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どろとてつ  作者: ニノフミ
第四話
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【怨嗟】⑤

   ◆




 雨傘代わりに移動した木陰で一巴は鉄華の手当を終えていた。


「止血パッド貼ったからもう大丈夫っすよ。おでこは皮膚が薄いからどばーって出血して焦っちゃうんすけど割とすぐ治るもんです。頚椎も問題ないっすけど一応病院行ったほうが良いかもね」


 鉄華は虚ろ目で一部始終を見ていた。

 思考が混濁していく。

 自分を圧倒した冬川ですら泥蓮の前では話にならない。

 一体どれほどの時間を費やし、どれほどの鍛錬を積めば届くのか全く想像できなくなってしまった。

 夏までには追い付くと値踏みしていた見識の甘さを思い知らされた。


「もういいだろ、帰るぞイッパ。ぶっ壊れた長靴、部費で買い直してくれよ」

「えぇ……自分で壊したんじゃないっすか」


 破れた長靴を拾い上げながら泥蓮は何やら悪態をついていた。

 突如現れた二人は、何事もなかったかのように帰ろうとしている。


「待って……待ってください……」


 ようやく力が入るようになった下肢を持ち上げて、鉄華は立ち上がった。

 息はまだ過呼吸気味だが整えるよりも先に聞かなければならないことがある。


「あ? お前みたいにでかい奴運べねーからな。自力で帰れよ」

「……私は、どうすれば、…………どうすればもっと強くなれるんですか? どうすればデレ姉みたいに」


 言い終える前に左頬が歪み、大きな破裂音を上げた。

 目視できない程の速度で衝撃を与えたのは泥蓮の平手打ちであった。


「なぁ、一体何なんだよ、お前は?」


 通り過ぎた手が開掌のまま往復で飛んできて鉄華の眼を打つ。

 打たれた箇所を押さえる暇もなく次打が鳩尾に刺さり、横隔膜が肺を持ち上げて「がぁは!」と嗚咽が漏れた。


 一巴は止めない。

 飛び交う暴力を無表情で見守っている。


「平々凡々と地味に暮らしてりゃいいじゃねえか。つまんねえ人生でもたまに楽しいだろ? えぇ?」


 大腿部に膝蹴りが刺さり、痛みで崩れ落ちそうになったところを襟首を掴んで引き起こされる。

 滲んだ視界を拭うとすぐ目の前に泥蓮の顔があった。


「弱いお前が何故戦う!? 何故逃げない!? 自分に限って死ぬことなんてないと思い込んでるのか!?」


 投げかける言葉は次第に怒気を帯び、罵声に変わる。

 

「そんなことあるわけねえんだよ! 準備も覚悟もなく興味本位で死地に飛び込むクソ馬鹿がお前だ! 聞いてんのか、おいっ!!」


 鉄華は襟を掴まれたまま木の幹に押し付けられた。

 首元が締められて呼吸がままならない。

 

「死んでしまったら後なんて無いんだよ。テレビの電源切るみたいにな。お前が死んで何か残したとしてもそこにお前は居ないんだ」


 春旗鉄華は弱い。

 悔しくて涙が止まらない。

 剣道という道を逸れれば、或いは剣道を続けていたとしてもいつか向き合う現実だったであろう。


 泥蓮の頬を伝っていく雨水が、涙のようにも見えた。


 何の責務も無いのに助けてくれた。

 何の義理も無いのに怒り叱責する。

 本気で哀れんでいる。

 本気で心配してくれている。


 それでも、鉄華は譲れない。

 譲れないのだ。

 その理由を言葉にする術は持たないが、本能が諦めることを否認する。


「……デレ姉、私は死にませんし諦めません。どんなに時間がかかっても必ず追い付きます」


 鉄華の襟首を掴む手が緩められる。

 半歩離れた泥蓮はその場で反転し、後ろ足で挿し込むように鳩尾を蹴った。

 だが、今回は鉄華の防御が間に合う。


「怖くないのか? お前いつかその性格が原因で死ぬぞ?」


 泥蓮は警告を続ける。

 鉄華の中にある得体の知れない何かにではなく、理性に問いかける。


「怖いですよ……怖いに決まってるじゃないですか! 漏らしちゃうくらい怖かったですよ!」


 顔に飛んでくる前蹴りを前腕で受け流しながら鉄華は叫んだ。 


「でも馬鹿だから仕方ないじゃないですか! 逃げるくらいなら馬鹿のままでいいんですよ!!」


 矛盾する価値観は限界を迎えていた。 


 平和に、普通に生きていくことへの憧れが、ただの自己欺瞞だと気付いてしまった。

 社会のルール、道徳、倫理、良心、理想で抑えつけていた感情が堰を切って流れ出る。

 それは剣を握るよりも、祖父が死ぬよりもずっと昔に根付いた原初の記憶に由来する。


 鉄華にとって、降りかかる恐怖から逃げることは死ぬことと同じであった。


「何なんですか! 寄ってたかって逃げろだの諦めろだの! 未練だの良心の呵責だの! 私の何が誰に分かるっていうんですか!! ……ううっ うっうっ……」


 少女の叫喚は雷鳴に消え、号泣は雨に流されていく。

 雨脚は激しさを増すばかりだ。


 泥蓮はもはやかける言葉も尽き、一巴を一瞥した後、境内を後にした。

 しばらくその場に留まり鉄華を見ていた一巴も、無言で去っていった。


 一人取り残された鉄華は、為す術無く赤子のように泣き続けるのであった。


 


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