、そこで君の出番だ。分かるか? 私は君の能力を高く評価しているんだよ」

「報酬は? 軍の協力者はいるのですか?」

「報酬は五百万ドル。前金で一割払おう。加えて君の前科もチャラだ。こちらの人員は割けないが、必要な物は全て用意する。但し職務質問なんかで捕まった日には容赦なく切り捨てるからそのつもりで」

「随分な過大評価だ。アンタ、俺を007か何かと勘違いしていないか?」

「私の知る君ならば難なくやってのける範疇だよ。覚悟を決めろレニー。我々の、この国の正義の為に今一度働く時が来たのさ」


 ――お前に俺の何が分かる。正義なんてクソくらえだ。


 ライオネルは出かかった言葉を飲み込んだ。

 これは脅迫であり、選択の余地がない形ばかりの『依頼』である。

 報酬の約束が果たされる保証すら用意されていない。


「ふぅ、アンタはいつも勝手だ。こっちの都合なんか知ったこっちゃないくせに口だけはよく回る。最高にムカつくのは――」


 考えるべきはその先。

 依頼を受けた後、何が出来るか。

 如何にしてこの老獪の手駒としての人生を脱却するか、だ。


「――アンタの判断は常に正しいという点だな」

「はは、お前も随分と口が回るようになったじゃないか」


 偽りの旧交と虚ろな愛国心を交わらせるように、二人の男は差し出された手を固く握り返すのであった。




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