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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十話
147/224

【華麗】⑥

   ◆




 落とす刃を鎬や峰に返す選択肢もあった。

 斬撃に比べれば殺傷力は格段に落ちるはずである。

 だが鉄華は手加減をしなかった。

 剥き出しの真剣をそのまま全力で頭部に落とす。

 そうしなければ自分が死ぬことを悟っていたからだ。

 手の内の操作で刃を回転させる猶予、反りのある刃が裏返る僅かな距離、それらが冬川に反撃の機会を与えてしまう。

 心の何処かで懐疑的であった冬川の強さへの疑問が払拭された今、加減をする余裕など無い。

 その上で信じている。

 冬川亜麗ならば、即死の一撃を回避できる。

 剣戟が衝突する瞬間、フィジカル差の膂力で粘り負ける可能性を彼女が考えていないわけがない。

 ましてや右手の二指が折られた今、防御で競り合うなど愚策もいいところである。


 冬川の選んだのは回避でも防御でもなく、更に踏み込むことであった。

 鉄華の打ち込みを目視して反応したわけではなく、最初からそれが目的であったからこそ選ぶことが出来た最良の選択である。

 最良ではあるが、無傷では済まない選択。

 予想外の速度で迫る鉄華の【雲耀】に対応できず、頭部を逸れて鎖骨に埋まる刀身に死の感触を覚えた。

 されど冬川もまた、止まることはない。

 元より死の覚悟は済んでいる。

 遠心力の内側である剣の根本で斬られたくらいで止まるわけがない。

 粘り負ける剣を早々に手放し懐中のカランビットを引き抜く右手。小指と薬指を折られているが痛みは感じていない。


 鉄華も同じ選択をしていた。

 冬川が剣を手放し、柔術を無効化する短刀に活路を開こうとするのは必定。

 最小のダメージで懐に入り込まれた先を予想して刀から手を離している。


 素手対ナイフ。


 至近距離ならばナイフを持っている方が圧倒的に有利である。

 どんな技を修めようともたった一本の刃物がもたらす致命傷を避けることは出来ない。

 しかし、至近距離へと踏み込む僅かな時間には打撃格闘の間合いがある。

 格闘技の世界では柔術家が組み付きにくるのを打撃技で完封するスタイルは確立されている。

 そして一叢流ならば、打撃の間合いで使える刃が存在する。


 【荊棘】。


 突進しながら逆手のナイフをアッパーカットの軌道で持ち上げる冬川に対し、鉄華は上体から後方に倒れつつ最速の手刀を放っていた。

 その最中、冬川は手の平を広げる。

 カランビットナイフのリングに人差し指だけを残して回転させ、グリップ分の距離を延長して刃先を斬り上げた。

 それでも届かない。

 彼我のリーチ差は素手の鉄華の方が勝っていた。

 荊棘は冬川の眉間から左目蓋に掛けて深く切り裂き、吹き出す鮮血が片方の視界を奪っている。

 眼球の破壊には至らなかったが、割れて剥がれた薬指の爪が手刀の威力を上げていた。

 鉄華は眼の前数センチを掠めていくナイフの先端を眺めながら、初見の武器の使い方を分析していた。

 指一本で保持できる形状と刃渡りの長さは、おそらくは組技で掴むことも想定してのことだろう。

 軍隊格闘術のナイフファイトは軽く触れるようなタッチングから引き斬る動作が読み難い。

 柔術戦へ持ち込む前に無効化する為、鉄華は伸び切って中空を掻くカランビットを下から掴み、捻るようにしてグリップのリングに通る人差し指を折った。

 冬川の右手からナイフが滑り落ちるが、鉄華は左手の動きも見逃さない。

 ナイフが一本である保証など何処にもない。再び懐へ向かう手首を掴み自分の胸元へ引き込んでいる。


 鉄華が自ら倒れて地面に背が付いた時、勝敗は決していた。


 冬川の首には鉄華の右前腕が食い込み、奥襟を掴む左手で後頭部を押さえている。

 自由が利く冬川の左手は鉄華の左脇に、下肢は大腿部に巻き付いた鉄華の両足に挟み込まれて固定されている。

 柔道の片羽絞めの変形である【小手絞め】であった。


「冬川さん。ありがとう」


 鉄華は宿敵の小さな体躯を全力で抱きしめながら耳元で囁いた。


「私も貴方を信じるから……タップしても絞め続けるよ。死なないでね」


 不殺という傲慢はもう存在しない。

 冬川亜麗が求めたのは春旗鉄華の全力であった。

 技も策も全て出し切って戦った末に敗れるのならば何の後悔も憂いもない。

 鉄華は逆の立場でも同じ思いであるという確信を持っている。

 だからこそ、絞め技を緩めない。

 身を捻って抵抗する冬川が徐々に動かなくなっても、タップしても、それが演技でないとは言い切れない。

 全てを尽くす戦いに不殺という結果があるとすれば、ただの偶然でしかないのだ。


 冬川が藻掻く度、眉間から吹き出す血液が鉄華の口元を染めていく。

 鉄の味。鉄の匂い。

 顔は血塗れ、身体は土塗れ。

 おおよそ華麗とは言い難い、泥臭い決着の瞬間。


 鉄華は腕の中で気絶した冬川を確認してから、靄がかる脳内の倦怠感に身を委ね意識を手放していった。




   ■■■




「どうです? 容態は」


 警察の事情聴取が終わった後、病室に残った白衣の男が話しかけてきた。

 その下卑た笑みを視線で追いながら滝ヶ谷香集は無言で笑みを返す。


「実のところ、もう動くことはできるんじゃないですか? 滝ヶ谷さん。全身麻酔効いてなかったでしょ? 珍しい症例ですね」

「……」


 普通の日常生活で違和感を見せることは殆どないが、手術を施した当人ならば幾らか気付く瞬間はあるのかもしれない。

 相手にするのも煩わしいが、治療してくれた医師を無下にする訳にもいかず、ただ薄く笑みを乗せて返事する滝ヶ谷であった。


「――で、どうだった? 人を殺した感触は?」

「……」

「黙ってちゃわかんないよ香集ちゃん。三人もぶっ殺したんだから感想の一つくらい言っておかないと。無痛症だからって何も考えてないわけじゃないんだろ?」

「……貴方は、何者ですか?」


 急に口調が砕けた医師に、滝ヶ谷は笑みを崩さず質問を投げかけた。

 予想の範囲内ではあるが、ここまで早く現れるとは思っていなかっただけのことである。


「俺? 俺なんかを知っても意味ないよ。問題は今、香集ちゃんがブタ箱送りにならないようにしているのはどこの組織なのか、ってことだな」

「そうですね。あの犀川という男の代わりが必要になりましたか?」

「お、すげっ。そこまでちゃんと分かってるんだ」


 殺人者、犀川秀極を保護し実戦の場を与えていた組織があるのは明白。

 糸を垂らして早々に食い付いてきた阿呆へ向けて、滝ヶ谷はより一層笑みを深めた。

 眼の前の男一人殺すことなど造作もないが、今はまだ忍耐を持って情報を引き出さねばならない。


「怖いねぇ。そろそろ殺人慣れしちゃった感じかな? 俺の分析だと君は君なりの正義を執行しているように思えるんだけどな。最初の殺しも含めて、ね」

「……」

「八雲會と言ってね、犀川みたいな折り紙付きの異常者集めて殺し合わせる地下闘技があるんだよ。これって香集ちゃん的には由々しき事態じゃない? 撃剣大会みたいに偶に表社会に出てきて賭け事おっ始めるんだから迷惑極まりないよね」


 地下闘技とは都合がいい。

 当初殺し屋の派遣業のようなものを想像していた滝ヶ谷は、想像以上に大規模なシステムと興行の存在に安心する思いがある。

 これから殺すのは無実の一般市民ではなく関係者だけでいいのだ。


「俺は医者として本来十分稼げる地位にいるんだけど、暴力には抗えないか弱い一般市民でしかない。八雲會に所属するメリットなんて何もないんだ。だからもし、香集ちゃんがその気なら共闘できると思うんだけどな。どう?」


 医師の提案が意味するのは八雲會の破壊である。

 滝ヶ谷はそれが嘘であることを見抜いていた。

 間違いなくこの男は八雲會の利益を享受する側である。

 滝ヶ谷香集という人物像を分析し、利害の一致を以て闘争の理由を作ろうとしているのだ。

 その稚拙な誘いに殺意が抑えきれない滝ヶ谷は、


「――そうね。貴方がその気なら私ほど使い勝手のいい存在はいないと思うわ」


 砕けていない左手を差し出して提案に乗ることにした。

 そして、医師の男が手を握り返した瞬間、人外の腕力で引き寄せて男を自分の上に乗せた。

 滝ヶ谷は眼の前で青ざめる男を十分に観察してから囁きかける。


「ただ、どうしようもなく身体が疼くのよ。お医者さんなら鎮め方は知ってるでしょ?」

「……は、ははは、もちろんさ。まさか俺の方が報酬を貰えるとは思ってなかったよ」

「報酬? いいえ。これは契約。共闘するなら何もかも知っておく必要があるわ」

「確かに、君の言う通りだ」


 言葉を紡ぐ口が結ばれ、吐息と唾液の交合が始まる。

 医師の男は病み上がりの相手を気遣うことなく、乱暴に着衣を剥ぎ取っていく。

 滝ヶ谷はこれから始まる人生、殺戮という大掃除を想像し、火照る四肢を蛇のように絡ませた。




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