【合気剣術:赤羽 清雪】
大戦当時、実際に戦闘で人に向かって引き金を引くことができた者は少なかった。
生きた人間を目視で捉え発砲するということは、砲撃や爆撃のような、距離というものに保護されている攻撃とは勝手が違う。
人を殺すという行為は時に祖国よりも、大義よりも、信念よりも重くのしかかる。
一九四四年、終戦間際のペリリュー島。
絶対国防圏の最前線であった激戦の地に、赤羽 清雪はいた。
◆
額に落ちる小石で目が覚めた清雪は数回瞬きをした後、自分が暗闇の中で横たわっていることを理解した。
頭痛と耳鳴りが酷い。
肋骨は何本か折れているようだ。
脳震盪なのか地震なのか断続的な揺れを感じている。
闇に目を慣らし四肢の無事を確かめると、次に周囲の匂いを確かめる。
土煙の匂い。血の匂い。海の匂い。カビの匂い。焦げた肉の匂い。
胸に下げた懐中電灯はドイツに出向した友人から貰った物で、刺さった金属片を中心に大きくひしゃげている。
もはや使い物にならないが、遠く離れた友人との絆を感じて捨てることはできなかった。
血で汚れた胸ポケットからマッチ箱を取り出すと、中から一本取り出して側面を擦った。
照らし出されたのは坑道であった。
背後の道は崩れた土砂で埋め尽くされ、ただ前へと続く一本道があるだけだ。
日本軍は珊瑚の石灰で形成される硬い地質をくり抜いて天然の要塞を築いている。恐らくはその一角であろうと予想した。
清雪は額を伝う血を拭いながら、その瞬間を思い出す。
兵長の藤島が銃窓から九六式軽機関銃を撃ち続けていた。
声にならない声を振り絞って何かを叫んでいる。
弾が足りない。
皆の弾倉をかき集めては装填し乱射する。
それでも足りない。
弾だけではなく、水も食料も足りなかった。
きっと補給路から絶たれたのであろう。
ここ数日続いている渇きと空腹と睡眠不足で皆が集中力を欠いている。
M4戦車が高台のトーチカを吹き飛ばした。
次はここだ。
相手が悪い。
せめて重機関銃でなければ時間稼ぎにもならない。
清雪は引き際を感じていたが、周りの者は誰も動こうとしなかった。
塹壕組に逃走は許されない。
背を見せれば味方に撃たれることを誰もが知っていた。
やがてM4戦車の砲塔が光り、視界が暗転した。
――恐らくは、自分だけが運良く連絡通路に投げ出されて生き延びたのだと清雪は理解した。
その強運に感謝し、皆と命運を共にできなかったことを恥じた。
目頭が熱くなるばかりで涙は流れなかった。
生き延びてしまった以上は、全力を尽くさなければならない。
清雪は休もうとする身体を気力で引き起こし、別隊に合流するために歩き始めた。
◆
坑道を抜けるとそこは鬱蒼とした密林が広がっていた。
清雪は腰の拳銃嚢から南部十四年式を抜いた。
残弾は弾倉に一発、装填済みを含めて二発しかない。
戦車が投入された戦場で命を預けるには余りに頼りない。
遭遇戦で使えるのは一発。
残りの一発は自決用だ。
しかし悪いことばかりではなかった。
雨が降り始めている。
清雪は手の甲に留まった雨水を舐めながら、これは恵みの雨だと思った。
心置きなく水分の補給が出来る。
それは敵も同じなのか、久方ぶりの雨に遠くで響いていた銃声も聞こえなくなった。
行動を起こすなら足音が消える今しかない。
折れた肋骨が内臓に刺さらないよう、しっかりと足元を確認しながら歩を進める。
『物事の限界は大抵自分自身の中にあり、気の持ちようで乗り越えていけるものだ』
過去に教わっていた合気道の師はそう言っていた。
身に付けた柔術も剣術も戦場で使う機会は未だ無いが、それを支える理論や精神性は銃撃が基本の現代戦でも応用できる場面が多くある。
初心の頃は半信半疑で聞き流していた説教も今では謙虚に受け入れることができる。
過酷な実戦は着実に清雪を強くしていた。
歩き始めてから数刻、清雪はゴムの木の群生に踏み込んでいた。
大きな幹に幅の広い葉を並べ、雨水を凌ぐのに丁度いい。
手頃な大きさの一本に背を預け休息を取ろうとした時、ふいに背後から衣擦れの音が聞こえる。
清雪が振り向くと、三メートル程離れたところで人影がこちらを見ていた。
金色の前髪に碧眼。
米兵だ。
向こうも一人で、同じくこちらに気付いたばかりのようだ。
互いが慌てるようにして銃口を向け合った。
この距離で撃ち損じることはない。
撃てば相打ち、互いに血と内臓を撒き散らして絶命することは確実である。
清雪は死ぬのは怖くなかった。
その瞬間は既に何度か潜り抜けている。
しかしどうだろう。
これほどの至近距離で相対した人間を殺すのは初めてだ。
砲撃のような「遠距離から大量に殺す」方法とは違い、目に映る特定の誰かを自分の意思で殺そうとしている。
清雪はここにきて殺人に対する強烈な抵抗感を覚え、引き金に指をかけたまま躊躇ってしまう。
これはまずいと思った。
それは一秒にも満たない時間。
出遅れたことを悟った清雪は死を覚悟した。
――だが、銃弾は飛んでこない。
相対する米兵も同じく、引き金に指をかけたまま迷っていた。
永遠とも思える数秒の中、視線が交差する。
言葉を発したところで通じ合えることはないのに、銃口を向け合う死地に於いて二人の男は互いの心情を共有できていた。
だが、そんな不確かな物に命を預けられる程甘くはなれない。
清雪は心中で葛藤を続けながらも、相打ちではなく自分だけが生き残る道を探る。
米兵はガバメントから片手を離して、清雪に見えるように人差し指を立てて見せた。
その指先は震えている。
そしてゆっくりと自分を指した後、清雪が歩いてきた方に向けた。
次に清雪を指してから反対方向の道を示す。
停戦の提案だ。
互いに何も見なかった事にして立ち去ろうと言っている。
(信用できない)
油断させた次の瞬間には銃弾が飛んで来るかもしれない。
清雪の照準は揺るがない。
そんな清雪の覚悟を感じ取りながらも、米兵はゆっくりと銃口を上に向けると、やがて背を向けて歩き始めた。
在りえない光景であった。
清雪は眼前の状況が、極度の疲労が見せる幻覚のようにさえ思えた。
会ったばかりの敵を信頼し命を預け去っていく米兵は、まるで狂気の淵で綱渡りをしている道化師だ。
清雪は、米兵の背中を狙い続けている。
引き金に掛かる指に少しずつ力が込められていく。
米兵は背嚢を担いでいない。
おそらくは清雪と同じく、負傷で部隊からはぐれた脱落者だ。
照準は振れない。
噛み締める奥歯から割れるような軋みが響く。
米兵は振り返らない。
もうすぐ木々の影に隠れてしまう。
今撃たなければ逃してしまう。
清雪は、
――最後まで引き金を引くことができなかった。
◆
戦争の最中にある兵士の行動としては、決して褒められたものではなかったであろう。
生き延びたお互いが今後沢山の敵を殺すかもしれない。
それでもあの瞬間だけは、国も、大義も消え失せ、互いに一人の人間として向き合っていた。
そこに居たのは、流動する政治に翻弄され続ける哀れな男たちだけであった。
本来憎しみ合い、殺し合う関係性などどこにも存在しないのだ。
(俺は、何をやっていたんだろう)
清雪は涙が溢れた。
人はこんなにも簡単に、一瞬で分かり合えるというのに、自分たちは何というおぞましき破壊行為に身を投じているのであろうか。
どんな状況でも尊厳ある選択はできるのだ。
勇気を振り絞り、誇り高い選択をしたあの米兵に敬意を感じずにはいられない。
清雪の脳裏をよぎったのは、師の教えであった。
幼い頃には理解できなかったが、今ならその在り方が見える。
自分だけが生き残るわけではない。他人を生かすだけでもない。
強靭な肉体と精神を以てして、自他を共に生かすという誇り高い選択。
それは活人剣に通ずる理念だ。
個人の想いで戦争は止まらない。
だがもしも生きて国に帰ることができたら、この瞬間を忘れず、この教訓の為に生涯を捧げよう。
清雪は日本を遠く離れた戦禍の孤島にて天啓を得た。
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道場に詰めかけた高弟たちは、御年七〇を迎える道主の演武に見入っていた。
木刀を取る姿は左足前、撞木足、手元は右寄りに据えられた中段構え。
今では見ることも珍しい合気剣術が披露されている。
合気道は対武器術であり、対武器術とは同じく武器を取ることが基本である。
本来は剣術、杖術、棒術とあらゆる武器術を内包しているものであるが、近年では社会倫理から武器術よりも柔術が重視されがちであり、「所詮は実用性のない演武である」と割り切って見学している者も少なくない。
対手の打ち込みを、足位置の入れ替えだけで掠らせてから右横面に袈裟を寸止めすると、道場内に感嘆の声が上がった。
型演武ではなく、実戦形式の講習は続く。
道主から仕掛けることはなく、後の先と横軸の移動を特徴とする剣戟に、対手は終ぞ一撃も入れることはできなかった。
道主の赤羽清雪は戦争体験を質問するテレビの取材陣にこう答えていた。
「そんなことを知ってどうする? 童貞がセックスの勉強を続けても童貞を卒業できるわけじゃないだろ、はっはっは!」
「はぁ……ですが、」
「言葉を残すことはできる。しかし、実体験が伴わない教訓を心底に落とし込める謙虚さは中々手に入るものではない。本当の意味で知りたいなら門弟になりなさい」
清雪は物事の本来の意味を説く。
故に争いの中にある暴力を否定はしない。
それを受け入れて制した上で、闘争でも逃避でもなく和解する道を見出す実戦武術、合気道赤羽派「成和館」。
彼の目指した「彼我を守る為の武術」は完成を迎えていた。