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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十一話
150/224

【私淑】②

   ◆




「何の用ですか?」

「ただの散歩だよ」


 小枩原家の、不玉の墓の前で腕を組んで立ち竦む篠咲は、手を合わせるでもなく墓石を見上げるように観察していた。

 真剣の戦いで死なせてしまった相手の家に住まい、墓に参る。

 篠咲は何を思うのか。


 鉄華は篠咲を無視して墓石に打ち水をし、ブラシで苔を落とし、献花を済ませた後線香に火を灯した。

 そして合掌して目を閉じる。

 寺入りではなく敷地内に墓所を置く辺り、小枩原家の宗派は分からない。

 それでもごく一般的な作法に倣い死者を偲ぶ。

 この先の人生は誰が導いてくれるわけでもない私淑の時間である。

 自らの原点を忘れない為に鉄華は祈り、誓いを立てる――が横から刺さる視線がどうにも煩わしい。

 散歩と言いつつ立ち止まり、観察の対象を鉄華に変えたことが伝わる。

 静かに目を開いた鉄華は隣に抗議の視線を飛ばした。


「なんだ? お年玉でもやろうか?」

「気が散るんですけど」

「修行不足だな」


 無表情のまま返答する篠咲は一向に立ち去る気配を見せない。

 許可を得て立ち入っているとはいえ今では篠咲の私有地である。

 何処に居て何を見ようが自由とでも言わんがばかりの態度に少し腹を立てた鉄華は、彼女の変化を弄ってやろうと悪戯心を働かせた。


「敬語、やめたんですね。演技しなくていいんですか?」

「ん? ああ、そうだな」


 質問を向けられた篠咲は含まれた悪意を受け止めながらも自省の言葉を続ける。


「どれが本当の自分だったか思い出せなくなってしまったが、とりあえず口調から直していこうと思ってな。おかしいか?」

「ええ、違和感しかないです」

「慣れてくれ」


 腹が立つ。

 腹の底から腹が立つ。

 不玉を殺しておいて、自分だけは助かっている篠咲が憎い。

 過去を清算したかのように毒気が抜けた穏やかな日常を送り、あまつさえ師匠面で接してくる篠咲が恨めしい。

 殺してやりたい。

 今なら勝てる。

 重心が左足に傾いているのは衰枯の後遺症だろう。頸部も負担を掛けないように最小限の動きしかしていない。

 鉄華の手には鈍重の鉈。熊よけのカプサイシンスプレー。

 腕を組む篠咲が短刀を持っていたとしても、拳銃を持っていたとしても先手で視界を奪い刃を埋め込むことができる間合い。

 今なら勝てる。

 師の仇。友人の敵。かつて最強の一角にいた剣客。

 誰もいない山奥で殺害できる絶好の機会。

 今なら勝てる。


 勝てるが、身体が動くことを拒絶していた。


 本当は分かっているのだ。

 死期を悟った不玉が泥蓮ではなく篠咲に資産を譲った意図を。

 居場所を失った篠咲を匿う最後の隠れ家を提供した想いを。

 残酷にも、不玉は目標を用意したのだ。

 醜悪にも、篠咲に師事しろと言うのだ。

 篠咲自身もその役目を認識し、そうであろうと振る舞う素振りを隠さない。

 一叢流を習い、玄韜流をも取り込む。

 魅力ある提案だが簡単に割り切ることは出来ない。

 鉄華は頭がおかしくなりそうだった。

 脳内では抑えられない殺意とそれを縛り上げる呪いがせめぎ合っている。

 きっとこの葛藤は一生消えることはないだろう。

 篠咲を許すことなど到底できそうもない。


「判断が遅いな」

「はい?」

「私を殺せる機会を失ったぞ」


 向けられる言葉で殺意を察知されていたことを理解した鉄華は息を呑んだ。

 負傷が癒えぬ身とはいえ、不玉に対抗し得るだけのことはある。

 遠くから聞こえる草葉を掻き分ける音。

 篠咲自身に反撃の備えがあったのかは分からないままだが、第三者の介入で闘争の気配は終息していく。

 視線を向けるまでもなく、鉄華は誰が現れたのか理解していた。


「おや、鉄華ちゃんもお揃いっすか。明けましておめでとうっす」


 茶色のショートヘアが朝日に照らされて赤く輝いている。

 現れた少女は大会半ばで失踪していたはずの木南一巴であった。


「こんな早朝から山入りだなんて、また合宿する気っすか?」

「ただの墓参りです」

「ふーん。またサバイバルしたくなったら私に声かけるっすよ。綿密なプランで段階的な上達を約束するっす」

「遠慮します」


 一巴もまた小枩原家に匿われた人間である。

 宗家との縁切りで多額の金を動かして交渉したのは他でもない不玉であり、そこにどんな因縁があったのかは知る由もないが、一巴なりに恩義を感じ宗彭山の管理を受け持つことで恩返しているようである。

 篠咲鍵理と木南一巴の同棲。

 泥蓮が実家に戻ることなく行方を晦ましたのも分かる気がして、軽い頭痛を感じる鉄華であった。


「あ、丁度雑煮ができたので鉄華ちゃんも食べてってください。鍵理さんもまだ回復してないんだからフラフラ徘徊しないで欲しいっす」

「またか。正月から雑煮しか食べていないぞ。お前のレパートリーはどうなっている」

「安いからって買い込んだのは鍵理さんでしょ? 責任持って胃に収めてくださいっす」


 生活感が滲み出る茶番に篠咲の知らない一面を垣間見た鉄華は気が滅入りそうになった。

 これ以上感情を乱されたくない。

 踵を返してさっさと帰路へ着こうと思った。


「あらら、もう帰っちゃうんっすか?」

「ランニング中なんで、胃に重い物は結構です」


 残念そうに肩を落とす一巴を尻目に、鉄華は篠咲へと視線を送る。


「それから、篠咲さん」

「なんだ?」

「『殺せない』のではなく、『殺さない』です。私は不玉さんの理性と品性を尊重しているだけです。墓前で手を合わすくらいしたらどうですか」

「残念だが、私にその資格はない」


 篠咲の返答は、薄く乗せた笑みと自虐の溜め息が同居していた。

 ずっと読み解こうとしていたが、鉄華に彼女の心情を推し量ることはできない。

 能登原も地位も財産も全てを失い、何を考えて死闘を繰り広げた相手の家に隠れ住むのか。

 一巴にしてもそうだ。

 あの大会の様々な工作と争いと因縁を無視して、何も無かったかのように過ごす二人を見ているとどんどん気が滅入っていく。

 この葛藤を精神的な未熟と割り切るには、まだ足りない何かがあるとでも言うのだろうか。

 眼の前の光景がただの演技で、人前でしか見せない茶番であったならどんなに良かっただろうか。

 納得できない鉄華は混乱から逃げるようにして、全力で復路を駆けていくのであった。




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