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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十一話
153/224

【私淑】⑤

   □□□




 一八五三年、浦賀港。


 二日前から沖一キロに停泊している火輪船を睨む男たちがいた。

 先頭にて単眼鏡を覗くは、軍議役として警備に当たっていた佐久間象山。

 開放された砲窓をつぶさに観察した象山は、眉間に皺を寄せ肩を落とすように溜め息をついた。


 マシュー・ペリーの来航。

 幕末と呼ばれる十六年間の開始地点に立つ男の表情は暗かった。


 この時日本側が海岸に並べた大砲、モルチール型和砲の射程は四百メートル程。

 対して蒸気フリゲート艦『ミシシッピ号』に搭載されたペクサン砲は、炸裂弾頭と装弾筒を組み合わせ三キロ以上の射程距離を誇る。

 象山は高島流砲術を学び西洋式大砲にも精通していたので、彼此の圧倒的な戦力差を一目にして見抜いていた。

 日本側には大砲を備えた船など一隻もなく、戦いになれば洋上から一方的に蹂躙されるだけである。


 もはや海防策に留まらない国防の危機を目の当たりにして、象山は静かに思案していた。

 十年前、かつて強国であった清は西洋の軍事力の前に為す術なく敗北している。

 卜伝流の達人であった象山だが、アヘン戦争の情報を知り東アジアの情勢を研究するにつれ、西洋諸国に対する圧倒的な軍事力の遅れを感じるようになり、蘭学の修得を始めていた。

 とりわけ砲術と兵法の遅れは深刻なものである。

 自身が学んだ高島流砲術とて例外ではない。

 開祖である高島秋帆の投獄が普及を阻害していることもあるが、伝統的武術に倣い入門から皆伝までの長い習得期間を課す体質は未だ改善されていなかった。

 技術を隠すことなく、合理的に、短期的に学ばせる西洋学に追いつかねばならない。

 刀剣術に明け暮れる者たちに、すぐそこまで来ている新しい時代の戦いを知らしめなければならない。


 とはいえ未だに世は二百五十年続く太平の中にある。

 市井に生きる者たちには黒船など他人事、眼の前の生活を超える問題に想いを巡らせる暇などないだろう。

 彼らにとっての闘争、護身は個人戦の範疇であり、驚異となるのは刀剣に他ならない。

 だから剣術などという時代遅れの教育が廃れていかないのだ。

 個人戦ですら銃器の小型化であっという間に変化するというのに想像する教養がない。


 ――我々も変わらなければならない。


 象山は浮かんだ腹案に口端を歪めた。

 開国の必要性を幕府へ奏上することは続けるが、もしかしたらこの先、国内攘夷派との争いが激化し内戦状態になる可能性がある。

 そうなれば西洋諸国の思う壺だ。

 救援という形で進軍し、嬉々として植民地化を進めるだろう。

 万が一が起きる前に国内の兵法家たちの意識を改革しなければならない。


 彼の力を以って彼の力を制す。

 外国の力を取り入れる大攘夷論を広く浸透させる一環で、変化を受け入れず古い武術、役に立たない兵法に固執する者たちには消えてもらう。

 象山は思考の着地点で見つけた悪魔的思い付きに失笑する。

 見上げた空には、先行きを暗示するかのように厚く暗い八重の雲が浮かんでいた。




   □□□




「……はい。あーん」


 箸でつまみ上げたちくわの磯辺揚げを運ぶ先で、小動物のような小さな口が精一杯開かれていた。

 何故か目を閉じて待っているのは冬川亜麗。

 舌上に落とされた磯辺揚げを咀嚼する間も信頼の証であるかのように瞳を閉じている。

 充分な咀嚼の後に飲み込み、ゆっくりと目を見開いた少女は箸を操作する鉄華に向けて次の命令を下した。


「鉄華、次はお米が食べたいわ」

「あの、冬川さん。私も」

「待ちなさい。違うでしょ? 鉄華?」

「……亜麗さん」

「何かしら?」


 鉄華の知らない顔で微笑む亜麗がいる。


 ――怖い。


 鉄華は恐怖に近い感情を抱いていた。

 距離の詰め方が尋常ではない。

 昨日まで知っていたはずの彼女の性質は百八十度入れ替わっているが、入れ替わった先にも狂気がある。


「私も昼食食べたいんだけど……」

「あら。私に食べさせながら貴方も食べればいいじゃない。何なら私のお弁当、半分くらいは食べていいわよ。ああ、箸を共有してしまうことになるでしょうけど私は体液の交換くらい気にしないわ。鉄華だって気にしないでしょ? 私の血を飲んでたくらいだし」


 早口で捲し立てる亜麗を見かねたのか、ようやく外野から横槍が入った。


「えっと、お前らそういう関係なの?」

「鉄華ちゃん、亜麗ちゃんの血飲んだの?」


 文化部棟の最上階奥。

 屋上へ続く階段にて、二人だけの世界を展開していたつもりだった亜麗は、極力無視していた二人がどうやら鉄華の友人であることを察したのか小さく舌打ちした。


「そういう関係じゃないし、血も飲んでない! ……あれ?」


 曜子と鈴海の誤解を解くべく語気を荒げた鉄華だが、よく考えたら闘争の最中、口に跳ねた血を少し飲んだような記憶があり尻窄みな自問へと入った。


「飲んだわよね?」

「……はい、飲みました。少し」

「ふふふ、思い出したようね。つまり私も貴方も箸を共有する程度のことは別段気にする性格ではないのよ。だから遠慮しなくていいわ」

「……はい。頂きます」


 諦めたかのように亜麗の弁当を食べ始めた鉄華を、曜子と鈴海も同じく死んだ目で眺めていた。

 旧友二人も鉄華と亜麗が殺し合いに近い決闘をしたことは知ってはいるだろう。

 知っているが故に眼前で展開される、当人である鉄華ですら理解できない異質な空間を、ただ無言で眺め続けることしかできなかったのだ。




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