【華麗】①
ぴっ。
「……社の発表では、今回の機器の誤動作はファームウェアの不具合であって、一部で噂されている宇宙線や磁気嵐の影響に関しては否定しています。近日中に修正パッチを配布するとのことです。次は週末の天気予報です。気象予報士の谷崎さん」
「はい。えー、ご覧のように全国的に雨空が続いておりますが、気象庁の発表によりますと週明けにかけては天気も回復し始め、九州南部と沖縄で晴れ模様が見られるでしょう。最高気温も例年と比べ二度高く、暖冬の気配が強まっていると」
ぴっ。
「……ですね。一時はどうなることかと思っていましたが、再来月中旬には太陽活動周期も収束を迎える模様です」
「そのようですね。所謂デリンジャー現象も予想を遥かに下回るスペクトルゲージを示していまして、当初予想されていたネットインフラへの影響は皆無であると言えます。週末には珍しく黒点のない太陽を観測できるようになると」
ぴっ。
「この長閑な山中の町に衝撃が走った。カルト教団『シロ教』。密阿弥と呼ばれる教祖をトップとした異質な教義。独自の自治体制の中、麻薬栽培から殺人に至るまで、数々の犯罪行為に手を染めてきた彼らが何故、今日に至るまで存続できていたのか。その真相に迫るには、まずシロ教の成り立ちから解明する必要がある。時は戦国時代、山岳信仰を中心とした修験道に端を発する」
ぴっ。
「だからジョー、この『マッスルプロテクトメーカー』を使えば一日たったの二十秒のエクササイズで理想の体型になれるのさ。簡単だろ?」
「なんてことだマイケル、信じられないよ! なんでこんな素晴らしいものを今まで教えてくれなかったんだ! 僕が今までジムに通い続けた時間と費用は一体なんだったんだ!」
「ハハハ、お気の毒様だねジョン! しかもこいつはそれだけじゃないんだ。こうして折りたためばベッドの下にらくらく収納でき」
ぴっ。
「……続いてのニュースです。四日前から幕張で開催されている格闘技興行『平成撃剣大会』ですが、当該運営に当たる撃剣武術振興協会は昨夜未明、正式に興行の中止を発表したとのことです。以前から安全配慮に関して指摘されていた興行ですが、三日目の最終試合においてとうとう死傷者を出す事故が起きてしまった件で警察関係者からの指導が入ったとのことです。協会もこれを厳粛に受け止めるとの声明を続けています。スポンサー企業各社は取材に対し未だ沈黙を貫いており、蹉跌をきたす対応を迫られているようです。またインターネット上では試合の模様を収めた動画も出回り、SNS等を通じて多くの批判の声が上がっています。この件に関してインターネットウォッチャーのアットマーク中橋さんはどうお考えでしょうか?」
「いやね、私も映像の方を見ましたけど、端的に言って野蛮極まりない。これが現代人のやることかと呆れる思いがありますね。もうね、馬鹿じゃないかと。参加選手は覚悟の上かもしれませんが、残された家族がどう思うかちゃんと考えていたのでしょうか。現在剣道の競技人口は国内に約二百万人いるとのことですが、その多くは学業としての部活動に所属する子供たちです。彼らがあのような大会を目にしてどう思うかの配慮が」
ぴっ。
大会施設付属の病院。
その最上階には案内板にも存在しない区画が存在する。
通路は侵入者を拒むように入り組み、扉は厳重なセキュリティで管理されている。
本来は病院にとっての重要案件、大物政治家等のセーフハウスとして存在する部屋である。
個室内でくつろぐ能登原英梨子はベッド脇のサイドボードにテレビのリモコンを投げ出した後、安堵の溜め息をついた。
秘書課長の舞園はよくやってくれている。
トラブル続きの興行は終わりを告げたが、大会の裏にある闇賭博や政治家の収賄は未だ表沙汰になっていない。
本家も抑え、警察の介入も現在進行系で進んでいる中、最悪を回避する折衝を巧みにこなしてくれていた。
篠咲の治療も適切に行われ、シロ教は瓦解の一歩を辿り、実行犯たる小枩原不玉も死に絶えた。
何もしていないのにいくつかの標的が消えていることには笑みが抑えられない。
こうして病室のベッドから指示を飛ばすだけというのも悪くないと思える。
残るは木南一巴、小枩原泥蓮、密阿弥、由々桐群造、名前は分からないが暴走した公安部隊の隊員。
十分な準備した上でこちら側から仕掛けるなら女子高生連中はもう死んでいるようなものであり、そう思うだけで少しは溜飲が下がる。
しかし、緊急性を考えるならば何に置いても由々桐だけは早急に確保しなければならない。
麻酔で痛みが緩和されたことにより思考まで楽観的になってしまっていることを戒めるように、親指の爪を噛み始めた。
その最中――携帯の着信音が鳴り響く。
秘書からの連絡を期待した能登原であったが、画面に映る名前を見て怪訝な表情を浮かべる。
冬川亜麗。
そういえばもう一人煩わしい人間がいたと思い出しながら、通話のボタンを押した。
「何か用かしら?」
『大会が終わったのだから会場は使わせてもらうわよ』
「どうでもいいわ。秘書に話は通してあるから勝手になさい」
『そ。ありがとう、能登原さん』
言葉通り、子供同士のじゃれ合いなど心底どうでもいい。
春旗鉄華の立ち位置は未だ曖昧。一叢流に所属しながら篠咲を救う一助にもなっている。
殺すほどではないが消えてくれて何ら問題はない。
冬川も同様だ。
以後篠咲に付き纏わないことを誓約しての決闘だから容認しているに過ぎない。
どんな結果になろうとも興味はないが、できれば両方死ぬように戦いで使う真剣も用意している。
最後に念を押す意味で能登原は言葉を続けた。
「もう二度と私達の前に現れないでね。おチビちゃん」
『約束は守るわ。まぁ、貴方が消える方が早いでしょうけど、化けて出ないでね。さようなら』
最後まで小憎らしい態度のクソガキの相手をした後、能登原は通話の切れた携帯を眺めながら、暫し彼女について考えを巡らせる。
冬川はどこまで知っているのだろうか?
篠咲に師事し、大会施設の出入りについても篠咲と同じくらい自由だった少女。
もしかしたら小枩原不玉の決闘を手引きした可能性すらある。
とは言え優先度は変わらず、全てが終わって暇な時にまた考えればいいと結論して、サイドボードのティーカップを持ち上げた。
平穏な時間が緩やかに流れていく。
いつからだろうか。
無能の親族を見返す為に走り続けた人生。
真実の愛を掴む為に捧げた時間。
意味もなく立ち止まって怠惰を愉しんだことなど一度もない。
しかし今は必要なことだと理解できる。
こういう緩急が予定調和な生活に刺激をもたらし、生きる意味を感じることもあるのだろう。
昨夜までの地獄の時間も、これから始まる愉悦をより甘美なものに変えるスパイスだと思えば愛おしく思える。
どんな殺し方がいいかしら。世界中の拷問具を試してから生首を剥製にして保存しようかしら。
思いは尽きない。
再度ティーカップを持ち上げようとするタイミングで、インターフォンの音が鳴り響き思考を遮った。
定期検診の時間だ。
カメラに映る見慣れた医師の姿を確認した能登原は扉の施錠を解除した。
「おはようございます。容態は如何ですか?」
白衣の男が二人の看護婦を従えて入室してくる。
能登原が出資する病院の、最も腕のいい信頼できる医師。
全てが思い通りになる場所に帰ってきたことを実感し、改めて笑みを浮かべた。
「悪くないわ。装具士に義指の手配をしておいて」
「既に済んでいます。午後にサイズを測りに来ると思いますよ。念の為壊死がないか足の方から確認させてもらいますね」
付き従う看護婦が手際よく包帯を外していく。
穏やかな時間にそぐわない痛々しい傷跡が顕わになるにつれ、能登原は急速に心が冷えていくのを感じていた。
「確か、シロ教の教祖がICUにいたはずよね」
「ええ。肺区域の切除手術は成功しています」
「そう……なら塩化カリウムでいいかしら。原因不明の心停止として処理しなさい」
「……」
「私達の安全の為よ。貴方も含めてね」
「然るべく」
三者とも裏の顔も含めて能登原の管轄下にある故に、殺人の指示に抗議する者はいない。
シロ教は狂信者の集団である上、そこそこの蓄財を持っていることが問題だ。
だが彼らを束ねているのは代々資産を受け継いできた宝生家であり、法の介入を許してしまった今トップの空白を埋める余力は無いだろう。
密阿弥の復帰という緩急を与えることなく解体するのが望ましい。
できるだけ苦しめて殺す愉悦はあくまで副次的な目標。
徐々に冷静さを取り戻してきた能登原は由々桐の行方について熟考を始める。
その時、潰れた足先を触診する医師が口を開いた。
「能登原さん、組織とは一つの生命体です」
「……はぁ?」
「個人は全体の為に尽くす必要がありますが、全体が個人を慮ることはありません。体内に流れる赤血球や白血球の一粒を憎む人などいないようにね。しかし稀に、全体を食い荒らし乗っ取ろうと変質を遂げる一粒が現れる。そんな時、個々の細胞は伝令を受け取り総意として足並みを揃えるのです。いわば免疫ですね」
「何の話?」
「悪く思わないでくださいね。これはあくまでも総意ですから。我々、八雲會の」
突如視界が翻り、能登原は天井を見上げていた。
いつの間にか両脇に回り込んでいた看護婦が全身を押さえ込んでいる。
理解が追いつかない。
――彼らが八雲會? 何故? 買収? 免疫? 何が?
混沌とした思考の断片を繋ぎ合わせ、八雲會の名簿漏洩と日馬、犀川の死亡の責任を背負わされたことに気付いた能登原の目に、医師が取り出した注射器が映る。
中で光る透明の液体がレンズのように蛍光灯の光を凝縮して輝いている。
その液体が塩化カリウムであることを理解するのに、然程時間はかからなかった。