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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十一話
154/224

【私淑】⑥

   ■■■




 放課後。

 早々に席を立って帰宅し始めた鉄華の瞳は闘志で燃えていた。

 ようやくコミュニケーションが取れた曜子の計らいで、明日のテスト対策ノート及び前年度のテスト答案を手に入れる事ができたからだ。

 ここからはテスト勉強のルールが変わる。

 一夜漬けでどれだけ覚えられるかという、学力ではなく記憶力の問題へと移行していた。

 これも兵法。

 現代日本の教育システムが抱える弱点、年功序列制で保護される教職員の怠惰を突くのだ。

 カンニングと違い過去問を暗記するのは卑怯ではない。


 しかし一概に怠惰と断ずるには早計かもしれない。

 教師は教師で担当生徒の点数を以てして指導力を評価されている可能性がある。

 毎年過去問を少し変えただけで出題する、この抜け道を敢えて残すことで一定の平均点数を保証しているのならばもはや共闘と言えよう。

 WIN-WINである。

 決して褒められた行為ではないものの、ルールを逸脱する不正ではない。


「呆れたわ、鉄華。まさか学校の勉強を捨ててまでして古流を学んでいたの?」


 帰宅途中、テスト用紙を眺めながら帰路の中間地点である三叉路まで辿り着いていた鉄華は、背後からかけられた声に背筋が震えた。


「亜麗さん、……いつから?」

「失礼ね。ずっと一緒に歩いていたじゃない」


 斜め後ろを追随していた亜麗が頬を膨らませて応えた。


「まぁ私は試験免除の身の上なので貴方の苦労を嗤う資格はないのだけれど」

「免除? なにそれズルい」


 転校生とはいえ試験免除など通常ありえない。

 もしかしたら有名な進学校からの転入ということで学校側に優遇を提示させるくらいはしているかもしれないが。


「ズルいとは心外ね。私は私闘で退学してからの編入なの。試験ならこの前受けたばかりよ」

「あ、はい。……すみません」


 鉄華は亜麗の辿った顛末に申し訳ない気持ちになった。

 普通は退学食らって然るべき事件である。

 復学しても周りから恐れられるだけでしかない。

 鉄華は改めて停学に留めてくれた八重洲川先生に感謝した。


「ねえ、部活動への所属義務があると聞いたのだけれど、鉄華はまだあの部活にいるのかしら?」

「え? あー、えっとね」


 脳裏で最上歌月からの頼まれ事が再生され少し躊躇した鉄華だったが、いずれ直接現れることを想像して仕方なく会話を続けた。


「古武術部は廃部になって今は剣道部に在籍してるんだけど、亜麗さんも入部す」

「するわ」


 食い気味に返答する亜麗。

 もはや剣道に興味はないと思っていたがその目は固い決心が込められている。


「そ、そう。と言っても私は名前だけ貸してる幽霊部員みたいなもんだけど」

「なら私も幽霊部員になるわ」


 即答する亜麗の真意は分からないが、とりあえず部長への義理は果たしたと嘆息する鉄華であった。

 剣道部の行方という歌月の心配に報いることになるとは思えないが、卒業を間近に控えた彼女の危惧を一時的にでも和らげることはできるだろう。

 問題はもうひとりの方だ。


「そういえば、小枩原泥蓮は卒業なのかしら?」


 鉄華の心を読んだかのように亜麗は泥蓮の話題を振った。

 或いは、亜麗が行方を知っているかもしれないことに期待していた鉄華は、これで万策尽きたことを悟る。


「デレ姉は大会以後、ずっと行方不明です」

「……そう」


 兄が死に、母も死んで、その仇が実家に棲まう状況。

 篠咲の厚顔無恥には鉄華も憤りを感じているが、泥蓮の気持ちは推し量りようもない。

 彼女は何を思い、今何処にいるのだろうか。




   ◆




 食卓に並ぶ寿司から玉子焼きを摘み上げ口に運ぶ。

 その最中、広げた過去問に目を通す鉄華だが、心中はずっと泥蓮のことを考えていた。

 鉄華の復学祝いで奮発した母、華苗は満面の笑みで回らない寿司に舌鼓を打っている。


「鉄華、次は赤身が食べたいわ」

「はい。どうぞ」


 マグロの握りを亜麗の口に運ぶ鉄華は、泥蓮の交友関係を考える。

 知る限り彼女を匿う程の親交があるのは木南一巴、最上歌月、あとは念流の寺の誰か。

 大会参加者の安納林在に聞けば答えは出るかも知れないが、連絡先を知らないどころか話したことすらない。

 一巴や歌月は泥蓮を探している側であり、社会的に失踪扱いになるレベルで匿う理由もない。

 交友関係では辿れない何処かにいることを推理するのは無理難題に思える。




   ◆




 シャワーの温度を常より高く設定して蛇口を捻った鉄華は、暖められた筋肉が運動を求め出すのを感じていた。

 この頃は専らジョギングと素振りに終止し、一叢流の復習に時間を割くことはしていない。

 身の回りに不玉に匹敵する相手が居ない以上、無闇に全力を出して戦う機会などこれからもないのかもしれないが。


「鉄華、背中を流してくれないかしら」

「あ、はい」


 亜麗の長髪を掻き分けて顕になった小さな背中にタオルを走らせつつ、思考は泥蓮の行方に戻っていた

 自殺するような人間ではない。

 兄と母の死を自分のせいだと背負うことになっても、自らの命を断って責任を放棄するような気質ではない。

 どれだけ時間がかかろうとも強さを蓄えて元凶を叩き潰しに行く性分であることは嫌という程知っている。

 篠咲はもう彼女の報復対象ではない。

 衰枯の後遺症で戦うこともままならず、何より命を賭した不玉が彼女を許し匿っている。

 大会が終わって二ヶ月も経っているのに未だ無事であることがその証左だ。

 消化不良で終わった決勝の相手を襲撃する可能性を考えた鉄華だが、同じく時間が空きすぎていることから考え難い。

 そもそも合気剣術の赤羽に関しては先月訃報があったばかりである。

 死因は糖尿の悪化による脳梗塞。

 決闘で敗れたという事実はない。




   ◆




 風呂から上がり、柔軟を終えた鉄華は自室にて再び過去問と向き合っていた。

 しかし思考は未だ別の推理で動いている。

 赤羽の次に襲われる可能性のある薙刀使い、滝ヶ谷香集。

 彼女の行方は誰も知らない。

 警察の事情聴取があったのは確かだが、殺人罪に問われることはなくあくまで競技中の事故として処理されている。

 テレビやインターネットでも一時期話題になり、滝ヶ谷を追う流れがあったものの終ぞ画面に現れることはなかった。

 彼女にも匿ってくれる程度の協力者はいるということだろう。

 泥蓮が単独で滝ヶ谷の足跡を追うのは難しいように思える。


「ねえ、鉄華。パジャマの袖を通すの手伝ってくれないかしら」

「あぁ、ごめんごめん」


 自由が効かない亜麗の右手を持ち上げて鉄華は泥蓮の行きそうな場所を、


「……チョット待って」

「何かしら?」


 突然、電池が切れたように動きを止めた鉄華を亜麗は不思議そうに見返している。


「なんで亜麗さんがウチにいるの? 何で自然に泊まっていく感じになっているの?」

「あら、華苗さんの許可は取っているわよ」

「私の許可は」

「貴方の許可なんて要るのかしら?」

「……」


 怪我の原因であることを盾に身の回りの世話を強要する亜麗。

 拒否することは出来なくもないが、元の学校を退学までしている彼女を無下にする勇気は無かった。


「テスト勉強が身に入らないようね。小枩原のことを考えているのかしら」


 またも思考を見透かすように亜麗は核心を突いてくる。


「亜麗さんは思い当たる場所とかない?」


 亜麗が知っているわけがない。

 だが藁にも縋る思いで鉄華は質問をぶつけてみた。


「ないわね。ただ、」

「ただ?」

「強さを求めるも目標を見失った彼女が行き着く場所なら、なんとなく想像できなくもないわね」


 鉄華は亜麗の言葉を待つ。

 簡単に編入してしまえる程の学力を持つ彼女の知恵に今は頼るしかない。


「いい? 大会があんな終わり方をした以上、もう古流剣術を振るえる舞台なんて存在しないのよ。でもそれは表舞台に限った話ね」

「……裏舞台」

「そう。法に触れるような試合と賭博を絡めた地下格闘場が存在するのであれば、彼女の着地点として相応しいわね」


 鉄華は思い出していた。

 大会参加者にそういう裏の実績を持つ人物が居たことを。

 その情報を提供してくれた人物のことを。


「その手の裏事情に詳しい人には心当たりがあるわ」

「……私もある」


 思い浮かべたのはそれぞれ違う人間だが、奇しくも住まいを同じくする二人であった。




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