【八雲】④
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案内されたホテルの一室にて、『死合』を観戦していた木崎三千風は冷ややかな視線をモニターに向け続けていた。
意匠が凝らされたアンティークソファの周囲には五人の黒服が両手を前で組んで立っている。
自ら飛び込んだ死地の中央で、木崎は差し出されたコーヒーカップの琥珀色へと視線を落とす。
「毒など入っていませんのでご安心ください」
黒服の代表者が声を上げた。
言葉など信用できない。
木崎は(じゃあお前が飲んでみろ)という言葉を喉元に留めて再び画面を注視する。
特別闘技者なるスキンヘッドの男。
居合の驚異的な速さも然ることながら、人体の骨身を難なく斬り飛ばす威力は居合の領域を超えている。
恐らくは関口流居合術だが、得物にも仕掛けがあるのかもしれない。
しかし咎める者などいない。
戦い方に関するルールそのものが存在しないのだから。
「木崎様、当試合を以て余興は終了でございます。本戦は説明した通りの日程にて行います。お返事を頂けませんか?」
「返事も何も拒否権なんてあるのか?」
「勿論あります。我々が動くのは守秘義務を破った時だけです」
含みのある笑み。
八雲會の構成員である彼らの余裕は後ろ盾の大きさを物語る。
木崎はずっと分からなかった腹立たしさの理由に気付いた。
「とはいえ、木崎様は未だ我々の試験をクリアしていません。今回は時間が無いので本戦にて確認させて頂くことになります」
「試験? なにそれ」
「躊躇なく人命を奪えるかどうか、でございます。それまでは『仮闘技者』としますので相応の扱いになることをご理解ください」
「ふーん。茶菓子のグレード上がったりすんのか。合格の暁には赤福にして欲しいね。あれ好きなんだよ」
「かしこまりました。木崎様が求める物は全て用意しておきます」
殺し合いに関して文句など無い。
強制されるわけでもなく望んだ者同士、存分に技を尽くして結果としての死を迎えただけだ。
表社会で自慢できる名誉など無いが、補って余りある報酬が用意されている。
問題なのは、偶々遭遇した目撃者の生存ですら即座に賭けの対象になっていたことである。
不幸な男がメディア関係者でないのは明白。
殺しの現場を目撃しても呆然と立ち尽くす無関係な一般人を排除する。
その判断の速さは、有象無象の富裕層の集合体などではなく取り仕切る誰かの意志が垣間見える。
――八雲會とは、頭のおかしい誰か一人の為に用意された砂場のようなもの。
古流に人生を捧げた身、もはや人並みの正義感など持っていないと思っていた木崎だが、未だこの手の邪悪に対する嫌悪感が残っていたことに笑みが溢れる。
人の命を弄び、高みでグラスを傾けながらほくそ笑む何者か。
そいつに破滅を届けてやれるのならばこれ以上無い愉悦と名誉を得られるのではないか?
木崎はここに来てようやく参加する目的を見出していた。
「いいね。最高だよお宅ら。俺が求めていた物が全てあると言っていい」
「光栄です。了承したものと受け取らせて頂きます」
差し出された手を固く握り返す木崎は、彼らの体制を掻き乱す糸口を模索し始めていた。
地下闘技とはいえここまで公に活動している異常者集団が、ネットですら検索できない時点で一筋縄とは行かないだろう。
もはや国家権力に相当する力を有している。
例え世に八雲會の存在が露見したとて、本当の権力者は安全を確保しているのだろう。
主に槍玉に挙がるのは闘技者。次点で中途半端な成金観戦者。生贄なら山程用意されている。
いつ露見し、誰が下手こいて捕まるのか、それすら賭けの対象になっているかもしれない。
或いは、八雲會の会員らは自分も綱渡りをしていることを自覚しているのかもしれない。
捕まったら多少経歴が傷付くが痛くも痒くもない、その程度の認識だろう。
対して木崎は孤立無援。
親友の南場を巻き込むことは勘定に入れているが、それでも矢面に立つのは自分一人であり圧倒的に分が悪い。
――仲間、もしくは利害が一致する八雲會の敵対者が必要だ。
殺人事件を揉み消せる八雲會が相手である。恐らく内通者が潜んでいるであろう警察組織に頼る訳にはいかない。
情報封鎖されている現状、マスメディアにも八雲會に対抗する力はないだろう。
組織に属さず、義憤で動く、更に言えば火器に精通する強力な個人であれば尚良い。
木崎は真っ先に思い浮かんだ人物へのコンタクトを考えていた。
今はどこにいるかは分からないが、自衛隊に知り合いのいる南場なら足跡を追えるかもしれない。
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山間の廃村にて。
二つの遺体を処理する方法として、大胆にもその場で火葬を実行する八雲會の構成員たち。
そこから少し離れた位置で、男は片手で頭部を撫でつつもう片手で資料を眺めていた。
午後になってようやく雲間から顔を出した太陽が男のスキンヘッドを明るく照らしている。
用意させた日焼け止めを頭に塗り付ける最中、資料のページは廃村の見取り図へと移行していた。
八寒村。
総面積十キロ平方メートル。
元々の人口は三百人にも満たない。
村の南部には未完成ダムの導流壁が座し、その他は落差三百メートル近くの山々が取り囲んでいる。
天然と人工物の要塞とも言える僻地。
所々に取り残された建造物も老朽化が進み、携帯電話どころかラジオの電波も届かない幽世。
唯一のインフラと呼べるのが村の中央を南北に貫く川くらいである。
男は笑いを抑えられず、小さく肩を震わせながらページを捲り続けた。
――まるでゲームやんけ。
一体どこの馬鹿が思い付いたのだろうか。
思い付いても実行に移すなど普通の馬鹿ではない。
余程退屈な人生を送っているのだろう。
金も権力を持った上級国民が感じる退屈など聞かされた日にはその場でぶっ殺したくなるが、この馬鹿さ加減は嫌いではない。
黒服が運転する軽トラックの荷台には山程の武器が見える。
刀、槍、薙刀、鎌、弓矢、銃器。武器とは言えないスポーツ用品や鈍器も確認できる。
スキンヘッドの男、長楽十四朗はこれから歴史の裏側で起きる一大イベントを知り、その主催者に惜しみのない称賛を送らずにはいられなかった。
そして誰に向けるでもなく言葉を紡いでいた。
「素敵やん。ここには本当の人類史があるわ」、と。