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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十一話
155/224

【私淑】⑦

   ■■■




 宗彭山、山頂。

 ()小枩原邸、()篠咲邸の応接室にて。

 向けられる剣呑な空気を微笑で受け止める篠咲がいた。

 眼の前に揃う新旧の弟子を眺めながら、自身の心底にある矛盾を愉しんでいる。


 ――古流の滅亡を願いながら、何故冬川亜麗を弟子として側に置いていたのか。


 蓋をしてしまっていた感情に今更気付いた篠咲は、腹を抱えて笑いたいのを我慢していた。


「何が可笑しいんですか」

「ん? いや、感傷に耽っているだけだよ」

「貴方でもそんなことあるんですね」

「勿論あるさ」


 笑みを浮かべる篠咲へ対面に座る鉄華は辛辣に当たった。

 不玉の遺言とも言える約束事があるのは知っている。

 篠咲は了承しているが、鉄華は一生彼女を師として認めることはないだろう。

 何よりも苛立つのは、篠咲は不玉の仇として憎まれ、凶刃を振るわれるならば受け止めるという覚悟を決めていることにある。

 まるで反抗期の子供を受け入れ包み込む母性のようではないか。

 大切な者を奪われたというのに、器の対比で自身が駄々をこねる子供に思えて憤りを隠せない鉄華であった。


「春旗、お前期末テストは散々だったらしいな」

「そんな事どうでもいいでしょう」

「良くはない。何のためにスポーツ推薦を蹴った? 古流など極めても社会的に何者でもないまま終わるぞ」

「貴方に言われたくありません」

「私は剣道の実績がある上での古武術家だ。剣道家は立派な職業として成立するが、剣術家は流派の営業と運営が出来なければ食っていくこともできん。ニートと同じだ」


 客人へ紅茶を出し終えて篠咲の隣に座った一巴が「まぁまぁ」と窘めるように割って入るが、篠咲も鉄華も一瞥をくれることもなく会話を被せていく。


「ご心配なく。誰かがくれた大金がありますのでニートでも資産家でも勝手に呼んで頂いて結構です」

「馬鹿か。そんなことでは社会との接点が暴力だけになってしまうぞ。金も人も永遠に側にあると思うな」

「はぁ、何ですかそれ。自分に対する説教なら部屋の隅でやっててください」


 本筋から逸れてどんどん袋小路へ向かう会話に呆れたのか、鉄華の隣に座る亜麗が軽い咳払いをしてから口を開いた。


「心配ないわ鍵理さん。鉄華が社会からあぶれても私が側にいるわ。何なら養ってもいいかしら」

「な……何なんだ。変な物でも食べたのか亜麗」


 入室してから初めて声を上げた亜麗の言葉に、昔日の彼女しか知らない篠咲は動揺を隠せないでいた。

 あれほど執着していた鉄華と穏やかに肩を並べている事自体、違和感の塊ではあるが、それは鉄華も同じ思いである。


「別に。私は人生の意味を見つけただけよ。貴方もそうだといいわね」

「そ、そうか……」


 晴れやかな表情で言葉を紡ぐ亜麗に、篠咲も鉄華も黙るしかなかった。

 篠咲はかつての愛人であった能登原を思い出して、鉄華は未体験の恐怖を感じて、言葉を失う。

 ようやく訪れた静寂の合間をティーカップの湯気が漂っている。

 会話を本題に戻したのは木南一巴であった。


「確か、【八雲會】。私が辿り着けたのはその単語だけっす。初めはよくあるマイナー団体かと思ってたんですが、今どきネットにも情報が上がらないってのは普通じゃないっすね。私が八雲會の選手を特定できたのは賭博で飛び交う断片的な情報を繋ぎ合わせて推測しただけにすぎません」


 裏格闘技団体、地下闘技場。

 規模は違えど暴力の競い合いというのは人類史と切っても切れない関係性であり、法律が整った現代だからこそより原始的な暴力を売り物にする興行は少なくない。

 しかしその殆どはギリギリ合法なものであり、前科者や表舞台に顔を出せない選手の背景に由来した『裏』や『地下』である。

 死者が出る前提でルールで行う真に非合法な興行など存在出来るわけがないのだ。

 選手の勧誘、死者の隠蔽、金の流れ、観戦客のリテラシー、全てにおいて一切の情報を秘することができるというのは、行政立法司法ジャーナリズムを超越する第五の権力を有していることになる。

 そこまで行くと、もはや陰謀論に近い想像上の組織でしかない。


「やめておけ」


 神妙な面持ちの篠咲が言葉を吐く。


「何故ですか?」

「説明が必要なほどのバカじゃないだろう」


 篠咲は撃剣大会の勧誘側、能登原という権力者の伝手も持っていた。

 つまりは、


「実在するんですね。国家ぐるみと言える規模の舞台が」


 返答はなかったが、それが答えであった。

 鉄華は八雲會の目的を考える。

 非合法であり、剣術家同士を戦わせて死者が出るということは、八雲會もまた真剣で戦う舞台であろう。

 或いは武器に制限は無いのかもしれない。

 そんな戦いでは開催の度に選手の半数が消えることになる。

 撃剣大会のように古流の有用性や検証を目的とする言い訳も通用しない。

 在るのは狂気。

 闘牛や闘犬ですら満足できない異常者たちが行き着く先の受け皿。

 賭博が絡むのなら大量の金が集まるだろうが、露見した時のリスクの方が圧倒的に大きい。

 それでも敢行するのは狂気という他ない。

 選ばれた人間、富裕層であることの称号のように作用し、高みから醜い人間の闘争を眺める愉悦をもたらしているのだろうか。


「言っておくがもう私自身は関わりがない。泥蓮がそこにいるという保証もないぞ。それに……」

「それに?」


 慎重に言葉を選ぶ篠咲に苛立った鉄華は語気を強めて聞き返した。


「参加選手として紛れ込むには大きな障害がある。向こうの用意した試験をパスしなければならないからな」

「試験ですか」

「ああ。人殺しに躊躇せず強く望んで参加することを最初に試される(・・・・)。」


 鉄華は絶句する。

 もしも八雲會に泥蓮がいるならば、資格者(・・・)であるということだ。


「随分とお詳しいんすね、鍵理さん」


 一巴は自分の諜報活動でも得られなかった事実を知ることへの解答を予想して、皮肉を交えて誘導する。

 暫しの静寂の後、篠咲は諦めたかのように溜め息をついて答えた。


「もう分かっているだろう。私もかつては八雲會の闘技者だった。参加を賭けてある剣豪と立ち会い、斬り殺している」




   ■■■




 男がいる部屋は、彼の持つ資産とは対称的に簡素なものであった。

 打放しコンクリートに囲まれた暗い室内。

 飾り気のない木箱が所狭しと並べられ、その全てに大量の書籍が収められていた。

 一見資材置き場にも見える木箱の群れは、本棚のように整理整頓を目的として置かれているものではない。

 その証拠に本は題名順でも作者順でもなく、縦横開閉に係わらず乱雑に押し込められていて、木箱の下部には搬入用のパレットが敷かれている。

 男は木箱を『ゴミ箱』と称していた。

 既読の本は後で纏めて焼却処分する、木箱はその一時的な置き場所に過ぎない。


 男は車椅子に座り、室内で唯一読書に適しているであろう光量を保っている天窓の元にいる。

 痩せ細る下半身から何らかの障害を抱えていることが伺えるが、それを補って余りある上半身の体躯が呼吸に合わせて大きく上下している。

 上半身から吹き出る熱気と、ページを捲る度に舞い上がる細かい埃が、額縁のように切り取られた陽光に靄のような影を落とす。

 太陽の軌道に合わせて天窓の下を移動し、日が落ちれば夕食を取って就寝する。

 それが男の毎日の過ごし方あった。


 しかし今日は予定調和を乱す着信音が鳴り響いている。

 約一分間。

 それでも鳴り止まない電話。

 メールで伝えるでもない火急の用事であることに男は満足気に微笑み、二分が経とうかという頃ようやく携帯電話を取り出した。


「やあ。愛すべき急用(サムシング)は僕をここから連れ出してくれるのかい?」


 太く発達した首から低く通る声が放たれる。

 笑顔で目元と口端のシワを増やしたまま、電話口から届く言葉に何度も頷く。

 読書を超える愉悦を耳元で堪能するかのように、低く籠もった笑い声を時折響かせていた。


「エクセレント! 予想以上だよ! 自ら決勝の続きをやりたいだなんて彼女はエンターテイメントを理解している逸材(タレント)じゃないか!」


 破顔し無邪気に叫ぶ男は一転、無表情になって思案する。


「――だが、少しドラマが足りないな。君たちの中に彼女の願いをそのまま叶えるフーリッシュはいないと思うが、その辺のシナリオはしっかり考えているのかい?」


 電話の向こう側の狼狽を感じ取った男は、失望の溜め息を吐きながら読みかけの本を開き直した。


「僕は中途半端(incomplete)なものを求めていない。だから時間は指定しないよ。君たちが完璧だと思えるプレゼンを用意できたらまた掛け直してくれ」


 通話を切った男は携帯電話をサイドテーブルに放り投げ、頬杖をついて読書を再開していた。

 今し方確約された愉悦の時間を切り離したかのように忘却し、胸元に広げた本の世界に時折悲しみ、時折満面の笑みを浮かべて没頭している。


 男の名は佐久間・ジョージ・現果(アラハテ)

 アメリカ人の祖母を持つクォーターであり、かつての兵学者、佐久間象山の末裔であった。




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