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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十二話
162/224

【八雲】⑦

   ■■■




 表示される文字盤を信じるならば、エレベーターはホテルの最上階に着いたことになる。

 拉致された帰り道からそれ程離れていない繁華街のホテル。

 シティホテルとしてそれなりに有名なフランチャイジーであり、本来は正式な会員しか利用できない中流階級以上の成功の証とされている場所である。

 その最上階。

 静かに開かれるエレベーターの扉から鉄華の視界に飛び込んで来たのは、赤。

 赤色の壁紙、赤色のカーペットが敷かれた長い廊下。その最奥には金の細工で彩られた扉が見える。

 忌憚のない意見を求められる場だったなら迷わず『下品』だと鉄華は答えていただろう。

 廊下の壁に掲げられた絵画や彫刻も統一性がなく、おそらくは値段だけ見て適当に並べた成金趣味と言わざるを得ない。

 見いているだけで目眩がしそうな空間であった。


「おかしな真似はするなよ」

「いい大人が警戒しすぎじゃないですか?  私はただの女子高生ですよ」


 黒服のリーダー格の男、内垣は鉄華の言葉に閉口した。

 少女の言うことは尤もで、こんなどうしようもない弱者の拉致に良心の呵責を覚えている――そんな顔だ。

 鉄華は当てが外れたように思えた。

 男たちは銃の扱いには慣れているようだが、裏稼業のプロフェッショナルではない。

 内垣という男の名前は車内の会話で知ったものだ。

 彼らは度胸があり統率も取れているが、肝心のターゲットには目隠しも拘束もせず、身体検査も徹底していない。

 誰かを護衛するのが彼ら本来の仕事なんだろうと推察できる。

 急な命令、急造のチームで動く慌ただしさ。

 随所に段取りの拙さが垣間見え、鉄華は内心失望し始めていた。

 当初は犯行の大胆さに後ろ盾となる権力を感じていたが、八雲會のことを考え過ぎていて見誤ってしまったか。

 こんな中途半端な奴らが八雲會であるはずがない。


 開かれた扉から流れ込む香水だかアロマだかの臭いに辟易する鉄華は、今すぐ逃走したい気持ちを抑えてリビングへと足を運ぶ。

 部屋の装飾も廊下と地続きの趣味の悪さであった。

 ホテルではあるが、最上階は丸ごとこの部屋の主の持ち物なのだろう。

 全部屋このセンスだとしたら別の意味で有名になっているはずだ。


 通路を抜けた先にようやく開けた空間が現れた。

 広すぎる、と鉄華は思う。加減というものを知らないのか。

 下手したら春旗家の敷地くらいはあるリビング。

 その中央で三人掛けソファを占拠する部屋の主は、意外にも若い女性であった。

 赤茶色の髪を中央で分け、全ての毛先が内巻きで収まっているショートヘア。

 金の小物を乗せた黒のドレスは胸元を強調するように開かれている。

 但し、女の顔は服に着られている程の幼さが見て取れる。

 年齢は鉄華と然程差はないように思え、気の毒に思えるくらいの背伸びであることは誰の目にも明らかであった。


「ご足労ありがとうございます。春旗鉄華さん」

「……誰ですか?」

「どうぞお掛けになってください」

「だから誰ですか?」


 鉄華はそれが当然の権利であるかのように女の名乗りを待っている。

 拉致を『ご足労』などと言う余裕がどこまで続くか試したくなっていた、が――。


「私が誰かなんてどうでもいいんだよ木偶の坊。さっさと座ってアホみたいに質問にだけ答えてろ」

「……」


 あまりにも早すぎる豹変に言葉を失う。

 短気であることを早々に知れたのは大きいがこれ以上の挑発は無意味だと理解して、鉄華は促されるまま対面のソファーに腰を下ろした。

 後ろに控えている黒服は二人。女の背後に二人。

 いずれも立って三メートル程距離を空けている。

 退席するタイミングで足のバネを効かせる、跳躍で女を飛び越しながら髪を掴んで首を固定、内腿に隠しているナイフを突き付けて人質完成。

 鉄華は頭の中で三拍子(・・・)を何度も繰り返していた。


「私が貴方にお聞きしたいのは二点、一叢流とやらの現状と篠咲鍵理の行方です」

「はぁ」


 思わず溜め息のような返事を出してしまった鉄華は語尾を飲み込んだ。

 この手の輩は何が挑発になるか分からない。


「ご存知だと思いますが、今の一叢流はほとんど実体がありません。私は一時期門弟でしたが継承権も無ければする気もありませんし、実力という点でもその資格はないでしょう」

「小枩原泥蓮は継がないのでしょうか?」

「例の大会以降、行方不明です」

「そう」


 こちらが嘘を吐くか試している可能性を考え、鉄華は敢えて誠実に答えることを選択していた。


「では篠咲鍵理が今どこにいるかは知っていますか?」

「つい最近まで小枩原家に住んでいたようですが、今は彼女も行方不明です」

「小枩原家に? 意味が分からないわ。篠咲は一叢流の仇ではないの?」


 女の質問を聞く度に落胆が喉元まで込み上げてくる鉄華だったが、ようやく違和感を見付けることができた。

 篠咲と小枩原家の因縁を知る人間などそう多くはない。

 ある程度撃剣大会の裏事情を知らなければ出てこない質問である。


「私も詳しく知りませんが、故人である小枩原不玉との間で何かしら和解があったみたいです」

「行方不明というのはどうやって知ったのかしら?」

「電話が通じず、直接家を訪ねたらもぬけの殻でした」


 一巴については伏せて答えることにした。

 小枩原邸の顛末を知らないのならば、どこかのタイミングで一巴の存在がジョーカーになるかもしれない。


「……その様子だと貴方は篠咲と密に連絡を取る間柄だったということになりますが」

「否定はしません。私の調べものに協力して貰っていましたから」

「調べものとは?」

「小枩原泥蓮の行方です」

「………」


 話題がループしたことに気付いて、女は少しの間沈黙した。


「ええと、つまり大会後、小枩原泥蓮を追っていた貴方は何かしら心当たりがある篠咲に捜索を依頼し、その後、篠咲も消息を絶ったということですか?」

「はい、そうです。遠回りしましたね」


 質問にだけ答えろという短慮が無駄に時間を消費した。

 鉄華はその事実を言外に伝え、こちらから質問するチャンスを窺う。

 女は羞恥心からか頬を薄く赤らめ、口元は余裕の笑みを作りながらも目を細めて睨んでいた。


 鉄華は、どこかで見たことがある顔だと思った。

 そして思い出すのに大して時間は掛からなかった。

 人物が分かれば背後関係も、この尋問の意味も大体理解できる。


「篠咲の言う心当たりとは何?」

「どうも非合法の地下闘技場があるようですね。そこに泥蓮さんが出入りしている可能性があります」

「地下闘技場……ですか」


 こりゃ駄目だ、と鉄華は心中で諦めの結論を下していた。

 この女はハズレもハズレ。

 八雲會というワードを出しても得られるものは何も無いだろう。

 財力と暴力を行使する傲慢さを持っているが、裏社会の人間ではない。

 恐らくは親から受け継いだ地位にいるだけの無能だ。


 しかし彼女は無視できない程に、こちら側の事情を探ろうとしている。

 更に家族と友人を脅迫材料に使っている。

 ならば、どうするか?

 覚悟を決めた春旗鉄華ならばどうするか?

 命の価値を天秤にかけて、自分にとって意味のある方を選ぶだけだ。


「ここまで答えたのですから、一つくらい質問させて貰えませんか?」

「……何でしょう」

「貴方が篠咲鍵理を探す理由は何ですか?」


 この質問はあまり意味がないことを鉄華は分かっている。

 もう彼女が何者なのか結論は出ているが、動機くらいは心に留めておいてやってもいいと考えていた。


「この手で殺すためよ」

「……」

「最愛の姉を見殺しにしてのうのうと生き延びているなんて許せないわ。どんなに時間が掛かろうとも必ず縊り殺してやるの。もし篠咲を守りたいなら今私を殺すべきよ、春旗さん」


 何もかもが下らない。どうでもいい。

 自分の手を汚す覚悟のない軽い言葉。

 これから彼女が最良の結果を出せたとしても篠咲に返り討ちされて終わるだけだろう。

 それでも鉄華は優しく言葉を紡ぐのだ。


「煮るなり焼くなり、お好きにどうぞ」

「あら、冷たいのね」

「私の師も篠咲に殺されたようなものですから。師が許したから私も我慢しているだけで、篠咲がどこで野垂れ死のうと興味はないです。自業自得で因果応報な結果でしょう――」


 自分でも驚く程に落ち着いて、会話の流れを制御できている。

 このまま彼女が望む方向に、彼女自身が納得する歩幅で誘導してやろう。


「――ですが、今はまだ利用価値がある。先走って手出しして欲しくないですね」

「交渉になっていませんね。何で私が貴方の願いを叶えなきゃいけないのですか」

「もし貴方が篠咲を追うのなら、確実に知っておかなければならない事があるんです。それを知らずに追い続ければ篠咲より先に貴方が死にますよ」


 鉄華は思いかけず笑みが漏れていた。

 落胆と失望と無関心しかない出会いに思えたが、その実、彼女は扉の鍵に成り得るのだ。


「へぇ、ならさっさと教えなさいな」

「勿論教えます。ただ、順序って大事だと思いませんか?」

「順序ですって?」

「ええ。これからする話で私は多大なリスクを背負うことになりますが、私は未だに貴方の名前すら知らない。これは信頼関係の第一歩目で躓いてるようなものです」

「貴方に選択権なんて無いことは分かっているのかしら?」

「残念ですけど、今ここで貴方たちと殺し合いした方がマシなくらいのリスクです。ご理解下さい」


 鉄華はそう言うと、スカートの内側からナイフを一本取り出して机の上に放り投げてみせる。

 同時に黒服が動こうとする――が、女はそれを手で制した。

 敢えて武器を差し出したのは、他にも武器があるということ。

 それが伝われば、この場の暴力の序列は崩壊する。

 目撃者もいる拉致で死者を出す覚悟などない女に対し、状況的に弱者である鉄華は思う存分に暴れられる。

 武器を持ち、相討ち覚悟で襲い掛かる者を止めることは容易ではない。


「存外、面白いのを引き当てたみたいね。いいわ。私は貴梨子(キリコ)、能登原貴梨子よ。宜しくね春旗さん」


 未熟な子供のように思えて、時折見せる風格は確かに姉と似ている。

 きっと姉と同じく碌な結末を迎えないだろうが、鉄華に躊躇は無い。

 先に手を出してきたのも、警告を無視したのも彼女の方だ。

 攫ってきたはずの相手が、この状況を望み、命を懸け、命を奪う覚悟ができていることを知らない。

 今この瞬間、同じ覚悟が求められていることを知らない。

 それでも構わないと鉄華は思う。

 そして先の事を考える。

 順当にステップ刻んでいたはずの足先が、引き返せない死線の向こう側まで踏み込んでいることを能登原貴梨子が知った時、一体彼女はどうするのか?

 どう諭し、拐かし、煽て、騙して復讐を継続させるべきか。八雲會に関わらせるべきか。

 逆恨みされないように、或いは死を以てして退場してもらうタイミングはどこか。

 鉄華の思考は既に何通りも答えを出していた。




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