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どろとてつ  作者: ニノフミ
第三十話
144/224

【華麗】③

   ◆




 怒りが思考を埋め尽くし、視界を赤く染める。

 狙うは華窮たる体当たり。

 中学剣道時代、幾度となく冬川を跳ね飛ばしてきた体当たりだが、技として昇華したそれはもはや昔日の比ではない威力を内包している。

 冬川は今だ抜刀せず。

 戦いの合図など存在しないが、師を侮辱した瞬間に始まる覚悟くらいはしていて然るべきだ。

 そうでないならば何もできずに終わればいい。

 

 一方で、何度も繰り返す師の言葉が心底を穿つ。


 そこに一閃。

 横薙ぎの光刃が奔る。

 鉄華は咄嗟に踏鳴で地面を打ち、突進の勢いを止めていた。

 迷いのない居合。

 大会参加者と遜色ない驚異的な速さ。

 冬川は何の躊躇もなく鉄華の頸部を狙っている。

 踏み止まった位置に剣尖が届かなかったのは、冬川自身まだ真剣操作に慣れていないことを顕にしていた。


 日本刀というものは思いの外短く、大太刀と呼ばれるものでようやく竹刀に近い長さになる。

 冬川が抜き放った刀身は約七十センチ。柄部を入れてようやく一メートルに届く程度の代物である。

 当然刃には反りもあるので、真剣の一足一刀の間合いは剣道より狭くなるのだ。

 初撃のミスは両者に染み付いた剣道経験を修正し直す猶予を与えていた。


 同時に鉄華はいくらか冷静さを取り戻す。

 殺しに来たのではない。

 どんな言葉を投げかけられても目的を歪めてはいけない。

 本当に殺したいほど憎いのなら真剣を拾うべきだがそうはしなかった。

 無意識下で選んだ行動を遵守するべく、木刀の柄を握り直す。

 そして気付く。

 手の内は汗で滑り、小刻みに震えている。


 ――怖い。


 敢えて向き合うことを避けていた感情が堰を切ったように流れ始めた。

 ハンデ戦などというレベルではない。自殺行為に等しい立会いにさえ思える。

 泥蓮と戦った一ノ瀬はどうやってこの心理障害を乗り越えたのだろうか。

 鉄華は恐怖心を隠し、間合いを測りながら木刀の有利を考えていた。


 鉄華の木刀は不玉から譲り受けた枇杷の木刀である。

 当初は冬川が置いていった黒檀の木刀を持ち込む気でいたが、黒檀は硬いだけで粘りが効かない木材だという不玉の指摘を受けていた。

 あの雨の日の立会いは得物の材質ですら選ばされていたのだ。

 冬川はそこまでやる。

 この場所を指定したことも彼女なりに策を講ずる一環なのかもしれない。


 だが何もかもが後れを取っているわけではない。

 古流を知った今、鉄華は自分の有利を冷静に理解できている。


 かつての巌流島。

 宮本武蔵は佐々木某との戦いに於いて、長刀に対抗すべく船の櫂を武器として選んだという有名な逸話がある。

 得物の長さが距離という安全性を保証することは疑いようもなく、腕のリーチも冬川よりも鉄華の方が圧倒的に長い。

 刃物の殺傷力は無視できないが、冬川の一足一刀は二メートル程度であるのに対して鉄華にはもう一メートル程の余裕がある。

 更に打突後の近接距離は一叢流の間合いである。

 華窮、蔦絡、梏桎、荊棘。対剣術としての柔術をフィジカル差と共に押し付けることができる。


 ――私の方が有利だ。


 真剣の一足一刀を維持したい冬川よりも選択肢が多い。

 鉄華は僅かな瞬間に確かな理詰めを根拠として恐怖を克服していた。

 問題はその先。未知の技にどう対応するかに掛かっている。


 抜刀した冬川は昔日と同じく低めの中段、足は撞木置きで構えている。

 中段から一挙動で放つ突きと、相手の打突に反応し摺り上げ技に変化する刺し面を得意としている。

 今の鉄華ならどちらの技でも初動を八相からの合撃打ちで潰す自信はあったが、冬川がそれを警戒していないわけがない。

 プライドを優先して再度得意技をぶつけ合わせるか、はたまた新たな応じ技へと変化するか。

 明確な答えが出ないまま、鉄華は視界の先の初動を捉えていた。

 正確には初動の少し後をようやく目視できた。


 恐らくは、膝抜きからの前傾姿勢。

 瞬間、速さに自信のある冬川が運足技術を修得していることを悟った。

 予想はしてはいたが想像以上に厄介な速度。

 行動の起こりがまるで見えない。


 それでも鉄華は向かい来る剣尖に対して袈裟斬りを振り下ろしていた。

 ほとんど反射的に身体が動いたのは、何度も間近で不玉の勁草を目視していたからだ。

 不玉との対峙。

 全てが師の血肉で出来ている事に感謝の念を覚えつつも、心裏で違和感を感じていた。

 八相からの袈裟斬りは確かに冬川の未来を斬るタイミングで放たれていたが、もしこれが不玉ならば難なく看破し慣性を無視した軌道で避けてしまうだろう。


 その僅かな警戒が――鉄華の命を繋いだ。


 理解に時間が掛かった。

 跳ね上がる冬川の刀身と、遅れてやってくる熱でようやく鉄華は斬られたことを認識した。

 部位は右前腕、手首の裏側の表皮を撫でられた程度。

 出血も大したものではない。

 しかし咄嗟に手元を引いていなければ腕を斬り落とされていただろう。

 背に氷柱を埋め込まれたかのように寒気を感じていた。


 冬川は飛び出す運足を踏鳴で押さえつつ左方へ転身し、下段に垂らした刀身を斬り上げていた。

 鉄華が感じた驚異は腕を斬られたことでもなければ、冬川の反応速度でもない。

 前進する晦ましからの小手裏斬り上げという技。

 鹿島新當流【一ノ太刀】。

 冬川の使った技から鉄華はいよいよ考えないわけにはいかなくなった。


 ――篠咲の玄韜流とは一体何なのか?


 示現流かと思えば柳生新陰流の組太刀も披露する。

 そして弟子たる冬川は鹿島新當流の技を使う。

 流派の垣根を越えて技を修得する玄韜流の在り方は既視感を伴う。

 鉄華の記憶にある祖父の型そのものであるからだ。


 春旗鉄斎と篠咲静斎。

 あらゆる剣術流派を網羅し、その後自分だけの型を構築する手順を以てして守破離を達成する、それが両者に共通する思想のようだ。

 師である守山蘭道の教えがそうであったのだろう。

 あらゆる技術が開示された現代に於いて、守山の手順が格段に効率化されるのは言うまでもない。


 途上で剣を置いてしまった鉄斎とは違い、終生殺人術を最適化し続けた静斎。

 殺さない為に木刀を持つ鉄華は、現代で最も凶悪な流派の遣い手と向き合っている。

 冬川は何処まで到達しているのであろうか?

 速さという武器に見合う器を見つけたのだろうか?


 不玉は彼女を救えと言ったが、鉄華にはもはや死の呪いのようにすら思える。

 ほんの一撃で全てが覆る死闘でフィジカル、リーチ、技の選択肢、それが多少上回ったから何だと言うのだ。

 活人剣とは自他を生かすことであり、ただの自己犠牲を指しているのではない。

 両者生存の次点は、自分だけが生き残ることである。

 逃走を選ぶことなく踏み込んだこの場で、何を以て救うなどとおこがましい態度でいられるのだろうか。

 ルールも審判も医療スタッフも観客も何も無いというのに。


 ――今すぐ答えを出さなければ死ぬ。


 殺意を制するのは同じ殺意か、圧倒的な実力差だけ。

 鉄華の目の端に祖父の刀が映る。

 その僅かな感情の居着きを狙ったかのように、冬川の蹴り上げた地面の土が鉄華の視界を奪った。




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