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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十九話
139/224

【喪失】④

   ◆




 視線、気迫に宿る殺意は純度を上げた。

前試合の結果を引き摺る心のタガは外れたように見える。

 しかし、わざわざ息を切らして弱みを晒したのに襲いかかってこないのは減点。

 ある程度怯えてみせる演技まで用意していた犀川は小さく舌打ちした。

 殺人者の矜持としては今だ未熟。

 それでも結果としては概ね満足している。


 誰にでも初心はあり、悪行と分かっていてそれを実行するのは少なからず心にダメージを負う。

 他の誰かのための善行、世の必要悪だと思い込むことで帳尻合わせしようとするカルマ思想は重要だ。

 そうして少しずつ心を麻痺させていく。

 暴力の日常を意識し、死を受け入れ、誰かに薫陶された生き方を棄却することで、道の果てに美学を見つけて人生の本当の意味を知る。

 数多の哲学者たちが辿り着けなかった愉悦の境地がそこにあるのだ。

 ようやく入り口に立てた滝ヶ谷は今日ここで死ぬかもしれないが、機会は平等であるべきだと考える犀川は己の責務を果たした。

 人生の後輩への手解きはここで終わり。

 対手の滝ヶ谷を真似るように右足を引き、刀身を腰の裏に隠すように脇構えで構え直して、己が芸術の探求へと没頭していく。


 両者ともに右脇に剣を引き、繰り出す初手を明確にしていた。

 起こり得るは剣同士の衝突である。

 よりリーチが長く、より重い薙刀の方に分があるのは考えるまでもない。

 劣勢と分かりながら防御を捨てる犀川に何らかの意図を感じた滝ヶ谷は、一歩引きながら脛を狙う横薙ぎを繰り出して先手を取った。


 ――なんと不用意な一撃か。


 犀川は滝ヶ谷がまだ追い付いていないことに憤りを感じた。

 事実として『加速』は内臓の負荷が大きいものであるが、殺し合いで出し惜しみする飾り宝剣ではないのだ。

 殺人者のなんたるかを説くセミナーはもう終了している。

 後ろ足の腱が千切れるほどの緩急差で飛び出した犀川は、脇構えから走らせた刀身を斜めに斬り上げる。

 衝突の瞬間、弾かれたのはまたもや薙刀の方であった。


 滝ヶ谷は弾かれた鉄薙刀を目で追って初めて状況を理解した。

 柄を握っていた右拳が完全に砕かれている。

 犀川の正確無比な剣戟が、前試合で破壊された右拳を再度打ち据えていた。

 リーチと重さが強みの得物ではあるが、片手で保持しているならば粘りで劣るのは明らか。

 痛みを感じない身体故の認識遅れ。

 特別を持ち、幾度もの死闘を乗り越えた男は無痛症の弱点すら理解していた。


 決着の瞬間。

 犀川は逡巡ともいえる二択を即座に選び取っていた。

 もしかしたら後に成長を遂げた滝ヶ谷が、飢えを満たしてくれる強敵へと成るかもしれない。

 だが、殺す。

 殺すつもりで平に寝かした剣尖を滝ヶ谷の胸部へ向けて突き放つ。

 肉を抉り、肋骨の隙間を通り抜け、心臓へと到達する感触を手元で味わいながら祈りに似た期待を奔らせている。


 ――もしも、俺に並び立つ者であるならば生き残ってみせろ、と。


 犀川の細やかな願いは、夥しく吹き上がる朱色の鮮血と共に砕け散ることになった。


 ――!?


 おおよそ人が死ぬには充分である量の液体が迸る。

 滝ヶ谷の心臓を貫いたかに思えたが、吹き出す血液の源流が自らの首であることに気付いた時、犀川は口内にまで込み上げた血を垂らして口端を釣り上げていた。


 突き出したはずの刀身が、防刃繊維と強固な胸筋で留められて捻じ曲げられていたがそれは問題ではない。

 喉元には滝ヶ谷の右拳が置かれている。

 滝ヶ谷は薙刀を手放した左手で頸部の防刃繊維を引き下げ、剥き出しになった地肌に右の拳撃を放っていた。

 問題なのは砕いたはずの右拳。その甲から伸びる象牙色。

 強固な握力で無理矢理拳を作り、開放骨折で飛び出た中手骨の鋭利な先端を武器として刺し貫いていたのだ。


 ――やれば出来るじゃないか。


 故意に防刃服そのものを剥がす行動は大会ルールで明確に禁止されている。

 しかし、ルールは紙に書かれた文字でしかない。

 真に殺人を起こそうとする者がいた時、二人だけの闘技場でそれを止められるものなど存在しない。


 土壇場での逆転。

 鮮血で染まる面防具の下、殺人道に覚醒した滝ヶ谷の顔が見えないことに歯痒さを感じた犀川は最後の言葉を紡ぐ。


「……どうだ滝ヶ谷ぁ……お前も……勃起してるか?」

「黙れ。さっさと死になさい」


 返る言葉には震えも淀みも無い。


 ――素晴らしい。


 脳内が多幸感で埋め尽くされる。

 試合中止のブザー音も聞こえなくなっていく。

 今、眼の前にいるのは今世紀最高の傑作である。

 日馬琉一と犀川秀極、二人分の命を費やしてようやく完成した共同作品。

 ある種、娘ともいえる珠玉の殺人鬼。

 滝ヶ谷香集がこれから更に深く堕ちていく様を見届けられないのは心残りであるが、もはやその必要は無い程の結果を残している。

 最後の最後にこれ以上無い芸術を完成させて死に行くというストーリーに満足した犀川は、血の泡が混じる掠れた声で大きく笑いながら大の字に倒れたのであった。




   ■■■




 仄暗い部屋で天井の裸電球が僅かに揺れている。

 廃工場の一角。時刻は午後六時を回る頃。

 元々能登原英梨子を拉致した連中が確保していた隠れ家に、特別高等班を指揮する御島が到着した。

 特別高等班は既に解散して実体のない組織であるが、御島自体にはまだ付き従う部下が数人存在する。

 公安からの撤収命令が出ても尚、警戒態勢は解かれていない。


 能登原は拷問用の椅子からは解放されていたものの、未だ後ろ手で手錠を掛けられ拘束されたままであった。

 両足の指は潰れ、右手には人差し指と小指しか残っていない。

 凄惨な拷問の傷跡は治療済みであったが、局部麻酔が切れ始めてじわじわと差し込む痛みに呼吸を荒げていた。


「大会は君が居なくても滞りなく進行しているようだよ。優秀な秘書がいたものだな」


 御島は能登原の向かいに座りながら言葉を吐く。

 木製の椅子を反対にして腰掛け、背もたれを顎置きにして何処か不貞腐れた様子でいることが見て取れる。

 言葉は能登原の父親が娘を切り捨てたことを暗に示していたが、どこか思い通りに行かない思惑があるのだろう。


「大会なんてもうどうでもいいわね。父から金を受け取ったのでしょう? 貴方個人の独断で拘束を続けるなら痛い目見ることになるわよ」

「悪いが君の拘束理由なんてどうにでもなるんだよ。極左を匿っていたこと、闇賭博の関与、逮捕状を無限に作れるだけのことはしているようだからな」

「はっきり言ったらどうかしら? 大会資金の出処を押さえたいのでしょう?」

「ははは、察しが良いね。さすが能登原の娘といったところか」


 能登原は権力欲で動く御島の性質を理解している。

 会場に張り込まれた時から誰の支持で作られた組織かもほぼ調べ上げていた。

 順当に行けば、計画の首謀者である公安の野茂田は内閣に恭順させられている頃だ。

 大方、御島は枠組みの末端であることに不服を感じて限界まで情報を引き出そうとして拘束しているのだろう。

 呆れた愚物。

 こんな愚鈍を納得させる時間ほど無意味なことはない。


「なら教えてあげるわ。M資金よ」

「……おいおい、嘘だろう?」

「そう思うから貴方では辿り着けなかったのよ。戦後の隠匿物資を守山蘭道が管理していたわけ。その数兆に及ぶ埋蔵金の大部分を総理と取り巻きに渡しているわ」

「そんな金が動いたら私でなくとも気付くはずだが」

「金塊なら足跡を追えないでしょう? 証拠が欲しいなら後でいくらでも用意してあげるわ。まぁ現段階で換金は難しいでしょうけど、もうすぐ資金洗浄用の組織が発足するのは貴方も知っているわよね」


 分かりやすく点と点を繋げてやる苦労すら煩わしいが、馬鹿過ぎない無能というものは有用でもある。

 適度な見せ金で踊り狂えばいい。

 その結果御島が内閣入りでもしてくれれば利用価値が増えて御の字である。

 M資金は実際には数兆というほどの金ではない。真に秘匿すべきは赤軍遺産である。


「……なるほどな。合点が行ったよ」

「感謝して欲しいわ。私は全てを失うというのに」

「個人の野望にしては大きく張り過ぎたな。賭けに負けて命が残っただけでもマシだろう?」

「うるさいわね。用済みならさっさと解放しなさい」

「いいだろう。実のところ、こっちのロスタイムも限界でね。おい、誰かお嬢様を病院へお連れしろ」


 取り巻きの特殊部隊が手錠を外し、歩けない能登原を肩で支えて運び始めた。

 能登原はようやく解放された喜びよりも、この後にやらなければならない大掃除に辟易して溜め息を零す。

 拘束されてから大体二四時間といったところだろうか。

 全く眠っていない思考は泥濘の如く混濁し、身体を丸ごと休息へと引き摺り込もうとしている。

 しかし意識を手放す最後の瞬間に、能登原は心底で燃え盛る熱源を見つけて言葉を紡いだ。


「サービスで忠告してあげる。もし計画の最中に由々桐という男が現れたら即座に消しなさい。そいつは百瀬夏子の仲間で、貴方では手に負えない詐欺師よ」

「そうか、気を付けておこう」


 誰一人、生かしてはおかない。

 どれだけの時間を掛けてでも背中を刺してやる。

 能登原は心の中で計画を狂わせた人間を指折り数えながら、深い眠りに身を委ねていった。




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