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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十話
145/224

【華麗】④

   ◆




 眼球の粘膜に交じる異物感で大量の涙が溢れ出るが、それでも目蓋を開くことはできない。

 命を懸ける覚悟と身体反射は別物であることを鉄華は思い知った。

 幸い極度の緊張で痛みは感じていない。

 涙で滲む視界の中、冬川の行動を予測しようと努めていた。


 鉄華の選択肢は後退一択。

 どのような意図を持った技であろうとも間合いの外へ出れば意味を成さない。

 不玉の教え通りに読み合いの拒否を狙う、が問題がある。

 視線の先に冬川の像が捉えられない。

 はっきりとした輪郭は見えなくとも動く何かは見えて然るべきはずなのに、不自然なまでに何も無いのだ。

 暗闇の場内とは言え、互いの目は闇に順応している。

 身長差を考慮しても小さすぎて見えないことなどない。


 結論に到達しかけた瞬間、鉄華は勁草による後退ではなく、地を蹴って跳躍するバックステップに切り替えていた。

 その足裏スレスレに横切る刀身を感じ取って安堵する。

 冬川は地に伏せるようにして足首を斬り落とす横薙ぎを放っていた。

 柳剛流の脛斬りよりも更に身を屈めた体勢。

 剣術の範疇というよりは草むらに伏せて奇襲する忍の技である。

 大会で不玉が何度も見せた運足なのだから警戒していないわけがないが、もはや剣道の面影もない攻防に――鉄華は笑みが溢れていた。


 何でもあり。

 刀剣操作にルールも作法もなく、相手を斬れるのであればどこを狙い、どのように振ってもいい。

 本来の闘争とはこうなのだ。

 剣道で防御法が無い部位を狙う。相手の死角へと積極的に踏み入る。怪我や癖があるなら躊躇なく斬り込む。

 両者共に、それらが許容される場で生き残るための武術へと進んだ。

 共通する価値観を改めて感じ取って笑う鉄華は、バックステップから更に勁草による後退へと繋げる。

 視力は未だ回復せず。しかし地に伏せる体勢から繋げる技は想定できる。

 そして鼻先数センチ前を通り抜ける斬り上げが想定の正しさを証明していた。


 鉄華は冬川が斬り上げで居着いてであろう瞬間を狙い、八相からの袈裟斬りを振り下ろす。

 重さという点で枇杷の木刀と真剣は釣り合っている。

 避けられないタイミングで頭部を狙われれば防ぐしかない。それも剣道のように右手を掲げた斜の刀身で受けることになる。

 となれば、冬川の選択肢は限られている。

 木刀をまともに受けて刀を曲げられる可能性があるのならば使うしかない。

 擦り上げ面。

 彼女が得意とする剣道の秘奥。刺し面の挙動が相手の剣勢を殺す防除機能を有している。

 だが鉄華の方も技の粘りは昔日のものではない。

 衝突の瞬間は互いの意地の張り合いになる。

 あの日からどれだけ成長したのかを確認する一撃。


 鉄華は迷わず木刀を手放していた。

 意地の張り合いとは聞こえがいいが、万が一粘り負けた場合続く防御が存在しない博打である。

 視界が効かない状況で冬川を再度引き離す選択もありえない。

 だから、踏み込む。

 不玉が常日頃そうしたように、木崎三千風が試合で見せたように、待つのではなく自ら柔術の圏内へと踏み込んだ。

 身を屈めて踏み込む頭上で真剣と木刀がぶつかる音が聞こえる。

 冬川も鉄華の巨躯が重力に引かれて視界から消えたことに気付いただろう。柄頭を落とそうと刺し面の軌道を歪めているだろう。

 しかし間に合わない。

 真剣を掴む冬川の両腕の間へ鉄華の右手刀が差し込まれる。

 鉄華に貫手を実行する練度はないが、至近距離で眼球を狙う指先を向けることに意味があると考えていた。

 当然、冬川なら反応できる。

 充分に余裕を持って首を逸らす動作で貫手を避けていた。

 同時に空を切る貫手の前に、冬川の奥襟が差し出される。

 ここまでくれば不自由な視界の中でも技の精度は鈍らない。

 冬川の奥襟と右袖を引き込みながら鉄華は強く息を吐いた。

 飛びつき三角絞め。

 冬川の首に右足を巻き込んだ瞬間、小さな体躯は重さに耐えきれず地に引き込まれた。

 柔術距離で邪魔になる真剣も手放している。

 これで終わりかと思えた鉄華であったが、反応は冬川の方が速かった。

 彼女にとっては守山流の道場で一度見た技であるからだ。

 対策は研究済みとばかりに首を回すように身を捻り、背を反らして脱出しようとしている。


 だが、それは鉄華も読んでいた。

 冬川が対策していることを信じているからこそ、不玉と同じ技を同じタイミングで使ってみせた。

 右手で冬川の左袖を掴みながら、左側頭部から巻き込んだ右足を右側頭部へと移動している。

 左手で冬川の右足を払い、両足で挟み込んだ右腕へと体重をかけて伸し掛かる。

 そのまま身体を起こせば足を支点にして相手の肩と肘を背中に折り曲げる関節技【オモプラッタ】になる。


 冬川は、耐え切っていた。

 引き込まれる左手を地面に付けて、右腕に掛かる鉄華の体重を支え切って回転を止めていた。

 オモプラッタもまた不玉に掛けられた技である。

 一度見ただけの技であろうとも徹底して対策行動を身に染み込ませている。

 体勢を立て直しつつ鉄華の側腹に狙いを定めて膝を突き出していた。


 予想外ではあるが未だ想定内。

 柔術戦になればフィジカルだけで圧倒できるものだと高を括っていた鉄華は最後の選択肢へと移行していた。

 体重を掛けていた両足を反転させて振り上げる。

 勢いのままに後転へと繋げる最中、冬川の右腕は両手で保持しつつ小指を持ち上げて指折りを敢行。

 触れる小さな手の平。

 よく鍛えられているがこれ程の体格差を御して戦いを挑む相手に惜しみない敬意が湧いた。

 小指だけを掴んだつもりの鉄華は、一緒に持ち上げてしまっていた冬川の薬指も纏めて外側へ開いて捻り折る。

 小枝を折る感覚に似た手応え。これでまともな刀剣操作はできない。

 後転を終えた鉄華はそのまま両足を冬川の上に落とし、保持する右腕を自分の骨盤の上から胴体に伸ばした。

 腕ひしぎ十字固。

 完全に極っているが、冬川がギブアップしないことは分かっている。

 死ぬことはないが戦いを続行できなくなる程度の損傷。

 何を以て冬川の救いになるのかは分からないが、死闘の幕切れとしては悪くはない。

 鉄華は冬川の手を握りしめ、骨盤を梃子に体重を預けていく。



 その瞬間、暗闇の世界が凄まじい光量で白色へと塗り潰された。



 薄目で見ていたぼやけた視界が爆発したように煌めく。

 反射的に目を瞑るが、目蓋すら透過してくる輝きに鉄華は顔を背けてしまう。

 急激な光量変化は照明装置によるもの。

 だが天井の照明は急に再点火できるようなものではない。

 答えはテレビの演出用に別途用意されたスポットライトである。

 冬川は遠隔でオンオフできるスイッチを持っていて、有効な圏内まで鉄華が移動するのを待っていたのだ。

 つまり、二度の後退から柔術で組み付くことまで冬川の意図の中にあったことになる。

 もしかしたら柔術の攻防内容まで詳細に想定し、指を差し出すところまで覚悟の上で――、


 遅かった。

 何もかもが。

 鉄華は数メートルも跳ね上がる自身の鮮血を眺めることすらできなかった。


 出血の源流は大腿部。

 添えられた冬川の左手には、湾曲した短い刀身が逆手に握られている。

 東南アジアの武術で使われる近接武器、カランビットナイフであった。




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