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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十話
148/224

【華麗】⑦

   ■■■




 撃剣大会会場に隣接するホテル。

 参加選手と関係者、及びメディア用に設けられた設備であるが故に、今や利用者よりも従業員の数の方が多い。

 予定されていた決勝戦も頓挫した為、もはや通常営業へと切り替える撤収が始まっていた。

 その最中、トーナメント中止を知っても尚、昼過ぎまでチェックアウトをしていなかった男がようやく部屋の扉を開いた。

 赤羽清雪である。


 赤羽が帰りを遅らせた理由は二点。

 一つは賞金の交渉であった。

 一千億円をチラつかせて死闘へと誘い、最後に興行自体を中止してご破算とするのは道理ではない。

 守銭奴と思われようが関係ない。

 全ての参加選手への侮辱に等しい詐欺行為だけは許せず、赤羽は交渉の末に非公開ではあるが百億円を手にすることとなった。

 これは決勝戦に進んだ小枩原泥蓮についても同様である。


 もう一つは単に人目を避ける為。

 合気の看板に箔を付けることは出来たものの、道徳や倫理を垂れる論客から横殴りに合う状況になっている。

 武術とは暴力性を売りにするものであり、残した結果と沈黙という威圧で合気の威厳を保つことはできる。

 しかし、またも赤羽の予想を超えて世論を動かしているのはインターネットであった。

 報道関係者にだけ注意していればいい時代ではない。全ての一般人がカメラを携え、情報の発信源になり得るのだ。

 もはや日常生活の行動や発言ですらも責任が付き纏う。

 今後は少しのボロも出さないよう静かに余生を過ごすことを余儀なくされていた。


「伝説、の責任か」


 赤羽は改めて言葉にしてから自嘲気味に鼻息を吹く。

 先導していた門下生の比良野(タスク)が振り返って師の様子を窺っていた。


「なんだぁ? 見世物じゃねえぞ。キリキリ歩けや」


 赤羽は右鎖骨の骨折で両肩にアメフトのプロテクターのようなギブスを装着している為、右腕全体の動きに支障が出ている。

 左手はだらしなく道着の懐中に突っ込んだまま、動かない肩の代わりに顎をしゃくって返事をした。


 比良野はいつもの態度が戻ってきた師を見て、満面の笑みを浮かべて歩を進めた。

 一時は遺書まで手渡された死闘であったが、それはもう過去の事。

 今や赤羽の強さに疑いはない。

 老齢を言い訳としない本物がここにいる。

 自分が残した結果ではないが、誇らしく思うことを押さえられない思いでいた。


 二人の男が向かうのはロビーではない。

 ホテル側の配慮でチェックアウトは既に済ませ、用意された裏口への通路へと向かっている。

 厨房を抜け、従業員控室を抜け、搬入用エレベーターで地下へと向かい、資材倉庫の迷路を抜けてようやくトラック用の搬入口へと差し掛かった。


 その時、


「逃げ切るのも一苦労だな、ジジイ」


 少女の声が倉庫内に響いた。

 二人の男は搬入通路の隅へと向き直り、声の主を確認する。

 肩まで届く黒髪、仄暗い双眸は照明が落とす影ではなく目元に掛かる隈である。

 少女は右腰に帯刀していた。


「おうよ。戦わずして勝つってな、昔から言うだろ嬢ちゃん。ありゃ楽するって話じゃないぜ? 見えないとこで勝つ努力、戦わない努力を必死にやってんだよ」


 比良野は異様な光景に危機感なく立ち竦んでいたが、即座に状況を理解した赤羽は即答を以てして時間を稼いだ。

 本来、決勝戦でぶつかる予定であった少女、小枩原泥蓮。

 彼女が何故ここにいるのか。

 備えていたが故に既に結論を出していた赤羽だが、その余りにもくだらない結論に大きく失望の溜め息を吐いた。


「なぁ」


 淡い照明の下、少女が口端を歪めて抜刀した。


「お前と私、どっちが強いんだろうな?」


 槍ではなく刀。

 武術は元より武芸百般。

 五輪書でも『得物の好みに偏らず、槍も長刀も弓も脇差しも知るべき』と語る。

 槍術家が剣術を研究するのは当然であり、技を知れば扱うこともできる。

 小枩原は狭い倉庫内で振り回すのに槍ではなく、刀を選んだのだろう。

 或いは何処かに短槍でも隠しているのだろうか。


 何れにせよ、赤羽の返事は既に決まっていた。


「ケケッ、んなもん決まってらぁ。今は俺のが圧倒的に強えよ」


 言うが否や懐中から引き抜く左手。

 握られている鈍色は南部十四年式拳銃であった。


「一度だけ忠告してやるがモデルガンじゃねえぜ。こいつは戦時中からずっと俺の相棒さね。見えない努力って言ったろ? ん?」

「……クソジジイ」


 積まれたパレットと段ボールが作る逃げ場のない通路。

 不意討ちではなく互いの認識を以て始まる戦いを想定していたのか。小枩原泥蓮は充分な距離を開けて赤羽と相対していた。

 立体的に動いたとしても数発、辿り着いたとしてもギブスを盾に更に数発撃ち込まれることを回避する術はない。

 付き添いの門下生だっていつまでも棒立ちのままとはいかず、明らかな劣勢に逃げることも飛び出すことも出来ず歯噛みしていた。


「古流? 剣術? 死闘? いつまでもごっご遊びにマジになってんじゃねえよ糞ガキ。俺ぁな、刀の時代が終わった後の戦場見てきてんのさ。この場は想像力の足りねえお前さんの負けだ」


 流暢に言葉を紡ぐ赤羽を見て、比良野もようやく理解が追いついた。

 赤羽は部屋を出る前からこの状況を想定していたのだ。

 不完全燃焼のまま終わる大会を良しとせず、場外の個人戦で決着を求める異常者への対策を携えて。

 何でもあり、ルールなど存在しない、とばかりに意気込んで襲撃してきた以上、相手が銃を取り出しても非難することはできない。

 師の感動的なまでの備えに感化され、比良野も懐から短刀を抜き放った。

 これで完全に詰みである。


 場を支配し、拮抗状態以上の優位を得た赤羽は搬入口のシャッターを持ち上げながら少女へ向けて言い放つ。


「おめえのお袋さん、死んだってな」


 返事は返ってこない。

 元より期待してはいないが、年長者としての責務の為に言葉を続けた。


「こんなところで辻斬りやってる場合じゃねえだろ。超が付く阿呆か、てめえは」


 外は大雨。

 跳ね立つ飛沫が路面を白く染めている。


 出入り口ギリギリで待っていたワンボックスカーに乗り込む間も、赤羽は照準を切らずにいた。

 小枩原の表情は見えない。

 古流の歪みを受け入れてしまった哀れな少女は、これからどんな人生を歩むのだろうか。

 救うべきかと一瞬考えるが、すぐその思いを否定した。

 もう少女を救う時間は残されていない。

 赤羽はまるでロウソクの火を眺めるように、自身の余命を感じ取っていた。

 火が消える瞬間に起こる最大の燃焼が終わろうとしている。

 死ぬのは怖いが、この命でやれるだけのことはやったつもりだ。

 少女を救うのはきっと別の誰かの役目だろう。


 赤羽は車のドアが締まり、雨中へと走り出す間も少女から照準を切らないでいた。

 その視線が、備えが、想いが、彼女の人生に一石を投じることを信じ、搬入口が見えなくなるまで銃口を向け続けていたのであった。




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