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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十八話
134/224

【草書】⑦

   ■■■




 足が重い。

 足だけではない。

 手も頭も胸も腰も、心でさえも重い。

 空気が粘液のように絡みつく。

 常と変わらぬ歩幅を維持するだけで息が上がりそうになる。

 向かうは歓声に震える照明の下。


 小枩原泥蓮は自身に問う。

 何故そうまでして行くのかと。


 もう戦う意味など無いのだ。

 兄が到達した領域は術比べや死闘の中に存在するものではなく、追いかけていた仇敵ももういない。

 もはや撃剣大会で得られるものなど何も無いというのに。


 それでもどうしようもなく身体は動く。

 闘争の空気を燃料にして動く機械仕掛けのように、戦いの中にしか生を見出だせない狂戦士のように、猛る身体が意識を引き摺って歩く。


 ――もうどうでもいい。


 鉄華に対する返答に偽りはない。

 篠咲に及ばないどころか、一ノ瀬にすら敗れた。

 誰にも届かず、誰一人守れない暴力をこれ以上突き詰めることに何の意味があろうか。

 古流など捨てて、今すぐ別の人生を探すべきだ。

 そうだ、それがいい。そうするべきだ。



 気付けば闘技場の中央に立っていた。



 視線の先には木崎三千風がいる。

 分かっている。

 こいつは強い。

 飄々とした余裕を見せているが、血の滲む努力を積み上げてきた者特有の油断の無さがある。

 弱さを知り、恐怖を捨てず、焦りにも似た警戒を常に張り巡らせている。

 特別な才能があるわけでもなく、義務感を急き立てるような過去があるわけでもない。

 ただ強く。どこまでも愚直に強くなりたいと願い実践してきた凡人の極地。

 真っ当に強い凡人というのはそれはそれでタチが悪い。

 一流派のプライドに囚われない心形刀流という思想も厄介だ。

 特別を手にして生きてきた天才よりも選択肢が広い。

 今は納刀して立っている木崎だが、使う技が心形刀流の【抜合(ぬきあい)】だとは限らないのだ。

 それこそ神道流や立身流の抜刀でも平然と使用してくるだろう。

 対策を無意味にする方法論で言えば、大会中唯一篠咲に対抗できる男でもある。

 この対峙に救いがあるとすれば、一叢流が他に比べてマイナーな流派であることだ。

 槍の立ち回りと初見の技、小柄な女が相手だという心理的な駆け引きで一気に押し込むしかない。


 ふと、泥蓮は我に返って苦笑した。

 あれほど乗り気でなかったのに、いつの間にか分析を始めている。

 小枩原泥蓮という生き方に退路は無いのだと、誰かが嘲笑っているようにも思えた。


 木崎は両腕を広げて距離を詰める。

 敵意無く槍の間合いを越え、剣の間合いも越えて、泥蓮の間近までゆっくりと煙のように歩み寄って来る。

 山雀と相対した時と同じく、会話する意志で踏み込んできたのだろう。

 前試合ではそのまま不意打ちを仕掛けて見せたのに、今尚、距離を詰める仕草やタイミングは絶妙であった。

 場数を踏んでいる分、試合の場での度胸は他選手の比ではない。

 泥蓮は少しの興味と、相手の心理状態を確認する目的で応じることにした。


 面防具同士がぶつかる近距離で視線が交差する。

 木崎は心なしか複雑な笑みを浮かべてから口を開いた。


「悪いけど全力でぶっ潰すことにしたから恨まないでね、泥蓮ちゃん」

「律儀だな」

「いやぁ結構悩んだぜ。でも君相手に手抜きは無理っぽくてさ。もう少し弱ければ良かったのにな」

「そうか。態々気を使わせたな」

「そういうことだから、まぁ、君も全力でヨロシク」


 木崎は倫理を踏破する手順として、相手に宣言することを必要とした。

 会話の最中に不意打ちするでもなく、また槍の外まで間合いを離して仕切り直す。

 表舞台の格闘家である木崎は泥蓮の強さを存分に引き出して、少女という見た目以上のものだと観客に分からせてから倒すことを選択したのだろう。

 その行為自体が心理的葛藤を露わにしてしまうと分かっているが、分かっていても回避できないしがらみの中に居る。


 ――利用することはできる。


 観衆を味方につける演技は可能である。

 必要以上に痛がり、健気に戦うフリで居着きを引き出せば簡単に処理できる相手かもしれない。

 しかし、


 ――許されるはずもない。


 槍の穂先を相手の喉元へ向けて、泥蓮は【迎枝】で構えた。

 息を吸う度、細胞の隅々が緊張と歓喜に打ち震えるのが分かる。

 染み付いた技を制御する回路に熱が通っていくのが分かる。

 これが私。

 流派の化身に成ることを望んで生きてきた。

 もうブレーキの掛け方すら分からない。

 泥蓮は心底で燻る情熱の惰性を感じながら小さく踏み込み、殺意を持って素槍の先端を射出する。


 初撃は距離の有利に守られた牽制。

 されど両の手には続飯付の粘りが宿る。


 同時に木崎は鯉口を持ち上げ抜刀に入る。

 左腰を引き、縦に抜いた刀身を即座に平に寝かして構えることで、粘りの籠もる槍の突きを僅かに体の外へ逸していた。

 木崎の続飯付対策は刀身のぶつけ合わせを納刀で回避し、相手が攻めに転じた瞬間に進行方向を逸らす障害物を置くことであった。

 何度も通じる手ではない。

 たった一度、それだけで充分であると考えている。

 泥蓮の強さを観衆に見せようとする心理を吐露していたはずだが、それをブラフに一瞬の決着を狙って動いている。

 木崎は試合後に非難の的になることまで受け入れる覚悟を済ませていた。


 泥蓮が牽制の突きを引き戻した時、木崎は踏み込んだ足を折り敷いて体勢を低くしている。

 両手もだらりと下げられ、地面の上に刀身を寝かしている。

 ノーガードの誘い。

 明らかに腰溜めの槍の方が先に到達する距離での無謀な挑発。


 しかし泥蓮は攻めない。

 攻めないが、後退もしない。

 明確な術理と意図が想起されたからだ。

 抜刀からの防御、誘い、最後に上段斬り下ろしで締める一連の流れは心形刀流の【向覃中刀(むこうたんちゅうとう)】という技である。

 見破られてもノーガードをやめないのは面防具を盾として使う自信があるのだろう。


 だが誘いに乗らず退くのならばそれはそれで木崎に情報を与えることになる。

 前試合、彼にとって最大のイレギュラーだった山雀の真芯を捉える突き技。

 術理を同じくする小枩原不玉の【档葉】も同じ芸当が可能なのかも知れないが、娘にはそれを放つ程の技量が無いことを露呈してしまう。


 故に泥蓮は動かない。

 档葉を駆け引きに残しつつ、誘いから続くあらゆる技に備え、一畳の間合いの中で中段を維持して待つのみであった。


 互いに出方を探る刹那の読み合い。

 向覃中刀の斬り下ろしに移行し始めていた木崎は、一度肩まで持ち上げた刀をまた体の横に倒し、地面すれすれを払う横薙ぎに変化させる。

 飛び越えられないよう深く踏み込み、上向きの角度を付けた脛斬り。

 

 泥蓮は中段を下げ、穂先を地に刺して固定することで木崎の刀身を低空の段階で受け止める。

 後退を選択しなかった以上防御するしかない。


 だが脛斬りを防いだ瞬間、泥蓮は見た。

 木崎が僅かに口端を釣り上げて嘲笑うのを。

 留めたはずの脛斬りの刃は上向きであったのを。

 そして槍の柄を駆け昇る斬り上げへと変化した時、全てを悟った。

 最初からここまで想定していたのか、と。


 斬り上げが狙うは槍を掴む左手。

 突き技が主体の素槍は両手で扱うことが必須の得物である。

 切断は出来なくとも片手の骨を砕けば勝敗が付いたも同然。


 明暗を分けたのは読みの質にある。

 小枩原泥蓮は無名選手だが、既に二試合分の映像がある。

 一叢流の技に至っては親子揃って四試合分観ることができる。

 昨晩の騒動と無関係だった木崎には十分過ぎる程の準備時間があった。


 何度も繰り返しシミュレートした先読みの攻防を辿って、ついに王手を掛けていた木崎は――理解できなかった。

 何故、自分の下腹部に槍の穂先が埋まっているのか、を。


 不可解な表情を浮かべる男に向けて泥蓮は紅潮した笑顔を返し、吐息のような声で囁きかけた。


「一手足りなかったな」


 地に埋まっていたはずの穂先は如何にして突きへと変化したのか?

 答えは蹴りである。

 泥蓮は槍の柄を蹴飛ばして強引に軌道を変えていたのだ。

 一叢流槍術【苞焔(ホウエン)】。


 読みで差が付いていたはずの攻防は、木崎の知識にない足操作の槍術によって結末を変えていた。




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