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どろとてつ  作者: ニノフミ
第二十八話
133/224

【草書】⑥

   ■■■




 医務室へ向かう長い廊下。

 揺らめくミストを掻き分けて先導するドミニクは何も語らないでいた。

 アルフォンソも言葉が出ない。

 死闘へと向かうアルフォンソを最後まで非難していた父は何を思って現れたのだろうか。

 何故、今更セコンドに参加してまで戦いを止めようとしたのか。

 良心の呵責と憤りが混ざり合い、アルフォンソはただじっと父の言葉を待っていた。


 心なしか懐かしい香りがする。

 今はオリーブの収穫時期である。

 ピクルスのビネガー臭が染み付いている背中は、相も変わらず農場を離れられずにいる男の哀愁を漂わせていた。

 今もたった一人で母の仕事すら引き継いで生活を送っているのだろう。


「主催者の招待があってな」


 ドミニクは振り返ること無く息子に語りかけた。


「俺を使ってお前の感情を揺さぶる気だったんだろうな。来るつもりはなかったが、中継映像でお前の戦いを見て心が変わったんだ」


 尋常ではない額の賞金が動く大会である。

 古流を集めた競い合いで国外の武術家に全て持って行かれるのを惜しむのは当然であり、家族や友人関係を調べ上げて弱みを引き出そうとしていたのだろう。

 当然、ドミニクもその意図に気付いていた。


「勝った方も負けた方も惨たらしく血反吐を撒き散らす戦いに……俺は耐えられなかった」

「俺を咎めるつもりで来たのかい?」

「咎める? まさか。咎められることをしたのは俺の方だよ」


 父の説教を覚悟していたアルフォンソは、返ってくる予想外の言葉に息を呑んだ。


「アル、俺は弱い男だ。強い父親でいたいあまり、お前を止め得る言葉を持っていなかった」


 決して振り返らない背中が小さく震えているのが見える。

 

「見世物としての死闘を卑下することしか出来なかった。実際のところ、俺はお前まで失うのが耐えられないだけだというのに。……許してくれ」


 ドミニクの言葉は懺悔のように重く、静かな廊下に響いていた。


 ――あぁ、いつからだろうか。


 父の強さを絶対のものとして神聖視していたのは。

 神でも神話の英雄でもないのに、勝手な思い込みで人間性すら喪失した怪物のように畏敬していた。

 母の死で往年の力強さを徐々に失っていく父に失望したアルフォンソは、ようやく自身の間違いに気付いた。

 ただ愛する家族を守りたい、守れる強ささえあればいい、その想いで必死に生きていただけなのだ。

 あの夜の狼も戦士としての挟持だけで生き足掻いていたわけではない。


 アルフォンソの肩を支える兄のエンリコが父の言葉を引き継いで口を開く。


「アル、今は休め。俺たちの牧場へ帰ろう。また羽ばたく時のために」


 盲目に、蒙昧に強さを求めるアルフォンソを支えてくれていた家族たち。

 自由奔放に生きてこられたのは彼らが多くを引き受けてくれていたからだ。


 ――弱いのは俺の方じゃないか。


 目を閉じればいつかの陽だまりが見える。

 オリーブの木陰で羽を休める鳥たちが見える。

 遠くの木立を揺らす音が近づいてくると、不格好な木刀を振っていた少年も腰を下ろして一陣の風を待つのだ。

 夕暮れが近い。

 遠くに見える煙突から煙が上がっている。

 全てが当たり前に用意されていて、飽きるほど繰り返してきた日常。

 何者も脅かすことのない調和。平和な時間。

 目頭が熱くなる。


 ――負けはしたが生きている。そうだ。俺はまだ生きているぞ、赤羽。


 汗を冷ました少年はゆっくりと腰を上げ、暖かな夕食が待つ場所へと戻っていくのであった。




   ■■■




「木崎くんは運だけで勝ち上がっていく気かな?」


 三日目の第一試合が終わり、モニターを眺めていたセコンドの南場裕大が声を上げた。


「……どういう意味だよ」

「いやいや、あの合気の爺さん肩ザックリいってるぜ。最後の投げも相当無理してるし、年齢的にここらでリタイヤが順当だろう。んで篠咲の組もリタイヤ。下手したら明日が決勝になるかもよ」

「あのね南場くん、俺も同じリスク背負ってんの。煽るだけで賞金の二割持っていく闇金みたいな君には分からないだろうけど、みんな死と隣り合わせのプレッシャーの中で戦っているんだよ」


 ソファーに寝転んで縁から頭を垂らす木崎三千風は、腐れ縁でつるんでいる悪友を逆さまの視点で睨んでいた。

 いつも以上に覇気がない。

 次試合の戦術で相当に悩んでいることが見て取れた。


 その様子を鼻で笑いながら南場は言葉を続ける。


「冗談だよ。俺はちゃんと木崎くんが強いってこと分かってるから。俺たち親友だろ? な、親友」

「金になると分かってから親友って連呼するのやめて欲しいんですけどー。そろそろセコンドらしいアドバイス言うくらいの仕事はして欲しいんですけどー」

「アドバイスだって? じゃあ精々条例を破らないようにと、今から女子高生を毒牙にかける鬼畜様に言っておくぜ」

「……」


 返る言葉はなかった。

 予想外に重苦しい静けさの中、木崎の人差し指の上で回るハンドスピナーの音だけが響く。


「……え、何? あの子、結構ヤバイの?」


 焦るように言葉を繋ぐ南場から視線を逸した木崎は、気怠げに天井を眺めて溜息を溢した。


「ヤバイなんてもんじゃないな。槍使いだけど接近戦も安納林在クラスだよ。あの歳の女子であの強さは児童虐待と言っていいね」

「マジか。なんか重い過去とか背負っててメンヘラ化してそう。対策はあんの?」

「対策を調べるのが君の存在意義だけど?」

「俺? そうだなー、体格差でグイグイ行けとしか言えんな。大の大人がJK絞め上げる絵面は倫理的に問題ありそうだけど」

「あーそれが問題なんだよね。女殴る度に惚れられるラノベ主人公みたいな能力あればなー」


 小枩原泥蓮は大人の男に対抗できる強さを持ちつつも、倫理面からくる躊躇や、体裁や風評を気にする保身を強かに利用する可能性がある。

 表社会の職業格闘家として生きる木崎は、『どうやって角が立たないよう倒すか』という手順を考えないわけにはいかない。

 それが次試合へのやる気を削ぐ理由であった。


「え? 男女平等社会を目指す木崎くんなら余裕でしょ? 俺はちゃんとインタビューに答える準備あるから大丈夫だよ。『彼はいつかやると思ってました』ってさ」

「知ってるかな南場くん? 今日追加されたルールなんだけどセコンドの交代はオッケーなんだってさ。最悪運営が用意してくれるらしいよ」


 ゆっくりと、陽炎のように立ち上がった木崎は刀を腰帯に差し、鯉口を持ち上げて南場と相対した。

 南場も即座に座っていたパイプ椅子を畳んで盾として掲げている。


「待て待て、落ち着こう。また遅延させたら失格だって言われてるだろ? 下着の派閥で喧嘩してたって聞いた運営のお姉さんの顔がマジでトラウマなんだよ」

「ああ、ありゃ凄かったな。何人か殺ってそうな顔だったわ」


 女子剣道の強者だという運営の女を思い出して木崎も構えを解く。

 真偽は分からないが、彼女の不自然なシルエットは脇腹にハンドガンを下げているようにも見えた。

 大会前に脅してきた矢島が示唆するように、組織的な闇賭博が運営と絡んでいることは十分あり得る話だ。

 篠咲が闇討ちされたという噂が事実なら、同じく賭けの対象になっているであろう木崎も他人事とは思えない。

 今や信用できるセコンドの存在は必要不可欠であった。


「南場くん。多分勝つと思うけど、負けた時のことも考えといてね」

「分かってるよ。一応服の下にボディアーマー着込んでるから問題ない」


 木崎と同じ考えに至っている南場も最悪を想定して備えている。

 準決勝になるかもしれない三回戦。

 恐らく賭博の賭け金は前日の比ではないだろう。

 逆恨みで敗者が襲撃される可能性も考慮しなければならないのだ。


「背中は任せたからな」


 木崎は腹立たしげに南場の腹部を叩いてから控室の扉を開いた。




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