【八雲】②
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篠咲の独白を聞き終えた帰路、路面電車の車窓を眺める鉄華はもはや手が届かないレベルの問題だと思い知っていた。
命を懸けるのと投げ出すのとでは意味が違う。
八雲會は存在が公になれば崩壊を免れない非合法の塊ではあるが、一個人でどうこうできる規模ではなく報復が周囲に飛び火した時守り切れる自信はない。
参加者として内部に潜入するのは論外である。
もし泥蓮が望んで八雲會に踏み込んでいるとして、それを止めるために同じく参加して人を殺すのでは本末転倒だ。
刀の収集が目的で八雲會に参加した篠咲は、組まれた死闘で四人の人間を殺害している。
泥蓮の安否に関しては過去の伝手を使って確認することを約束してくれたが、感謝よりも嫌悪感と恐怖の方が勝る鉄華であった。
刀。守山蘭道が遺した五剣。
M資金という埋蔵金の地図としてそれぞれの弟子へ託された刀だが、篠咲静斎に渡されることはなかったという。
皮肉にもその差別が静斎に真の価値を予想させることになろうとは蘭道も思っていなかっただろう。
娘である篠咲鍵理は静斎の用意した復讐のシナリオを辿っていただけである。
それにしても狂っていると言わざるを得ない。
八雲會で四人。不玉を入れれば五人の殺害。死なないまでも再起不能になった者は数知れないだろう。
本来刑務所に入っているべき人間がのうのうと暮らしていることに鉄華は憤りすら覚えていた。
向かい合う座席に座る亜麗は鉄華の心中を察して寡黙を通していたが、ふと視線が交差した瞬間に警告の意味で声を上げた。
「私が言うのは筋違いでしょうけど、もし小枩原が八雲會にいるのなら手を引くべきよ鉄華」
「……わかってる」
冬川亜麗にとっては複雑な問題かも知れない。
鉄華が泥蓮に感じている恩義は、古流の世界に引き込んでくれたこともあるが、亜麗の襲撃から救ってくれたことが発端である。
今は和解していることだが、加害者であった過去を蒸し返すのは亜麗にとってもバツが悪いことであろう。
不玉は最後まで泥蓮のことは心配しなくていいと言っていた。
鉄華もそう思っていた。
降りかかる問題は自分で薙ぎ払って何食わぬ顔で日常へ戻ってくるだろうと。
信じていたかった。
――何してるんですかデレ姉。
変わらないことなどない。
変わらないで欲しいと思う個人が努力しても、周囲が同じ努力をする保証などない。
変わらないで欲しいという想いだけを置き去りにして、環境は複雑に変化していくのだ。
故に人は成長し、社会は発展していく。
鉄華は、泥蓮と自分のどちらが過去に取り残されているのか分からなくなってしまった。
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堀切卓は息を殺して草むらに潜んでいた。
村へと降りる下山路は重苦しい金網のフェンスで封鎖されている。
鉄塔と同じく以前は存在していなかった物である。
問題は人影。
フェンスの前に陣取る数人の男たちは木々に溶け込む迷彩服を身に着けている。
サバイバルゲーマーの悪戯にしては規模の大きい封鎖である。フェンスには有刺鉄線が張り巡らされている。
最初から警戒して進んでいたことが功を奏したのか、堀切は相手に気付かれるよりも先に身を隠すことを選択できていた。
自衛隊員かと考えたが、僅かな検証の後その思い込みは捨てることにした。
迷彩服の男たちは首から下げる小銃を何時でも撃てるよう両手で保持していたからだ。
山中とはいえ市内の公道である。
実弾を装填した状態で携行する理由などなく、思い当たるニュースもない。
では彼らは何なのか?
考えても疑問の答えは出ないが、答えはフェンスの向こう側にある。
打ち捨てられたダム跡地と朽ちていく廃村。次世代通信規格と武装した集団。
少年の日の冒険心が堀切の心中に去来する。
存在もしない悪の組織に立ち向かうドン・キホーテのように身体が動いていく。
――これはマズい。引き返すべきだ。
迷彩服に気付かれないようフェンスを追って森を横切る堀切は、自身の興奮を冷静な視点で窘めようとしていた。
実態を掴むことができればニュースソースとして金になるかも知れない。
しかし遊びでは済まない。
単独行のソロキャンパーが秘境の山奥で行方不明になったとして、そこに事件性があるなどと誰が思うだろうか。
法律が介入できない条件が揃っている。
勝ち目が無いならすぐに逃げ出すべきである。
森の中までも途切れること無く敷かれているフェンスを眺めていた堀切は、細かく張り巡らされたワイヤーを見つけてよじ登ることを選択肢から除外する。
恐らくは電気が流されている。
諦めという理由を得てようやく引き返すことを考え始めていた。
その時、幸運にも不運にも発見してしまう。
陥没した地面とフェンスの間に通り抜けられそうな空間があることを。
元々、ダムの水源地として候補に挙がった土地である。
水捌けが良く、纏まった雨水が一時的に小さな川を作って流れ出ることは珍しくない。
雨による地形の変化を考慮していないという小さなミスが答え合わせの入り口を開いていた。
堀切は背負うリュックを静かに降ろして、近くの茂みの中に隠した。
右手にはキャンプ用のサバイバルナイフ。
左手には録画を開始したスマートフォン。
衣服と露出する肌は水溜りから引き上げた泥で保護色に染め上げている。
地の利が自分の方にあることを確信した堀切は、何時でも逃走に切り替えられるよう心置きを備えたまま、地面を這って小さな入口を潜り抜けた。