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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十二話
160/224

【八雲】⑤

   ■■■



「以上をもちまして、私立刃心女子高等学校第九十期生の卒業証書授与式を終了いたします」


 盛大な拍手の中、ある者は泣き、ある者は笑い、巣立っていく先達を祝福して見送っていた。

 旅立ち。

 そのまま社会に飛び出す者もいれば、進学という猶予を選んだ者もいる。

 肩を並べる学友も人生という膨大な時間の中では僅かな接点でしかないのかもしれない。

 それぞれの道で悩み、後悔し、或いは妥協して自分に当て嵌まる居場所を探し彷徨う。社会集団に所属し依存し埋没していく。

 本当の意味で満足できる人生を送れる者はどれほどいるのだろうか。

 満足できる人生とは何か。

 春旗鉄華は答えを見出せず、送り出される卒業生の列を無表情で眺めていた。

 フラワーシャワーで祝福される花道に泥蓮の姿は無い。

 彼女が姿を消してから約五ヶ月が経とうとしていた。


 更に言えば、姿を消したのは泥蓮だけではない。

 八雲會とやらの伝手を辿っていたという篠咲も一ヶ月程音信不通の状態が続いている。

 安否が気掛かりになるような関係性ではないが、ミイラ取りがミイラになった可能性はある。

 念の為、篠咲の足跡を負う一巴とは日に二度の定時連絡を交わし、連絡が途絶えた時は迷わず捜索願いを出すつもりでいた鉄華だったが、今は迷いがあった。

 相手は相応の権力を持つ無法者の集団なので、組織としての警察が当てになるとは思えないからだ。

 その点は一巴も充分認識しているはずだが、万が一が起こらないとも限らない。

 一ノ瀬に連絡を取るのも無意味な被害者を増やす結果を招くだけであり、最悪の場合一人で動くしかないだろう。


 ――一人で動く? 何考えてるんだ私は。


 手汗が滲む。

 一体どれほど自分を過信しているのだろうか。

 現実は探偵小説のようには行かない。

 度を超えた無謀にはごく当たり前のバッドエンドが待っているだけだ。

 集団としての八雲會に春旗鉄華個人が勝るものなど何一つ無いというのに。

 精々闇討ちで関係者と思わしき数人を痛めつけて、その先は袋小路である。

 行動を起こせば今の生活拠点や人間関係を全て捨て去ることになる。

 泥蓮を探すこととのトレードオフとしてはあまりに大きな代償だ。

 そもそも泥蓮を見付けて、それからどうすればいいのかも分からない。

 説得に応じる彼女ではないし、強引に連れ戻そうにも暴力で勝てる見込みは未だに無い。

 仮に八雲會を破壊出来てもまた別の戦いの場を求めて彷徨うだけだろう。


 ――こんな時、不玉さんならどうするだろうか?


 師の思想を頼りに答えを導き出そうとした鉄華は、すぐにその行為を切り上げた。

 死者の思いを汲むという身勝手な解釈を動機に置くのは自己欺瞞である。

 こればかりは春旗鉄華が思い、願い、納得する行動でなければならない。

 そうでなければ薄っぺらい偽善でしかなく、命を懸けるに値しない。


 いくら考えても埒が明かず、思考の迷宮に囚われた心は静謐を求めていた。

 絶え間なく木霊する拍手の音が煩わしい。

 鉄華は静かな場所を求めて早々に退席する準備を始めていた。

 その瞬間、泳ぐ視線が卒業生の中の一人と交わる。

 最上歌月。

 彼女も泥蓮の身を案ずる一人であったことを思い出した。

 歌月の口が小さく動くのを確認した鉄華は、式の終わりと同時に体育館を飛び出していた。




   ◆




「結論から言えば、私にもデレ子の居場所は分かりませんわ」

「そ、そうですか……」


 慕う後輩陣を追い返し、鉄華と二人きりになった剣道場にて歌月は共通の話題を口にした。

 しかし最後の当てが外れた鉄華は肩を落とすように語気を弱めるしかない。


「気を持たせたようで悪かったかしら。でもね、それなりに人手を割いて調べさせているのよ。断片的にも情報が出てこないのは異常だわ」

「はぁ」

「……春旗さん。貴方は何を知っているのかしら?」

「何も知りませんよ」

「本当に?」

「本当です」


 少しの逡巡があった。

 八雲會というワードを知らせるべきか否か。

 歌月は八雲會まで調べた上で居場所が分からないと言っているのかどうか。

 もし知らないのであれば知らないに越したことはない。

 財力という点で八雲會に入り込める可能性のある最上歌月だが、彼女を巻き込んではならないと鉄華は思う。

 財力では絶対に勝てない相手だからだ。

 これ以上歌月に探りを入れることすら躊躇われる。


「……貴方は優しすぎるわ。分かっているかしら? これは褒めてないわよ。貴方の欠点なのだから」

「……」

「親切とお節介では結果が違うことになるわよ。忘れないでね」


 隠している内容を伏せることは出来ても、何かを隠している事実までは誤魔化せない。

 鉄華は背中を伝う冷や汗を気にした、

 ――その僅かな瞬間、間合いを詰める歌月に気付くことができなかった。

 油断。

 まさかこの場を選んだのは、暴力で尋問するためなのか?

 反射でバックステップしていた鉄華は回避が間に合わないことを悟り、引き込んで寝技に移行できるよう背後に体重を預け始める。


 だが、倒れる身体は胴体に回り込む両腕に支えられていた。

 歌月のブロンドの髪が跳ねて視界に広がる。


「あぁ、駄目ね私は。今すぐ家業なんか捨てて貴方たちを追いかけたいのに、もう無理なの。時間切れなのよ」


 声は震えていた。

 顔は見えないが、想像するまでもない。


 鉄華は言葉が浮かばない。

 歌月を取り巻く環境が自由を許さないばかりか、彼女の思想も跡目としての役割を逸脱できないところまで行ってしまっている。

 これを冷酷な選択だと断ずる権利が誰にあるだろうか。

 歌月は朧気ながらに理解しているのだ。

 泥蓮の居場所が法の届かない闇であることを。


「大丈夫です。私が必ず見付けますから。引き摺ってでも連れてきて心配かけた全員に謝らせます」

「ごめんなさい。貴方を止めなきゃならないのに、貴方に頼るしかない弱い私を許して」


 歌月の髪を撫でながら鉄華は思う。

 視界に映る剣道場。

 何かの始まりはいつも心に浮かぶはずの光景が、今はもう思い出せない。

 同じ剣の道でも正道ではなく、近道か遠回りかも分からない藪の中に踏み入っている。

 確実に言えることは、ここから先は覚悟をしなければならないことだ。


 鉄華は腕の中の歌月を抱き返しながら、覚悟を決めていた。

 進む途上で人を殺す可能性があることを。




   ◆




「別の女の臭いがするわね」


 帰り道。

 鉄華の胸元に鼻先を向けた亜麗が鋭い視線を送っていた。


「この香水は、剣道部の部長かしら?」

「や、最後の挨拶してたら何か感極ちゃって」

「……そう」


 小さな舌打ちが聞こえる。

 亜麗はほぼ部外者で顔見知りもいない剣道場へ踏み入らない程度には空気を読んでいた。

 剣道部再興を目論む歌月には悪いが、鉄華も来年度以降剣道部に関わる予定はない。

 歌月不在の状態で、既にある序列を掻き乱せば中学校時代の二の舞になるのは目に見えている。

 再興出来るかどうかは歌月に依存しすぎている現部員の問題であり、歪んだ道を進む者が成長の機会を奪ってはいけない。


 そんな鉄華の考えを読み取ったのか亜麗は鼻息を吹き、余裕の表情を取り戻していた。


「まぁいいわ。この先、色んな出会いと別れがあるでしょうけど、私は最後まで側にいるから大丈夫よ」

「あ、ありがとう」


 何に対して大丈夫なのかは分からないが、今は心強さを感じる。

 玄韜流を学んだ亜麗は失踪した篠咲と無関係ではなく、望む望まずとも巻き込まれる可能性はある。

 腕は完治していないが強さも自分の身を守れる程度には持っている。


 ――だから、大丈夫。


 そう思っていた。

 それが間違いであることに気付くのに、然程時間はかからなかった。


 銃口。

 鉄華たちと並列して徐行しているボックスカーから、見慣れない何かが向けられていることに気付く。

 鉄華も亜麗も全く動けなかった。

 銃火器だと判断できる知見が存在しないのだから当然ではある。

 現実的な危機感を持つ猶予もなく、黒服の男の一人が話しかけてきた。


「お前が春旗か。騒ぐなよ。家族や友人が大事ならな」


 呆けている少女たちに向けて男はわざと手元の拳銃を見えるように振っていた。

 相手が素人過ぎて脅しが意味を成していないことを瞬時に察知している。

 それだけで慣れた相手であることが窺えた。


「誰ですか?」

「無意味な質問だな。今お前にできるのは自分の意志で車に乗るか乗らないかだけだ」


 標的は春旗鉄華のみ。

 人気がない住宅街とはいえ、大胆かつ余裕のある犯行。

 急に羽交い締めにして車に押し込めばいいだけのことなのに。

 男たちは目撃者が居ても、警察が動いても問題ないと思っているのだろう。


「分かりました」


 言うが否や鉄華は後ろ足で踏鳴を刻み、体重を乗せた体当たりを亜麗に向けて放っていた。

 肩で感じる確かな手応えが離れ、宙を浮かぶ亜麗が背後の電柱に衝突したのと同時に、鉄華は車に乗り込みドアを閉めていた。


「ぐっ! て、鉄華!」

「出せ」


 亜麗の叫び声が車の急加速に掻き消され、後方に置き去りにされていく。

 良心が痛むが、覚悟はもう決めている。

 狭い車内、五人の男に囲まれる鉄華は静かに笑みを浮かべて口を開いた。


「相討ち覚悟で暴れられても困るでしょう? 家族や友人の安全は保証してくださいね」

「ああ、約束は守るよ。一叢流のお嬢ちゃん」


 守る保証などない。

 保証などないが、男の口から流派名が出てきたことに少なからず喜びを感じていた。

 恐らくは得物が釣れたようだ。

 これからどこに連れて行かれるのか。

 鉄華は車を追い掛けているであろう亜麗を振り返ることなく、バックミラー越しで確認することもなく、ただ前方を見据えて奥歯を噛み締めていた。




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